砕け散るまで進んだ旅路の末、星が流れたら僕の勝ち
君は星。おおいぬ座のシリウス。
8.6光年先で輝き続ける、僕だけの一等星。
個人的な話をすると、星より月の方が好きだ。サイズ感とか光り方とか、色々あるけれど単純に圧倒的なまでの理想を体現しているような気がするからだと思う。
月は満ちて欠ける。いつか爆発して消えるかもしれない。でも、他の星々よりずっと安定感がある。人類が全滅しても地球が滅びても輝いてそうだし、何なら宇宙で大爆発が起きても生き残っている気がする。それくらい、ちょっとした図々しさがある。
美しい光は人々を魅了して、古くから数多の創作に使われてきた。人類が月に辿り着いた時、そこから見た地球の方が美しかったというのは隣の芝生が青く見える理論と理想と現実は違うという事だと思う。
何にせよ、月には安定感があって一生涯届かなそうな空気を感じながらも我々は魅了されるのだろう。月面に何もなくても。灰色の大地が続いていても。クレーター、嘆きの海。水も大気もない地。それでも地上からは眩い輝きを放つ。
星はどうだろう。サイズ感の問題だと思うけれど星は無くなっても気づかないだろう。古来では航海や月日を知るため星の位置は重宝されたが、現代では役割を失って久しい。
夜空に浮かぶいくつもの光は黒い紙に穴を空けたようで。真っ暗な空間で見えたほんの少しの光のようで。強烈な憧憬や憧れを抱く事はないがそこにあって然るべきものだと思える。美しさよりも数の多さからか、実際星は一つとして同じ物はないのにね。
昔から、圧倒的な輝きを持つ人を星のようだというのは多分月の方が神聖が強くて、宗教とか諸々に関わっていたのだろうなと思う。知らんけど。ごめんちょっと想像で適当言った。
私の中で星が人と繋がったのは子供の頃。新暗行御史で知った伝承からだ。
「偉大な人間が死んだ時、星が流れる」
それまでに聞いた事があったのは、人は死んだら星になるなんて話で。有名な絵本でも同じような話をしていた気がする。大切な人が亡くなり、星になって見守っているよというありがちな記述。思えばこれを太陽になって君を照らしているよとは言わないから、やっぱり名もなき複数あるイメージの星にその役割が求められるのだろう。
偉大な人間が死んだ時、星が流れる。それを見た私は驚いた。というよりかは、自分の中の感性を作られた気分だった。ああ、そうか。星が流れるのか。流星は一日の間にいくつも流れるけど、視認出来るほどの大きさは中々なくて、大体は大気圏で燃え尽きるから落ちた瞬間も、閃光も何も見えない。
それが、人の命だったとして。
偉大な人間が死んだ時、視認出来るほどの大きな星が流れるのなら、何となく納得がいってしまったのだ。我々は燃え尽きて目に入らないような死に方をする。人生はそんなもので、著名人や偉大な人間が死ねば多くの人にその事実が回るけど、道端の、そこら辺で名も知らぬ誰かが死んだ時は知りもしないのが普通だ。
誰かにとって特別な星だとしても、我々にとっては名もなき星で、見る事も、記憶にさえ残らなかった星だ。
じゃあ私が死んだ時は星が流れてくれるだろうかと、子供ながらにそう思った。ひと際強く輝いて砕け散れば。欠片一つくらい大気圏を抜け、夜空に一筋の線を描いてくれるだろうか。落ちた後は誰も思い出さなくていい。ただ最期くらい、輝けるだろうか。
そんな考えを、今でもずっと抱いている。
誰かになりたい欲は幸いにも、自分自身になる事で叶えられた。どこまで特別かと言われたらそれは人によるかもしれないが、私自身は少なくとも常人よりは星に近いのではないかと思っている。星化。そう、これは星化。
そう思わせてくれるのは周りにいる人たちのおかげで。才能とは何とやらを、自分自身が信じられずとも周囲が信じてくれていたからで。私は知らぬ間に誰かの星になっていた事を知るのだ。
誰かを星のようだと思う感覚は人生の中であったりなかったり。もしかすると、推しがいる人たちはこれに近しいのではないのかと考えたりもする。私推しいないので分からないけど。誰か教えてくれ。
眩しくて届かなくて憧れて。純粋な思いだけであればいいけれど、強烈な光を放つ星の近くには必ず嫉妬や羨望が渦巻いている。ちょっとした事で噛みついて文句を言うのも、羨ましいから。自分にはその才能が無いから。その世界に行けないから。そして大抵の人間は自分が羨ましさから嫉妬して攻撃している事を気づけない。人間は盲目だから。君も私も。星がどうして星になれたのかなど分からないのだ。
一人で勝手に輝くわけない。星と呼ばれる人たちは裏で噛みついてくる人間が考えられないほどの努力を重ねている。血の滲むようなそれを、星は見せない。見せる必要が無い。だって同情を買う気はないから。格好悪い所なんて見なくていい。綺麗な所だけ見ていて欲しい。これは一種の格好つけでもあるかもしれない。
そんな努力の中で、生まれ持った才能が存在している事。これが星になる条件だと思う。残念ながら人には向き不向きがあって、欲しい能力が必ずしも自分に備わっているわけではない。好きな人に好かれないとか、やりたい事より得意な事とか。そんな、どこにでもあるちょっとしたジレンマ。
でも星は生まれ持った才能を持って、それに甘んじる事無く努力を続け圧倒的なまでに光るのだ。けれど人々は魅了されるくせに、生まれ持った才能の方ばかりに視線を向け星が積み重ねた努力には見ない振りをする。これ、努力は自分でも出来るから持っていないものを羨ましがる典型例なのだけれど、そもそも同じレベルの努力も出来ないと思っている。だっておかしいもん努力値。
輝けば輝くほど、熱狂し愛され崇拝される時もあり、けれど影は大きくなっていく。その影に飲まれそうになる。眩しい所でただ笑っていたいだけなのに、限界まで走っていたいだけなのに、影はそれを許そうとしない。
最近、そんな話をして思い出した。妬ましさゆえに出てくる言葉も、揚げ足取りも、輝いていなければぶつけられない事を。同じ事をしていてもぶつけられずのうのうと生きている人はやっぱりそれくらいの人だったりするし、何かを持っている人ほど矢面に立たされる。
才能って何だろうと、よく考えている。ただ誰もが傷つかず自分のやりたい事に全力で走り星になればいいと思う。でもそれを許さない人間を見る度に、苛立たしさではなく憐れみを抱くようになったのは、もうノイズに耳を貸す必要がないと思えるようになったからだろう。
人生は嫌いな人間の事を考えている時間があるほど長いわけではないから。
星は増えていくだろうか。新たな才能、圧倒的なまでの努力も一種の才能であると思う。とりあえず有難い事に私は名もなき小さな星から、名がある小さな星になれているようなのでこのまま私の夜空で一番に輝く星になれればいいと思う。誰かの人生という物語に一瞬でも輝けたらそれほど嬉しい事は無いし、本を閉じ夜空を見た時、流れて終わるのならそれほど美しいものは無いのではないだろうか。
全天一の輝きを持つ星はシリウスと言うらしい。冬の大三角、おおいぬ座の一等星。ある冬の日、夜空を指差した少女がなりたいと口にした物語の星。8.6光年先で輝き続ける、多くの人に愛される存在になった星。たった一人の愛が込められた星。
いつか、そんな物語のように輝く何かになれたらいい。それまで書いて書いて書き続けて。理想を現実にしていく。
最後に、思いっきり砕け散って流れるまで。旅路は続いていく。
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