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私の一番幸運な所は、

まだ遠くへ


数年前の事だったと思う。実家のベッドで目が覚めた。妙にすっきりしたような、納得がいったような気分だった。

見覚えのない氷山だった。入口には何故か鳥居。雲で隠れた頂上は見えない。ただ装備もまばらの人間たちが一心不乱に登っている。途中で足を止めた人、落ちる人、引き返す人。私は鳥居の前でそれを見ていた。

隣には母がいて、入口に立っていた住職らしき人が声をかけてくる。これを見てから登るか決めたらどうかと言われ史料館のような所に通される。私はそこを眺めてから一人で鳥居の前に戻った。

本当に行くの?何度も何度も鳥居の前で色んな人に問われる。それでも決意は変わらない。だってきっと、どのタイミングになろうとも私はここを登るから。いつか登るなら今登る。苦労も悲観も絶望も、先延ばしになんてしたくない。

気づいていたのだ。見えもしない頂上にしか、求めていたものはないと。

行ってきますも言わず足を踏み出した。吹雪が顔に当たり足元さえ見えず一歩踏み出すだけで精一杯。それでも歩き始めた。


そして目が覚めた。


そんな話を何故か思い出した今日この頃。

子供の頃からよく夢を見る。昔からよく眠る子だったからだろう。いうて夢見てるって事は眠りが浅いんですけどね。多分沢山寝てるから、もう起きろって言ってるんでしょうね。知らんけど。

不思議な事に、印象的な夢を見た日に何かが起きたりする。時計が壊れた日もそうだった。最近は面白いけどそこまで印象的な夢は見ていない気がする。憶えていないだけかもしれないけど。


氷山の夢を思い返すと、私は何故か納得してしまう。あの頃は別に、人生の岐路でも何でもなかったが、自分はここを登るんだと確信していた。あの先にしか欲しい物はないんだと分かっていた。いつか登るなら今でも変わらないと思った。

ある種の、ちっぽけで馬鹿みたいな人生の話。


空想しがちな子供だった。何かをしていても意識がどこかへ飛んでいる事も多々あった。小学校二年生の時に、「優衣羽ちゃんは優衣羽ちゃんの世界があるんですね」と担任に言われた母は感心したらしい。

あ、この人うちの子がちょっとトんでるの分かってるんだ、と。

これは悪い意味ではないけれど、両親曰く私は昔からちょっと変わった子供だった。集団生活が出来ないとか、著しく勉強が出来ないとか、そういう話ではなくて。

私は昔から私の世界があったらしい。自分では当たり前だと思っていた世界は他者にないらしいと知ったのはいつだろう。ある程度大きくなるまで分からなかったと思う。それは当たり前に息をしていたから。

私の人生の幸いだった所は、その世界を本気で潰しにかかる人間がいなかった事だと思う。もちろん、普通の世界で普通の人間でいるための教育を受けてきた。それこそ、女はこうあるべきだとかのイメージだって押し付けられてきた。でも、これは本当に幸いな事に。私の両親は私の変わっている所を本気で潰しには来なかった。

ランドセルの色だって当時はまだ、赤色やピンク系統が女子だとされてきたのに好きな色を選ばせてもらった。七五三だってそう、コスプレ好きだった7歳の私の我儘を聞き入れて、着物にドレス、チャイナドレスまで着た覚えがある。

よく憶えているのが色彩だ。私の両親は私に対して、女の子らしくしろとは言ったけれど、女の子らしい色を着ろとか、そういう事は強要してこなかった。好きな色を着て、好きな物を選べ。それを許される家庭で育った。

強制された事もあるけれど、本気で選択肢を潰された経験は片手で数えるしかない。ある事にはある。でもまぁ、分からなくもないし結果として私はここにいるからその件に関してはもう気にしてないんだけど。

それでも本当に欲しかった一番は手に入らない人生だった。誰かの一番になりたい、愛されたい、勝ちたい、何かになりたい。そんなしょうもない願望を一つ上の兄はどんどん叶えて行くのに、私は一つも叶えられなくて自分の価値を再三考えさせられた。何も出来ないどうしようもない子。他者から言われた評価を鵜呑みにして、いつしか自分までもがそう思うようになった。

そんな腐った時間を過ごしたからこそ劣等感が異常なまでに膨れ上がった。何をしても、自分は出来ないんだ。どうしようもないんだと心の隅にいる小さな私が泣く。上手くいかない事があると膝を抱えて嗚咽を上げ、今の私を止めようとする。


作家の道が開けた時、私はこう思ったのだ。

あ、やっと何かになれた。


ずっと何かになりたかった。誰かの何かでもよかった。大きなものではなくてもよかった。立場なんていらなかった。ただ、何かになりたかった。

でも私の人生は何者にもなれないまま終わるんだと悲観した幼少期からずっと、自分以外の何かになりたかったのだ。そうしないと幸せになれないと思っていたのだ。

でも初めて与えられた何かは、私の心にストンと落ちた。そうか、作家か。その才に気づいていなかったのは自分だけだったと後に知るのだが、私はやっと、何者になれた。

自分の中にあった世界を口にしても、馬鹿にされず許される立場を得たのは確実に私自身の心を救った。


さて、ようやく何かになれた私はこれだけは手放すものかと躍起になった。書く度に楽しくてどうしようもなくて、もっと、もっとと求めるようになった。叶えたい事が沢山出来た。子供の頃に諦めた夢の数々が、形を変えて手の届く場所、スタートラインに立つ権利を得た。

そしたらする事は一つだ。絶対に、欲しい物を手に入れる。貪欲に泥水啜って這いつくばっても進んで、叶えたい願いを掴みに行かなければならない。

だって、それは自分にしか出来ないんだから。


ある日突然、天から幸福が落ちて来ればいいのにと願った。誰かに愛されたり、才能が開花したり、求められたりするような、そんな馬鹿げた空想。

でもそれはあり得ない話なんだ。スタートラインにすら立てていない人間の生きる所に、ぼたもちが飾られた棚はない。

私の願いは私にしか叶えられなくて、子供の頃の自分も大人になった私にしか救えないと気づいた日からひたすら研鑽を積み重ねてきた。私にとっては努力と言えないそれは、他人が見たら引くレベルの努力だと最近知った。でも止められるわけもない。

私の人生は私の力で幸せにするものだとようやく気づけたからだと思う。


漫画を描きたかった。子供の頃に触れた沢山の物語の始まりはいつも、週刊少年誌だった。

ゲームを作りたかった。5歳、狭いアパートの一室、日曜日。父がプレイしたFF10-2に目を奪われたその日からずっと。私が物語を作りたかった。

物語を書きたかった。何でもいい。どんな形だって構わない。きっとずっと、私が作り出す空想が誰かにとって響くと信じていたから。

沢山浮かんでは諦めた数々に、手を伸ばせば叶えられるかもしれない場所に来ていた事に気づいた瞬間私は書くしかなかった。


書いて書いて書きまくって、とにかく世界に示さなきゃ。誰にも見てもらえないかもしれない。誰も気づかず生涯を終えるかもしれない。それでも続けなきゃ、書かなきゃ何も始まらないし叶いもしない。

そんなこんなで挑戦しては駄目で、また挑戦しては無理で、挑んでは負けるの繰り返しを続けぐちゃぐちゃのメンタルに全部放棄してやろうと思う日も沢山あった。何なら全部辞めて死んでやろうぜとも思った日だってある。

でもその度に思うのだ。それで辞めて誰かが同じ夢を叶えていたら、絶対腹が立つし後悔する、と。

反骨精神、劣等上等で形作られた人間性は私を大変苦しめたが、同時に最後のラインを超える前にいつも止めてくれる存在となった。

いじめられようが無視されようが、ショックで苦しいけれど、いやでもこいつらがのうのうと生きてるのが気に食わねぇな……。なら絶対届かない所まで行って鼻で笑ってやりてぇ。それが無理なら同じ不幸を味わわせてやろう。

と本気で思うし、これまで傷つけてきた人間が届かない所まで行って、え?どちら様ですか?と言いたいのだ。だって悔しいから。自分ばかりが悲しんで苦しんで悩み続けている時間を、相手は何も思わずのうのうと生きてるわけだろ?なら全部ひっくるめて先へ行こうって。

いつも、何をしていても、そんな考えが頭にある。


そのせいか、唯一手に入れた居場所でもっと上を目指すべく私はちょっと自分に対して困るくらい完璧主義になった。上手く書けなかったら何してるんだって責め続け、書くスピードは速くても一つ一つ命を削るような書き方をしてしまう。まじでこれ直すべき。

コンスタンスに出せないとなると、どんな理由であれ自分の力量不足を責め続けるのだ。ちなみにこれのせいで何十回ドツボにハマったか分からない。

本気だからこそ研鑽を続け、本気だからこそ悔しくて仕方ないのだ。

同じ界隈の誰かが上手くいっている所を見ると自分と比べて情けなくなり、おめでとうすら言えないくらい落ち込む習性があるから、界隈が同じ人と仲良くなれなくなった。誰かの出版報告が、私の首を絞めるようになってしまったからだ。

そんな日々を続けて、ぺしょぺしょになりながらもようやく。最近になって手が届くかもしれない所までやってきた。そして私は氷山の夢を思い出す。

ああ、結構上ったんだな、と。

今は山中で一時的に雲が晴れている場所なんだろうな。きっとここからどう転がっても必ずまた雲で見えなくなるんだろうな。それでも同じように震える足を叩き、泣きそうになる心を奮い立たせて私はまた前に進むんだろうと思った。


努力をして来たとは言わない。私にとって、好きな事を続けるのは努力と言えない気がするから。でも他者から見てこれが努力だというのなら。積み重ねてきた時間があると言おう。馬鹿みたいに一心不乱になって書き続けて、叶えたいもののために沢山捨てて向き合い続けた。何もせず得た場所じゃない。私は私のために頑張って来たのだと言おう。


指の隙間から零れ落ちた有り触れた日常も、足元に転がった普通も、割れて形を失った愛も、全部、全部拾えなかった物ばかりで。ガラクタのようにすぐ後ろで積み重なっている。

自己肯定感は相変わらず低いけど、でも言おう。自己肯定感は=自分への自信ではない事を。

私はちゃんと自信があるよ。積み重ねてきた馬鹿みたいな時間が、何度も折れてはガムテープで補強してきた心が、書き続けてきたこの手が、私に自信をくれたから。

ちゃんと、何かを成し遂げるために必要な努力を出来る人間だって私自身が分かったから。他の誰に何を言われようとも、私は胸を張ってぐちゃぐちゃだった時間に意味はあったと伝えよう。

だから、頑張って来たのではなく。

ここからも頑張るんだよ。例え掴み損ねても、一度掴みかけたならもう一度同じ所に来れるはずだから。過去形にするのではなく、ここからもずっと足を踏み出し続けるのだ。あの頃の私が目を輝かせた願いを、今の私が叶えに行くんだから。


26年生きてきて、ようやく言える事がある。

私の一番幸運な所を上げるなら、人生を変えるほどのめり込むものに巡り会えた事だと。

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