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エイトシークエンスは多民族が暮らすまち

エイトシークエンスでは、オーナーシップの開放を大切にしています。

"らしさ"による自然体な幸せの実現という存在目的は、オーナーシップと大きく結びついていると考えています。

オーナーシップが開放されるほど、一人ひとりの"らしさ"が輝きはじめます。

そして同時に、すべての人が違うということが当たり前で、それが自然な状態になるのではと思います。
そうなるとどうなるか。
怒りや恐怖の多くがなくなってくるのではとわたしは考えています。

みなさんはペットに「自分のことをわかってほしい!」と怒ったりするでしょうか?
赤ちゃんがお漏らしした時、「なんでトイレでしないの!」とは思わないですよね。

でも、会社のメンバーや友人、家族に対しては「なんであの人はそんなことをするんだろう」とか、
「普通はそういうことしないよね」といってイライラしたりモヤモヤしたりする。

それは、

「この人は自分と同じ。だから自分の当たり前は相手にとっても当たり前」。

だって同じ会社のメンバーだから。
だって友人だから。
だって家族なんだから。

それ以外にも、
社会人なんだから。
営業なんだから。
男(女)なんだから。
大人なんだから。

などなど、
こうやって同類の枠の中をつくってしまうと、わたしの当たり前が相手の当たり前になり、自分の思うような行動をとらないと違和感になり、怒りや恐れを生み出してしまう。

でも、よくよく考えれば、わたしの当たり前は相手の当たり前かどうかは、対話をしてみないとわからないわけです。

同じ言葉も人によって解釈は異なります。
だから、行動が異なるのは、ただの違いなのです。

むしろ、生きてきた背景の全く異なる者同士が、こうして互いの解釈を理解し、重ね合わせ、共に過ごしていることそのものが、喜びに満ちた奇跡ではないでしょうか。

頭ではわかっていても、実生活ではGAPを感じざるを得ないことも多くあると思います。

わたしが今しっくりきている考え方は、『民族』という考え方です。

民族には独自の言語、服装、慣習、文化があるように、一人ひとりが使う言語、服装、慣習、文化は独特なものであり、それはまさに"らしさ"が表面に出てきたものです。

また、一人ひとりが民族の首長であるというレンズでみてみるとどうでしょうか。
民族の代表として、"らしさ"が誇り高く見えてくるのではないでしょうか。

エイトシークエンスは民族の代表同士が集まって街を創っています。
民族が異なりますから、「普通は」「当たり前」という考え方がありません。

互いが持つ概念を理解し尊重し、共に存在目的に向かい手を取り合う。
そのために対話を中心に据える必要ある。
そんな考え方がしっくりきています。

また、行動規範やルールといったものは、価値観の異なる民族同士が手を取り合い、存在目的に貢献するために必要な共通認識なのだと思います。

そうすると、民族が増えたり、絡み方が変わったりすれば、当然、関わり方が変わり、行動規範やルールが変わったりするのは当たり前です。

その都度、変えたり、捨てたり、進化させたりすればよいのではないでしょうか。

当たり前がないのですから、こうすべきもないわけで、その時その時を大切に手を取り合いながら生きていくのが、なんだか自然な感じがするのです。


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