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君が残した365日 あとがき

※この記事には微かなネタバレ(匂わせレベル)が含みます。ご注意ください。

それでも誰かを想い残したのなら、きっとこれが本物の愛なのだと


ある日、雲一つない秋晴れがまるで世界が一つになったかのように続いていた。マスクの下、薄く開いた唇はただそんな空を眺めていた。空想も何もない、綺麗だという言葉すら頭に浮かばず、目を奪われたような感覚で歩いていた。

不意に金木犀の匂いがした。ああ、もう秋だ。分かっていたけれど、歳を取るにつれ時間はあっという間に過ぎ去っていく。週5、8時間。時折9時間、通勤も含めると一日の半分近くを労働に奪われて、その割には対価が軽すぎる感覚。使い古されたスニーカーのように、ボロボロになっても僕たちは歩き続けなければならないのか。

世界の在り方が少しでも変われば、生きる屍のような感覚を持つ人が一人でも少なくなるのだろうか。なればいいな、と思うくらいには呆然と脳裏に焼き付いた絶望感へ見ない振りをした。

金木犀の生垣には小さな花。前日の雨で散ってしまった橙はほとんど地面に落ちてしまった。アスファルト、乾ききっていない黒が反射する。跳ねた泥が橙を汚していた。小さな花は密集し地面を彩っている。けれど、踏み潰された足跡が残っていた。

次ぐ次ぐ思うのは、花の散り際には値段をつけるくせに、散った後地面に落ちたそれらを平気で踏み潰す感覚が嫌いだった。人間の残酷な所は、人を傷つけたり、武器を持って制したりする大きな規模の話より、日常の些細な場面で酷く無関心になる所だと思う。

咲き誇る桜を愛で、散る様は秒速5cm、宙を舞う瞬間が美しい。
けれど地面に落ち、流れた花びらには興味が無く平気で踏み潰す。
匂いに秋を感じ、愛で、馬鹿みたいに写真を撮る。
けれど落ちた金木犀に目を向ける事はなく、踏み潰した事すら気づきもしない。

どうも、その感覚が苦手だった。否、嫌いだった。私の美学は落ちてからも美しいから。どれだけ泥をまとい、元の形を失おうとしても、自然の中で色を変えていく様が綺麗だと思うから。落ちた花を拾う。踏まないようつま先立ちで歩く。踏みにじられる姿が、尊厳を奪われたように思えてしまったから。

落ちた金木犀に目を向けて、いつまでも気づく人でありたいと思った。アスファルトに落ちても、輝きは変わらないのだと。香りも鼻に届くのだと。そんな、どうでもいい事に目を向けた時、ふと、ここから始まる物語を書こうと考えた。

些細な日常を美しいと知るための話。見落としがちな人生の話。今日と明日の色彩は完全に同じわけでもないのに、私たちはそんな些細な事へ目を向けるのを忘れてしまうから。

日常なんて、簡単に崩れ去るのに。


書こうと思い立って、この美しさが一番映える舞台はどこだろうと考えた時、頭に浮かんだのは365日。流れた桜と、落ちた金木犀の対比が綺麗だと思った。

次に思いついたのは金木犀の特色。人間はその橙に虜になるのではなく、香りに魅了されるのだと思った。ならば始まりの五感は嗅覚がいい。視覚ではなく、嗅覚から入る始まり。


365日を書くのなら面白みがないとつまらないと思った。

多くの人が愛してくれた物語だから、後続が出るとなればある程度は愛されるだろうとも思った。何ならプロットも通るだろと思ったし、割と注目も集めるんじゃないかと、戦略的な事も考えた。

これは今、一番書きたいジャンルなわけではない。

けれどこれは今、一番表現したい世界だと思った瞬間、キーボードを叩いていた。

また同じように奪われて終わる結末は面白くないと思った。ロミオとジュリエット展開は何百年も前から人類の好物だが、はてさてそれでいいのだろうか。

もっと、美しい物語がいい。世界の美しさを知って、全てが手遅れになった事に気づかず、満たされて満たされて、けれど心に空いた穴が埋まらない空虚感に答えを探すような物語。失ってから初めてその重みに気づくなんて、人生には有り触れた事だ。


じゃあ、与えようと思った。最初から見えなければいい。病にかかり、死が迫っているというのに喜びを感じてしまうような、祝福という呪いを与えればいい。

だから、見えていく物語になった。

色を見た事のない人が初めて色彩を感じる瞬間はどんなものだろう。
感動する?言葉に詰まる?子供のようにはしゃいで、口角は上がる?それとも下がる?呆然とする?唇を噛み締める?

誰かの言葉を思い出す?

私の世界はどれだけ絶望しても色が消えない。塞ぎ込み目を覆っても、瞼の裏には美しい情景が輝いて、透明に思える記憶は水彩のよう。引き出しから引っ張り出す度に色づいてしまう。

私は私の見えている世界しか分からない。だから色の見えない人間が初めて邂逅する色彩をどう描くのか苦労した。感覚、視覚以外の感性、マックの看板は赤に黄色のMだろと簡単に出来る説明を出来ないのは酷く難しかった。

記憶と結びつく度色が増えて、世界に喜びを感じる度、ただ一つの願いさえ気づかなかった感情は空っぽになっていく。全部、遅すぎた結末。いつかの自分が味わったような、そんな思いを、読んでいる人に与えたかった。

これはある種、誰かを傷つける文章にもなったのだと思う。


最初の一文を書きたいがために君の髪と同じ色の煙を上げさせて、彼女が出てくるのにリアルタイムでは既に死んでいる状態にした。

何となく、僕と君の365日には無かった、愛とは何なのかを考えたからだろう。あの作品はいい意味で青臭く、愛と呼ぶには浅すぎて恋と言うには重すぎる話だから。

勢いで駆け抜けた365日の物語がもしその後も続くとしたら、作者がこんな事言うのも何だけど、二人はそもそも付き合わないし、付き合っても続きはしないと思っている。作者がこんな事言うのも何だけど。本当に何だけど。

長く続けるにはあまりにも価値観が違うから。ただ好きで、猛烈に好きで、その感情だけで走り抜けられるほど人生は少女漫画じゃない。

誠に遺憾ながら、あれを書いて8年も経ったので私も色んな事に気づいてしまった。現実が随分人生に入り込んでしまった。

愛とは何なのだろう。どう描けば美しいだろう。あの頃は辿り着けなかったけれど、今の私になら沢山ある答えのどれかに辿り着ける気がした。そんなこんなで色々考えて、一つの答えに辿り着く。


この物語における愛とは恐らく、自分の利益すら考えず愛する人の幸福を願い、残す事だ。


けれど人間だから。隠しきれなかった欲が、報われたかった命が見え隠れして、それに気づいてしまっただけで。本来なら気づかなかったであろう本音を隠した楓は、尊敬に値する人物ではないかと思ってしまう。

誰かの記憶に残りたくて足掻くのではなく、愛しているからこそ手を離す。これが出来る人って、とても芯がある人ではないかと思ってしまうのだ。決して強いわけではない。芯があるから出来た事。裏にどれほどの葛藤があったのか、想像するさえ出来ない。

馬鹿だから、何も気づかなくて。愚かだから、気づかない振りをしていて。そんなつけが回ってきた物語。


多分夕吾はまた、振り回されているのだろう。楓にあっちこっちと腕を引かれ、呆れながら着いていく。けれど、彼はきっと、恥ずかしがりながらもきちんと言葉で伝えるのだろう。言えなかった分まで口にして、彼女が喜ぶならやぶさかでないと思いながら。


何十回、何百回だって手遅れになった想いを伝えるのだろう。

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