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空の青さを知っている。他の誰でもない、自分の中にある色彩を

声にした。ペンを走らせるのではなく、唇を開いた。


人生が不条理の連続であると気づいたのは随分昔の事だ。願ったとて叶えられず、努力しても手に入らないものがある。初期ステータスは自分で決められるものではない。ただ、キャラクリ画面に自分が出てきたら、間違いなくステータスは振り間違えている。

15歳になるまでの長いようで短い年月は、私の人格形成を大いに狂わせたと振り返って冷静に考えても思う。このしょうもない15年間は私に、私である事を後悔させるような時間だった。

生きてるだけで自信が削られ続ける、どこへ行っても何をしても、酷く無価値な人間である事を隠すために強がって虚勢を張り傷つけられた分だけ人を傷つけた。放った言葉の数々は因果応報、必ず自分に返って来た。けれどそれを理解出来なかった、馬鹿みたいな時間でもある。

よく過去に戻れるならどうしたい?と聞かれるが、私は戻りたくないのだ。だって今の方がずっと楽しいと分かっているから。勿論、青春時代を今やり直したらどんな気持ちになれるかと考えた事はある。けれど戻ってもいいと思う時間はいつだって一つだけだ。

磨り減らした心、削り取られた自信、踏み潰されたプライド、そんなどうしようもない時間はそこから先の10年で何度も何度も足を引っ張り苦しくなっては自分を嫌いになる日々だった。

幸いだったのは散々けちょんけちょんになってきた私に残る唯一の特性、根性。それだけが過ぎ去った日々を生き抜くのに、欲しかった物を、叶えたかった全てに手を伸ばすための力になった。地面に叩きつけられても、ふざけんなと言って泣きながらでも這いつくばれる人間で良かったと心から思っている。お前凄いよ。


やりたい事があった。口に出せなかった本心は、少しずつ時間が経つにつれ声に出せるようになった。行動に移せるようになった。これって多分凄い事で、誰の目も気にせず私はこうなりたい!と宣言できる力を全ての人間が持ち合わせてるわけではない。

よく叶えたい事は口に出すと叶うという。スポーツ選手や世界で活躍する人たち、その多くは幼少期から将来の夢で自分はこうなると発言していた。が、これってそう簡単には出来ない。だってその時点で才能がないと、確立されたものを、欠片でもいいから感じていないと、自信が無いと、大々的に言えるわけがないのだ。

この話をする度思い出す、二分の一成人式で将来は小説家になると言った事だ。実際言いたかったのは別の言葉。私は私の人生にスポットライトが当たらないと気づき、自信がないのを隠し虚勢を張る屈折した子供だった。だからテレビの中で色んな役を演じる俳優に憧れた。だって演じている間は自分以外の何者かになれるから。

でも特別顔が整っているわけでもない自分がこれを言えば馬鹿にされる事待ったなしだ。キャラじゃないなんて言われ笑われるのが嫌だった。そうして秘めた本音の代わりに出たのは小説家。

さて、なぜ小説家という単語が出たのか。曖昧だが、確かその少し前、国語の授業で教科書に載っている写真を見て、原稿用紙二枚、800字ほどのオリジナルストーリーを書く課題があったのだ。

皆が頭を抱え書けないという中で、私はそれが理解出来なかった。逆に何故800字で収まるのだと目を疑った。今思うと、この時初めて片鱗が見えたのだろう。

結局私は課題を最後に提出した。理由は書けなかったのではなく、枚数が足りなかったからである。800字で思いついた物語が書き切れるわけねぇだろふざけんなと、後にも先にもあれほど楽しく学校の宿題をやったのはこれっきりだ。

ちなみに当時思いついた物語は、一本の大きな木が植わっている写真を見て、開発のため木を伐採しようとする大人を止めようとした若き男女だが、実際に伐採するタイミングで男の方が身を挺し伐採を止め帰らぬ人となる。結果として伐採は免れ、女の方は守られた木のおかげで豊かになっていく土地に帰らぬ人を思いながら、「君が守った場所だよ」と吐き終わる話だ。

尚、これを書いた数年後、新暗行史に出会い似たような話が描かれていてちょっと笑ってしまったのだが、小学校四年生で私はこの物語を800字に収めようとしていた。収められるわけがないんだけど。

結果として、中途半端になってしまった物語に私は大変悔しい思いをした。

そんな事もあってか、私は小説家になると10歳の年に言ったのだ。

まさかその11年後、本当になるとは夢にも思わなかったが。


大人になった私はよく考えている。お前は何がしたい?どこに行きたい?どんな物語を作りたい?売れるために売れるためだけの要素を取り入れる作品を書く?でもそれでお前は納得する?

答えはいつもNOだ。恐らく、というか80%以上の確率で売れるため時代に沿った誰かの何番煎じを書く事は出来る。余裕で出来る。そしてその作品でそれなりに売れる事も可能だろう。

でも絶対やんねぇと思うのは、私の美学に反するからなのだろう。心から欲しいのはそれじゃない。売れたいよ、そりゃあお金は大切だ。でもそれ以上に大切なものがある。

私は私にしか書けない物語が脚光を浴びる事を願っているんだから。

君の文章が好きだ、君にしか書けない、有象無象に埋もれない、砂場から金を見つけるほど難しい願い。でも、それが欲しいからやらない。

そんな謎のプライドがあると、報われなくて高頻度で精神が折れそうになるのだが、ここ最近は折れる事も無くなって来た。それは欲しい物のため馬鹿みたいに積み重ねてきた時間に意味が見出されたからだ。

思い通りになったとは言えないし、道はまだまだ長い。けれど無意味に思えた時間に意味が出来た事で私はようやく思えるようになったのだ。


私はちゃんと頑張ってきた時間を無駄にしない人間だ、と。

気づいた時には前向きになれて、この先きっと辛い事があっても自分は大丈夫だとも思えた。ていうかもしかすると、26年間で初めて報われたと思えたからなのかもしれない。

自分の力を評価され欲しかった物に届くようになった。運だとか、たまたまだとかも言われない。正当な評価の末に得た物は、喉から手が出るほど欲しかった物でもあった。

そんなこんなで、口に出すようになったら最近色んな事が上手くいき始めた。まだ始まりだけれど、冗談半分でこうなるんだ、と言っていた事が本当になり始め、ここに住むんだと言っていたら、本当に住む事になった。笑う。


結局、私が欲しかった物は、叶えたい未来の入り口に立てた時に貰う、認められた気持ちだったのだと思う。認められたと気づいたら入り口にいる、そしたらもう、後はそこから走るだけだ。自分は出来ると絶対の自信を抱き駆け抜ける。認められないまま立つ入り口は、大体の場合上手くいかない。自信が無くて減速し、いつか足を止めてしまうからだ。

進むしかない状態になると人は自分の事に夢中になるから、他人がどこで何をしていようが気にも留めなくなる。SNSに蔓延っていた嘘も自慢もいいニュースも悪いニュースも全て、どうでも良くなった。何も知らない他人から飛んでくる言葉に目をくれる時間もない。その時間があるなら走るに決まってんだろ、といった気分になる。ある種のゾーン、無敵状態だ。

私は今、それに近しい所にいる。


いつか筆を折る日が来るのかもと、デビューしてから考える事がある。けれどそれは、白いパーカーに飛ばしたカレーの染みみたいなもので、洗ったり、漂白剤をつければ消えてしまうくらいのもの。

でも、多分そんな日は来ない。

私は貪欲で、這いつくばって泥水啜っても、機会を奪われても、嘆きながら何かを綴っているはずだ。挑戦し続けるはずだ。文句を言いながらも折る事だけはないはずだ。だってどれだけ売れなかろうが、自信を奪われようが何だろうが、歩き続けないと何も叶わない事を知っている。

下を向き涙を流しても、救いの手が伸びて来ない事を知っている。弱腰で震えていても、誰かが助けてくれるような人間ではない事を26年の人生で分かり切っているのだ。絶対の味方が隣にいるわけでもない。私は有難い事に、家族や応援してくれる人、多くの人たちに大切に思われているのを理解しているが、その中で唯一にはなれないのも知っているのだ。

なら立つしかないだろと分かっている。どれだけ矢が飛んでこようが、諦めそうになっても、過去だけが輝こうとしても、人は前に進む生き物だから。足を止めたら地獄の淵で停滞し続けるだけだ。

歩き続けた先で見た、空の青さを私は知っているから。

誰かは強いと言うだろう。そんな風に思えるのは君だけだよ、皆そうやって強く思えないんだよ、分かってよ、って。

これに関してよろしくない言葉で一蹴すると、うるせぇ知るか。これに尽きる。

所詮人間なんぞ、君も私も皆、他人の気持ちを1から100まで推し量る事なんて出来ない。皆、自分の方が大変だと思い込むだろう。だってその人がどんな生き方をしてきたか知らないんだから。

片鱗はあっただろうが、強くなったのは積み重ねてきた時間があるからだ。涙を流し、立ち止まっても救われなかった日々があるからだ。だから、誰かに対して手を伸ばそうと思えるようになっただけの話。

分かってよ、なんて酷い傲慢だ。理解されたくば相手を理解しろと、私は本気で思ってしまう。後残念ながら、どれだけ歩み寄ろうとも絶対的に分かり合えない人間は存在する。これはどうしようもない事だ。

こっちから見れば理解して、と大声で嘆く人間ほど図太くて傲慢だと思ってるので、そういう人には総じて、まぁ元気だねと思っておけばいいのである。

時間は有限だから、どうでもいい人間に構っていられるほど人生は長くない。

これだけ分かっていれば、後はいくらでも前を向けるだろう。どんな言葉に傷つこうが、ふとした時、いや構ってる時間が無駄だと気づく瞬間に自分のために時間を使おうと思えるだろう。

有限の時間の中で何をするか。私は振り返った時、ああちゃんと意味があったと思えるような、どこまでも歩き続けたいでありたい空の青さを持つ時間であればいいと思い続けている。

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