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さよならは突然来るのではない。忍び寄っていた事に気づけなかっただけだ


「人は必要な時に、必要な人に会うらしいよ」

深夜のファミレス、ラストオーダーを聞きに来た店員は、席に流れる空気を察し足早に去っていく。

180円のドリンクバー。グラスの中で香料しか入っていないメロンが泡を立てた。向かいの席にはブラックコーヒー。白い陶器の縁に薄紅がついている。最後に見たそれは、もっと鮮やかだった気がした。

「そういうこと」

”そういうこと”ってなんだ。聞き返す事すら出来ず開きかけた唇を閉じた。窓の外に広がる夜は都会の喧騒を掻き消す事が出来ない。点滅する光は通りを活気づけ、酔っ払い共の楽しげな声を加速させる。星は見えずコンクリートが空を埋め尽くそうとしていた。

「私ね、もう疲れちゃった」

カップの持ち手をなぞった爪を彩る色も、いつ変わったのか分からない。そもそも、変わった事にすら気づかなかった。あれだけ一緒にいたのに、何一つ気づけなかったから今がある。

「連絡が返ってこない事が当たり前になって、会おうとしても忙しい、少しでも支えになろうとして頑張ってみたけど駄目だった」

忙しかった。社会人になり数年、重要なポジションを任され懸命に頑張った。これを乗り越えた先で、彼女と一緒になれたなら。金銭的に豊かになればいつかの未来で苦労をかけずに済む。ポジションがあれば、社会に馴染むための安心できる材料となる。

そうやって駆けて、何も言われなかったから応援してくれているものだと思っていた。否、何も言われなかったわけではない。今更ながらに気づいたが、沢山言われていた。その全てをまともに取り合わなかった結果がこれだ。

そんなに頑張らなくても、たまにはゆっくりしようよ、会いたい。

全部、煩わしかった。こんなに頑張ってるのに何で分かってくれないのだろう。いつかの自分たちのためなのに、どうして気づかないのだろう。うるさいと一蹴して、君には分からないと声を荒げた。それでも、彼女が怒る事はなかった。

違う。怒る気すらなかったのだろう。今の表情を見れば分かる。怒るのは体力を使うから。体力を使いたいと思うほど、大切な人ではなくなった証だったのに。

「何度も言ってたけど、私は別に、貴方に養われたかったわけじゃないよ」

いつ髪を切った?少し痩せた?綺麗になったのは他に男が出来たから?責めたくてどうしようもないのに、彼女の言葉が心臓を突き刺し声を奪っていく。

「私は私の力で生きていけるんだよ。貴方が私に苦労をかけたくない気持ちも分かってたから言わなかったけど、ちゃんと自分の足で立って一人で生きていける人間なんだよ」

「貴方が、そう思いたくなかっただけで」

決定打だった。

「人は必要な時に必要な人に出会うけど、その反対もあって、離れていく人は人生に必要じゃなくなったって話」

「君の人生に、俺は必要じゃなくなったって事?」

「……先に手を離したのはそっちじゃん」

「離した覚えはなかったけど」

「気づいてないだけでしょ」

伝票を手に立ち上がった彼女に、それを奪おうとするも手で制されてしまう。

「……昔さぁ、どっちが払うかよくじゃんけんしたよね」

鞄を持ち直した彼女が眉を下げて笑う。困った時によく見た表情は変わらないのに、ずっと遠く感じて伸ばしかけた手が宙を掻いた。

「お金ないのに奢ってくれたの嬉しかったけど、そのせいで金欠になって会えなくなるくらいなら、半額出すから一緒にいたかった」

じゃんけんだって、やるだけでいつも多く払うのはこっちだった。ただ、世界で一番好きな女の子の前で格好つけたかっただけ。

「結局、貴方はいつも私じゃなくて自分の事しか考えてなかったんだよ」


大学一年生の春、違う学部の女の子に恋をした。

彼女はどこか他の人とは違う空気をまとっていた。すれ違う度視線を奪われ、友人たちに揶揄われたけれど声をかける勇気は無くてくすぶっていた時、大学近くのカフェでバイトをしている彼女を見つけた。

どこか運命めいたものを感じ、毎日そこに通って彼女と話す機会を伺った。ある日、カップに書かれた”いつもありがとうございます”の文字に、思わず声をかけた。

『好きです』

名前を聞く前に出てしまった想いに、真っ赤になった彼女は眉を下げて笑い、まずは友達からでお願いしますと返した。

そこから大学で話すようになり、一人暮らしをしながら大学に通い奨学金を返している話を聞いた。どこにでもありそうな大学生の背景は、ありがたいことに自分には無縁の物だった。

実家暮らし、学費は全て親負担。一生懸命働かなくても困らない生活。この大学に通いたいと強い熱量を持ったわけでもない。ただ、都心に生まれのうのうと生きてきた結果論。

けれど彼女は違う。ここに来たくて勉強を頑張り、親の力が借りれずとも一人で立っていた。そんな姿が眩しくて、この子を守ってあげたいと思った。

少しでも困らないように、頑張り過ぎないように、頼られたくて格好つけた時間が、知らぬ間に守りたい子から自分がいないと何も出来ない子だと導き出した。君は守られていればいい。ただ与えられるものを享受すればいい。

そうやって勘違いした結果が今だ。本当はずっと、彼女は一人で立てる女性だったのに、そう思いたくなくて知らぬ振りをしたのだと思う。結局、僕は彼女より自分の事が大切だったのだろう。

彼女に頼られる自分に酔っていただけだったと、今更ながらに気づいた。


社会人になって、彼女はメキメキと力を発揮し誰から見ても出来る女になった。本当はずっとそうだったのに、社会に出てから分かりやすく目に見える形で現れた姿を、僕は否定したかったのかもしれない。


店を出て夜の街を歩く。白い息がコンクリートの森に消えていった。店の外、バレンタインの装飾であろうハート型のモールが再利用されている。そういえば、バレンタインだって会わなかった。最近会えてなかったから会いたいと言われていたのに、僕はそれを一蹴した。

ずっと、一番に優先していたのは格好つけの僕だったのだ。

ふと、見慣れたコートが視線の先に見える。先に店を出た彼女の後ろ姿だった。震える肩、俯く視線は多分、泣いているのだろう。

今、手を伸ばせばまだ間に合うだろうか。

きちんと話をして、反省して、僕は君を愛していると。別れの席ですら言えなかった言葉を口に出来たら、君は帰って来るだろうか。


まだ、さよならを言いたくなかった。


踏み込んだ足は一人の男を見て止まる。寒空の下、街灯に寄りかかりスマートフォンを触っていた男が彼女を見た瞬間そちらに駆け寄った。いつからそこにいたのだろうか、鼻の頭は赤く、ポケットから出した手は真っ白だ。

けれど男は自分のマフラーを外し彼女につけた。泣き顔を隠すようぐるぐる巻きつけて、自分だって寒いだろうに優しく微笑みかけポケットの中で温めていたのだろう飲み物を渡す。それを受け取った彼女はさらに涙を流し、うろたえる男は彼女の肩を抱き歩き出した。

「何勘違いしてるんだ俺」

さよならを言いたくなかったのは自分だけで、とっくに彼女の中ではさよならが出来ていた。

いや、僕が引き止めなかった時点でさよならは確定していた。

道の真ん中で一人、残された僕はポケットに手を突っ込む。

優しそうな男だった。自分の事を気にせず、彼女に寄り添った姿が、自分には出来ないと思わされてしまった。出来ないと思った時点で、もう未来なんてなかったのだ。あのまま一緒にいた所で、きっと別れはどこかで来ていたはず。


だから、これは愚かな僕が、選択を間違えた話。


人は必要な時、必要な人に出会うらしい。

大学一年の春、僕にとって君は、悲しくも自分を大切にするために必要な人だった。

反対に、離れていく人は人生に必要ではなくなったらしい。

君の人生に、いつから必要ではなくなったのだろうな。僕は馬鹿だからまだ分からないし、分かりたくもない。知ってしまえば自分の愚かさに死んでしまいたくなるほどの後悔が襲ってくるから。ずっと知らぬままでいい。

いつから部屋に来なくなったっけ。いつから彼女の物が無くなったっけ。何も気づかなかった。何も見ていなかった。全て見落として自分の事ばかりを考え生きていた。家に帰っても、彼女の私物は何一つ残されていないのだろう、そういう所ちゃんとしているから。


広い宇宙の片隅でこんなどうしようもない別れが何万回も起きているのだろうと考えると笑ってしまう。もう一度を願ってしまう馬鹿な僕たちがいる事も。


足を止めて息を吐き初めて気づく。


僕が本当に好きになったのは、あのカフェで、忙しなく働きながらも多くの人に慕われるほど頑張っていた、自立した君の姿だった。

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