始めから、終わりの決まった物語
「泣いてる?」
白い花が咲き誇る草原、足音も人の気配すら感じなかった背後から声がかけられた。背負っていた剣を咄嗟に握り振り返る。まだ幼い身体に合わぬそれを抜くのは時間がかかった。
けれど剣は抜かれなかった。背後に立っていたのは見知らぬ女性。それもボロボロだ。着ている服の裾は破れ、あちこちに血が飛び散っている。露になった腕は傷だらけで淡いベージュの長い髪は乱れていた。
女性は大きな瞳をぱちくりと瞬かせた。水色の瞳は透き通りまるで晴れた空のようである。曇天の空の下、そこだけ晴れ間が覗いている気がした。
女性は何故か、自分を見て眉を下げ柔らかに微笑む。それは今まで出会ってきた人間からは見た事もない表情だった。その顔が示す意味を自分は知らない。けれど何故か安心感を抱いた。
「大丈夫?怪我した?」
女性は一歩ずつ近づいてくる。花を踏まぬよう器用に避けながら目の前に立った。頭一個分以上違う女性は自分の前でしゃがみ込む。自然と、剣に触れていた手が離れた。
「貴女の方が怪我をしている」
着ていた服の袖を破ろうとしたが女性の手がそれを止める。
「私は大丈夫、痛くないよ」
「そんな訳が」
「本当だって、信じてよ」
自身の膝の上に肘を乗せ、頬杖をつく女性は笑みを浮かべた。
「君はいくつになっても変わらないねぇ」
「?どういう、」
「まぁいいや、何で泣いてたの?いじめられた?嫌な事でもあった?」
お姉さんに話してみなさい!胸に手を当てる女性に、何故だか全てを話してしまいたくなった自分じゃその場にしゃがみ込む。踏んだ花が甘ったるい匂いを発した。
「責任が、重くて」
「責任……」
「勇者の剣を抜いた」
背負った剣で戦うにはまだ大きすぎる。けれど甘えた事など言えるわけもない。
「それに後悔はない。王家に少しでも尽力できるなら、それに越した事はないと思った」
第二王子として生を受け、王位を継ぐ優しい兄の助けに、少しでもなれたなら。けれど事は思っていた方向には進まなかった。
「剣を抜いた事で兄上との関係が変わってしまった。兄上は自分の王位を奪われるのではと恐れたのだ……そんな気はどこにもないのに」
女性は頷きながら次の言葉を待ってくれた。それがどれだけ救いとなったのか、気づくのはずっと後の事。
「兄上との確執、勇者として稽古を続ける日々、誰も、私の事見ていない」
「どうして?」
「皆王子として、選ばれし勇者として扱う。当然だと思う。けれどその期待に応えられるほどの人間ではないのだ、私は」
口に出せばどうしようもない弱音。でも、心の底から思っていた。結局どんなに頑張っても、自分自身を見てくれる人はどこにもいない。血の滲むような努力も、耐え続けた日々も、何のためにあるというのか。
世界を救えなんて言われても、出来るわけがないと思ってしまう。だって自分は特別なんかじゃない。
どこまで行っても、ただの人間だ。
ポロリと、頬を雫が伝った。雨ではない事を温度が教えてくれた。ああ情けない。名も知らぬ女性の前で涙を流すなど、王族の恥だ。勇者は弱い所を見せてはいけない。どこまで行っても前向きで、人々に希望を与えなければならないのに。
どうして自分は。
不意に、頬を傷だらけの手が撫でた。温度はない。けれど柔らかな感触。顔を上げると女性が微笑んでいた。何故だか悲しそうな顔で、それでも瞳には感情が籠っていると気づく。
「きっとこの先、沢山辛い事があって苦しい事の連続で、星さえ見えない夜が何度だってやって来ると思う」
「そんな―」
でも。女性は親指で涙を拭ってくれた。
「どんな辛い事があっても君なら大丈夫」
花が揺れた。風が吹いた。女性の体温が、感じられた気がした。
「私は知ってる。君は誰よりも真っ直ぐで責任感が強く背負わなくてもいいものまで背負っちゃう。周りが重荷を分けて欲しいと願っても、強引に引っ張らない限りそれを渡してはくれない」
「どういう……」
「でもね、それはきっと君の魅力なんだよ。どこまでも真っ直ぐで誰よりも人を大切にするから、沢山傷ついて苦しんでも前を向ける。希望を、信じていられる」
女性は空いた右手で左手を握って来る。
「だから、一人にしたくなかったんだけどなぁ」
呟かれた一言は確かに耳に届いた。意味は分からない。まるで女性は自分の事を知っているような口振りだ。けれど自分は知らない。それなのに会った事もない彼女の事を、信用出来てしまうのは何故だろう。
「忘れないで」
女性は手を強く握りしめた。
「君は誰よりも愛されるべき人だから」
「え……?」
「いや、違うな。君は君が思っている以上に多くの人に愛されるんだよ。そして多くの人を愛するの」
「……知ってるような口振りだ」
「例えそこに愛した人がいなくとも、君は絶対に、前を向いて生きていく。生きて、生きて、生き続けて、未来を愛する」
不意に、女性の瞳から涙が流れた。まるで宝石のように綺麗な雫は太陽が隠れているのに反射して輝いた。
「例え君が全てを見失っても、私がずっと、君を愛してる」
どういう事だと、問おうとした。けれど吹き荒れた風に思わず目を瞑る。再び開けた先、そこに女性はいなかった。
「は……」
雲の隙間から太陽が覗き花畑を照らす。人影はどこにもない。けれど頬に触れていた感触は確かに、女性がそこにいたと教えてくれた。
これが、物語の始まりだった。
「だーかーらー知らないって!」
「なら私は一体誰と会ったのだ」
「知らないよ!予知夢でも見たんじゃない?」
酒場にて、ジョッキ片手に夢でも見たんだと頬杖をつく女性に腕を組む。隣にいる仲間はやれやれと言った様子で距離を取ろうとする。逃すものかと手を伸ばせば彼女も同じ事を思ったのだろう、両隣に座る仲間を引っ張って席に着かせた。
「酔ってたんじゃない?」
「子供だぞ」
「じゃあ何?私は会った事無いって。あれが初対面だよ」
ほら、あれ。女性の言葉に斜め前に座っていた従者が答える。
「城下町で勇者様が見つけたって言って離さなかったやつですね」
「あの時私は魔法使いとしての腕を買われて言われたと思ったのに」
女性―幼少期に会った女性とそっくりの彼女は大陸一の魔法使いの弟子だった事を後から知った。長い髪はくくられ、空色の瞳は濁る事を知らない。服だって綺麗で怪我は一つもない。けれどあの日見た女性と全く同じ容姿で同じ声だった。
違う事と言えば自分が成長したから彼女の背を見下ろす形になった事くらいだろうか。
初めてすれ違った時、見間違えるものかとその腕を掴んだ。間違いない、あの人だ。振り向いた彼女に見つけたと言って、何が?と返されたのは数年前だと言うのに記憶に新しい。
「ていうか~マジのやつなら今のこの子じゃないんじゃないですかぁ?」
隣に座る露出が激しい女性の仲間がしゃっくりをしながら答える。飲み過ぎだよと彼女がジョッキを奪おうとしたが上手くいかずおかわりを頼んでしまった。
「どういう事だ?」
「時間魔法じゃなくてぇ?」
「まさか!そんな事してたら私死んでるよ」
「時間魔法とは、禁術ですか?」
従者が恐る恐る口にする。時間魔法と空間魔法はこの世の摂理に反する魔法だ。扱える人間はおらず存在すら定かではない。けれど記述に残っている事を考えると実際に扱った人間がいるのだろう。
「そう、でも時間魔法は命と引き換えだよ。それに時間の狭間で彷徨って無に帰るって言われてる」
「魂が消えるという事か」
「うん。運よくどこかの時間に訪れて消えれたら、魂は世界に残るから生まれ変わる事が出来るって師匠が言ってた」
「かの魔法使いは使った事あるのかねぇ?」
「使ってたら死んでるから無理でしょ。あ、でもこの前死んだから最期に実験としてやったとか有り得る?……ないか」
「言い方」
彼女は串焼きを手に取る。じっくり焼かれた鶏肉にはスパイスがかけられており、美味しそうに頬張ってその串を指揮棒のように動かした。
「そもそも、時間魔法を本当に使った場合、肉体はこの世界に残らないから」
「そうなのか?」
「時間の狭間に飛び込んだ瞬間肉体が死んで精神体になるの。だから飛び込んだ瞬間終わり」
師匠の身体は埋葬されたから使ってない。結論に至る彼女に仲間は答える。
「じゃあ未来で使うのかなぁ?」
「えぇ~ないない!」
「使わせるわけがないだろう、冗談も大概にしろ」
「うわ、勇者様こっわ」
「死なせるわけがないだろ、魔王を倒して帰ったら結婚。以上」
「うっわ~厄介なのに好かれたねぇ」
「ねぇ、ちょっと、本当に、止めてこんな所で」
真っ赤になりながら自分の口を塞ごうとしてきた彼女に思わず噴き出してしまう。年齢よりずっと大人びた考えを持った魔法使いなのに、恋愛事には疎くすぐ顔を赤くする。最初こそ自分も恥ずかしがって距離を測っていたが、押しに弱い事に気づいてからはいつもこんな調子だ。
不思議な事に、出会った頃からずっと、彼女は自分の事を王子や勇者として扱う事はしなかった。生きてる人間はみな平等。それが彼女の信条だった。その言葉にどれだけ救われたのか分からない。
だからこそ他の仲間たちは自分に敬語を使うけど、彼女だけは対等な立場で話をしてくれる。どれだけ心地いいのか、きっと誰にも分からないだろう。
愛する人と未来を生きたい。王子でも勇者でもない、ただの人間としての願いだった。だから魔王を倒そう。誰一人欠ける事無く勝って帰って、褒美に彼女との未来を望もう。王位も名誉も何もいらない。
全部が終わったら。あの花畑の近くに家でも建てて平和に暮らしたい。それが、自分たちの願いだった。
けれど願いは叶わずに終わりを告げた。
魔王を討ち全てが終わるはずだった。けれどその肉体は滅ぶ事を知らなかった。どんな攻撃を与えても必ず蘇ってしまう。
「そんな……」
最初に絶望したのは誰だろう。最早立つ事さえ出来ないほど傷ついた仲間たち。剣を握る手に力すら込められず、ただ彼女だけは守ろうと前に出た。
しかし、彼女は立った。蘇ろうとする魔王を杖を構え自分の前に出る。
「何を―」
「やっぱり使うしかないかぁ」
不釣り合いの明るい声が魔王城に響く。彼女は呪文を唱え始めた。そして、魔王の背後に切れ目が現れる。
時間の狭間だった。
「な、んで」
「行ってくるね」
振り返った彼女の姿に既視感を感じる。
「ちゃんと長生きしてね、結婚は……したかったら誰か見つけて」
「駄目だ、止めてくれ」
「まぁでも、私よりいい女見つけられないかも?なんて」
ふふっと冗談交じりに笑う彼女がどうしようもなく綺麗で。どうしようもなく儚くて。
どうしようもなく愛おしかった。
「嫌だ、こんな終わり方、駄目だ」
「世界を救わなきゃだよ」
「救った世界に、君がいないと意味が無いんだ」
零れた本音は愛しい人へ届いた。困ったように微笑んで、私も同じ気持ちだと呟く。
「忘れてもいいよ」
彼女は杖を構えた。
「でも生きてよ。王子だからとか、勇者だからとかじゃなく、私が好きになったただ一人の君が幸せになる事だけを願ってる」
それだけが望み。
魔王の身体が時間の狭間に放り込まれる。触れた瞬間、叫び声を上げ灰となり消えていく。
「開けた人間が入らない限り、切れ目は閉じない」
一歩、また一歩、近づく彼女を抱き留める。駄目だいかないでくれ。一人にしないでくれ。君がいなければ世界なんて救った意味がない。言葉は脳に浮かび続けるのに、喉を通って声になる事が出来ない。嗚咽で全てが掻き消されてしまう。
馬鹿みたいに泣きわめいて必死に彼女を止める。すると彼女は思いっきり頭突きをしてきた。痛みでよろめいた身体を杖が後ろに吹き飛ばす。
最後に見た君は、あの幼い日に見た姿と同じだった。
「さよなら」
大好きだよ。唇だけが動き彼女の身体は時間の狭間に飲み込まれる。散り散りに消え切れ目は閉じた。
空を覆っていた赤黒い雲が晴れ、彼女の瞳と同じ青空が広がる。それが眩しくて仕方なくて、とめどない涙と慟哭が、朽ち果てた魔王城に響き渡った。
『いいか、お前に時間魔法と空間魔法を教える』
『師匠それ禁術じゃないんですか』
『禁術じゃ。だがお前にはいつか必要となるかもしれん』
『発動したら死ぬのに?殺すつもりですか?』
『いいから聞けばかもん』
いつかの記憶、かび臭い塔に篭った大陸一の魔法使いである老人は珍しく私を呼び出した。この部屋、埃ばかりだから入りたくなかったのに。そんな私の思考とは裏腹に突如として禁術の話をして来た師匠に一体何の心境の変化かと伝えるが一蹴される。
今憶えば、師匠は最初から私が魔王討伐のメンバーに選ばれる事を分かっていた上での選択だったのだろう。魔王が不死身である事を知らなければこんな危ない魔法を教えるわけもなかった。結果それは功を奏した。
『いいか、時間魔法と空間魔法は同義じゃ』
『同じなんですか?』
『ああ、時間魔法というのは文字通り時間を遡る事。空間魔法は時間魔法が使える狭間を開く事じゃ』
『つまり、空間魔法で狭間を開き中に入らない限り時間魔法は使えないって事?』
『そういう事じゃ』
師匠は分厚い書物を渡してくる。切れたページの片隅、呪文が書き記されていた。
『時間魔法に致死性はない。じゃが空間魔法を使い開いた狭間に、全ての生命が耐えられんのじゃ。魂すらも消し去ってしまう』
『狭間に入らなきゃ時間魔法は使えない。けれど狭間に入った時点で死ぬ』
『さらに狭間は開いた人間が入らぬ限り閉じん』
『じゃあ使う意味無くないですか?入ったら死ぬんでしょ?』
『肉体を失った生命は精神体と化す。そこで運よくどこかの時間に辿り着き消えた場合魂は世界に帰る事となる』
『運よくって……ほぼ無理って事?』
『無理じゃ。優れた魔法使いでも難しいじゃろう』
『尚更使う意味がないですね』
『それでも、たった一握りの希望のために死ぬ馬鹿はおるんじゃよ』
目を細めた師匠に、これは何かあったと察する。経験したのか、失敗したのを目の前で見たのか。何にせよ教えてきたという事は思う事があったのだろう。
『これを使う事なく死ぬのを、願っておる』
目の前には精神体すらなれず消え去った魔王。透ける身体は宇宙の星々のような狭間を漂うだけ。
「分かってたんだろうなぁ」
ふわふわと、ただ流れに身を任せる。後どのくらいで魂が消えるだろうか。多分、形を保てなくなった瞬間が最後だろう。
「老い先短い師匠がやってくれたらよかったのに」
なんて、憎まれ口を叩いても返事はない。
分かっていた。彼に腕を掴まれた瞬間からずっと、魔王を倒すために誰かが犠牲になる事くらい気づいていた。それでも皆で帰ろうと、口を揃えた。帰って結婚しようと、君が言うから。
君の好きな花が咲く草原の近くに小さな家を建てて、何て事のない日々を過ごそう。王位も名声も何もいらない、ただお互いがいればいい。魔塔に篭り続ける事も、王宮で息の詰まる生活もいらない。
ただ、平凡な未来が欲しい。
君がそう言ったから。私は馬鹿みたいにそれを信じていた。いや、信じるしかなかったのだろう。ベッドの中で抱きしめ合って、叶いもしない未来の話を繰り返した夜がいくつあっただろうか。
恐怖で潰れそうになって、明け方まで話した日があった。昼下がりの道で軽口を叩きながら笑い合った日々があった。酒場で酔って泣きながら皆に感謝を伝えた君を爆笑した日もあった。剣を振るうその背中を何としてでも守ろうと杖を構え続けた。
愛していたのだ。どうしようもないくらい。
たった一人の君を、愛していた。
「会いたかったなぁ」
最期に一度くらい。さよならで終わらせる物語なんて悲しくて仕方ない。このまま消えるのを待つくらいなら、一言くらい君に言ってやりたい。何でもいい。憎まれ口でも構わない。
ただ君に、会いたかった。
そんな願いが届いたのか、真っ白な花が咲き誇る草原に出た。え、と声を漏らす前によく見た剣を背負う小さな背中が視界に入る。淡い金髪はどうしようもない愛した人の物と同じ。
あれ、これ。君が好きだって言った花だ。あの剣は、勇者の剣だ。あの髪は間違いなく君の色だ。
小さな嗚咽が聞こえ私は気づく。
ああ、なるほど。そういう事か。
これは過去だ。時間魔法で辿り着いた、過去の時間だ。
そして、これは君が私に初めて会った日の出来事で、私が君と過ごす、最後の時間だ。
私の終わりが君の始まりだった。この物語は終わりから始まったのだ。私はここで終着を迎え、君はここから歩き出す。
最初から、共に生きる未来はなかった。
なら私はどうしよう。小さな君に、何を遺そう。有難い事に時間魔法は成功した。ここで消えれば私の魂は世界へ戻り、いつかの生まれ変わりを待つだろう。
その時、君との時間は忘れ去るのだろうが。
小さな身体に不釣り合いの大きな剣。沢山の物を背負い過ぎて崩れそうな心。いくつになっても、君は君のままだ。
だからこうしよう。
私はあえて明るい声で問いかけた。
「泣いてる?」
世界で一番愛した人に遺す言葉が始まりとなる事を知った上で紡いだ。
「世界は平和になった」
咲き誇る真っ白な花の中、建てられたばかりの小さな墓石の前で立ち尽くす。甘い香りが充満する。空は彼女の瞳の色だった。
「君のおかげだ。君が命を懸けて禁術を使ったから、魔王は消え去り平和が訪れた」
跪き花冠を置く。彼女が好きだと言った花だ。小さな水色の花。
「王位は断った。元より断るつもりだったが、兄上と話をして誤解も解けた。兄上はこれから平和の維持を目指し、大陸中の国々のトップを集め会談を行うようだ。歴史が変わったよ」
大陸中の国々が手を取り合う未来なんて絵空事だった。けれど今はそれが叶おうとしている。歴史が大きく変わっていく。
「私は、しばらく旅でもしようと思う。魔王が死んだとはいえ各地ではまだ、被害の爪痕が多く残っているから。勇者として少しでも多くの人を助けたい。荷物持ちでも手伝いたいと思うんだ」
君が聞いたらきっと、お人好しと言って笑うのだろうけれど。
「家は、建てようと思ったけれど君の要望を聞き忘れたから。この手が剣を握れなくなった日にでも小さな小屋を建てるさ」
魔法の研究スペースが欲しいと言っていたが、魔法使いの住む研究施設である魔塔の内部を見た事がないから、どうせならそれを見てから小屋を建てようと思ったのだ。
「……最後に、私の元に来てくれてありがとう」
幼き日の思い出と、最期の姿が重なる。きっとあの後、自分の元に会いに来てくれたのだ。そして、言葉をくれた。
今なら分かる。彼女がどんな気持ちで言葉を遺したのか。何であんな事を言ったのか。あれは今の自分を知る彼女からの、最大級の愛の言葉だった。
最初から、共に生きる未来は存在しなかった。
それでも憶えている。再び会った時、訝しんだ顔で睨みつけられた事。研究が大好きで本を読んだら最後、眠る事さえ忘れる所。大人びた発言ばかりなのに、押しに弱くてすぐ真っ赤になるのも。軽口を言い合っては笑い合った日々も。
ベッドの中で抱きしめあいながら、叶いもしない未来の希望を口にした日々。眠れなくて背を預けながら語った明け方。酔ったらすぐ寝るからいつもいつも、その身体を抱き上げるのは自分の役目だった。
誰よりも愛されるべき人だから。それは君だ。君の事だ。今の君は世界から愛されている。きっと、そんな事どうでもいいと言うのだろうが、君がどれほど魅力的で愛情深い人だったのか、私は知っている。
君のおかげで、この物語は始まったのだから。
「生きるさ」
生きてと言われた。今すぐ後を追ってやりたいのに、そんな酷い言葉を残された。なら願いを叶えるしかない。
生きて生きて生き続けて、足が動かなくなるまで誰かを助け、腕が動かなくなるまで誰かを救おう。君があの日、心を救ってくれたから。同じように、誰かを救おう。
立ち上がった時、風が吹いて花弁が舞い上がる。目を閉じたった一言、きっとずっと、死ぬまで変わらない言葉を口にして勇者と魔法使いの物語を終わらせよう。
「君だけを愛している」
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