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勉強すると「平均」に近づく〜AIが証明した学習の終着点

なんとなくの思いつきなんですが、

これまで「勉強」というと、
何か「専門性を高める」というイメージがありました。

パラメーターで言うと「どこかが尖る」といった感じです。


でも、今回登場したAI(姿としてはChatGPT)は、
賛同にしろ、批判にしろ、“ある代名詞”で語られることに気付きます。

それが、「平均」って言葉です。

「ChatGPTは平均を答えている」とは、
AI賛成派も、反対派も、みんな使う論調です。



これまで「勉強をすると、専門家になる」と思っていたのが、

人類の数千倍の学習をしたAIが「平均」と呼ばれてるのは

実はとても面白い現象だと思いませんか?(僕だけ?)


ここから導き出せるのがタイトルで、

学習はその人を平均に近づける

という仮説です。



先に言っておくと、
別にこれは、「だから勉強をやめろ」とかいう話ではありません。

逆に、極端な思想を持つ人は、
勉強不足→平均に近づけない→だから極端に走る

という説を唱えることも出来ます。

なかなかギリギリの発言をしてますが。


何が議題(社会問題とか?)があるとき、

勉強をすればするほど、
それに対する「賛成意見」も「反対意見」も両方耳に入ってくるので

その人の思想としては「平均回帰」していくはずなんです、基本的には。


つまり、思想が偏ってる人は、その平均回帰が起きていないのです。

その人が、どちらかの目線を学んでいないのか、あるいは無視してるのか。

どちらにせよ、「勉強不足」だからこそ、
1つの論を信じ切って強気で行動できるわけですよね。



まぁなので、
逆に言うと、
勉強すればするほど、本当は人はつまらなくなっていくんだと思います。

GLOBISとか見てると、
話は面白いけど、結論がないことが非常に多いんですよね。

登壇者の皆さんは、色々知りすぎた結果、これといった結論が出せないんじゃないかと思うのです。


実際、僕も大学でデザインについて勉強すればするほど、
「デザイン」について何も言えなくなっていく
のを感じています。

「不便を解消するのがデザインだ!」と叫んでいた学部1年生。

でも、昨今はあえて不便な道具を作ることで、人の生活力を強化するようなデザインもある。

こうなってくると、なーんも断言できなくなってしまうわけです。


「結論がない」のは、悪いことだという風潮があります。

しかし、今後はそうでもなくなってくるのかも知れません。


アメリカとかだと、そういう「意思」はみなさんはっきり持ってるそうですね。

そう言う話を聞くと、僕はアメリカには行けないなぁと思うわけです。

「お前は何がしたいんだ?」と聞かれても、答えることが浮かびません。

なんせ、自己紹介すらまともに何を喋ってよいのか分からないので。。




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