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NPOと研究者の協働

プロフィール記事でも少し書いた通り、2019年度の立ち上げ時期より、認定NPO法人カタリバ「みんなのルールメイキングプロジェクト」に、外部研究者として協力・参画させていただいてきた。

その経験をもとに、NPOと研究者の協働について話題提供させていただく機会があり、いろいろと振り返る機会になったので、少しまとめてみたい。

なぜプロジェクトに関わったのか

そもそも研究者である自分が、なぜこのプロジェクトに関わることになったのか。それは、自分自身の問題関心と結びついていたというのがまずは大きい。

シティズンシップ教育/主権者教育や、子ども・若者の意見表明・参画に関心を持ってきた自分は、当時取り組んでいたアメリカの理論や実践の研究、あるいは細々と日本で取り組んできた活動や現場との関わりを通じて、子どもたちの市民性や主権者意識を育むには、特定の授業やプログラムだけでなく、学校の日々の経験が土台として大切であり、学校という身近な場所で子どもの声が尊重され、参画できる環境が必要だと感じていた。

また、子どもの意見を聴くことは、子どもの側の学びや成長だけでなく、大人の側にとっても重要な意義があり、学校をより良くしていく鍵になるとも考えてきた。

ただ、そうした問題意識を抱いていたものの、それを「実際に形にする」ことは、一研究者の力では難しいのも実情であった。そんな折に、生徒参加での校則見直しやルールづくりを進めていきたい、しかも校則を変えることだけがゴールではなく、そのプロセスを通じて生徒や学校にポジティブな変化を生みだしていきたい、という「みんなのルールメイキングプロジェクト」が立ち上がるとのことで、これは自分の問題意識とも重なるところが大きいと感じたのである。

そんなご縁もあり、以来何年にもわたって、さまざまな形でこのプロジェクトに関わらせていただくようになる。

どのようにプロジェクトに関わったのか

プロジェクトへの関わりは、実に幅広いものであった。

今でこそ多くの学校に広がりを見せるこのプロジェクトだが、立ち上げの頃(2019~2020年度)は、「校則」というセンシティブなテーマに手をあげる学校はなかなかなく、そうした中で思い切って取り組んでみようといういくつかの学校が、いわばモデル校として実践を作っていくことになった。古田は、その中の1校である安田女子中学高等学校(広島県・私立)の実践に、主に携わらせていただくことになる。

一般的に、教育学の研究者が、現場とどのように関わるかという形はいろいろある。研究者は実践には関与せず、あくまで実践の「観察者」に徹し、(例えば教室の後ろに座ってひたすら実践の記録を取ったり、質問紙調査(いわゆる「アンケート」)を実施したりするなどして)実践を「客観的に分析」する、といった関わりもよくある。けれども、自分の場合は、研究者として実践から一歩引くのではなく、実践を考えるチームに自分自身も一緒に参画し、プログラムを考え、一緒に実践の現場に入り、現場で起きていることを見取り、振り返り、改善に向けた提案をし…と、ガッツリと実践に関わる形をとった。いわば実践と研究を一体的に融合させ、研究しながらそれを実践の改善に繋げていくという形である(こうした関わりに基づく研究を「アクション・リサーチ」と呼ぶ)。この基本スタンスは、以降の関わりにも引き継がれていくことになる。

この安田女子中高での2020年度の実践に基づく研究は、以下の論文にもまとめています。ご関心があればどうぞ↓
古田雄一「生徒参加による対話的な校則見直しの市民性教育効果と課題―安田女子中学高等学校「ルールメイキングプロジェクト」の事例から―」『国際研究論叢』第35巻第3号, 2022年, pp.97-116.

この初期の頃の関わりでは、効果検証のような調査研究を手伝うという意味合いもありつつ、自分がそれまで研究してきたことなどを活かし、実際にモデルとなる実践を一緒に開発する、という、いわば「社会実装」への参画でもあった。

その後、2021年度からは、「ルールメイキングをやってみたい」という学校が徐々に増え始め、実践の規模が広がる中で、よりさまざまな学校で起きていることをしっかりと捉え、生徒や学校にどのような変化が生まれるのか、あるいは学校によってどのように効果や課題に違いが起きるのか、きちんと把握し、改善に繋いでいくことが大切ということもあり、自分以外にも数多くの若手研究者や大学院生の方に参画してもらい、チームを組んで、調査研究を進めていくこととなった(古田はその統括的なな役回りを担当)。
調査研究報告書は こちら(多くの方々のご協力による、60頁超えの力作です…!)

2022年度には、ルールメイキングプロジェクトが学校にもたらす変化は、導入してすぐに起きるようなものだけでなく、生徒さんや先生方の粘り強い取り組みを通じて、じわりじわりと、また他の取り組みや変化と結びつく中で起きていく変化もあるのではないか、という問題意識から、学校の「その後」をきちんと追う、中長期的な変化の検証にも取り組んだ。
調査研究報告書は こちら

こうした調査研究への協力とともに、活動自体への協力(例:「みんなのルールメイキング宣言」作成協力、教材作成協力、イベント登壇など)もさせていただいた。また、2022年夏には、それまでの実践の軌跡をまとめた書籍『校則が変わる、生徒が変わる、学校が変わる』(学事出版)の出版にも携わらせていただいた。・・・と、こうして書いていくと、我ながら実に深く多面的な関わりをしてきたものだと思う。

研究者がNPOの活動に協力する、といったときには、例えばNPOから調査研究の委託をして、それに応える(調査研究を設計し、データをとり、分析し、結果をフィードバックする、調査報告書をまとめるなど)といった形も当然あり得るだろう。ただ自分の場合は、そうした関わりにとどまらず、プロジェクトをより良く進めていくために、一研究者としてできる協力を様々にさせていただいた、というものであった。ある意味で、プロジェクトへの参画全体が一つの「アクション・リサーチ」であったともいえるかもしれない。

なぜ自分がそのような関わり方を選んだのか。それは一つには、冒頭で述べたこととも重なるが、自分一人では「こういうことが必要ではないか」という問題意識にとどまってしまうものを、実際の実践に昇華させ、その中でさらなる検証をしながらより良く改善し、またそれを幅広い現場に展開していく、そうしたNPOとのコラボレーションに大きな魅力や可能性を感じたためであった。

同時に、この分野に浅学なりにも取り組んできた研究者として、非常にチャレンジングなプロジェクトに対し、自分がもつ知恵や力で役立つものがあるならば、できるだけ惜しみなく還元したいという思いもあった。また研究者という立場から見えることを、課題や批判も含めてしっかりと伝えていくことが、誠意でもあるし責務でもあると考えていた。ただ、それが「評論家」のようになるのは違和感があり、一緒に課題を引き受けながら考えていくというのが、自分なりの関わり方の着地点だったのだろうと思う。

※なお、アカデミックな研究蓄積としてみたとき、例えば上記の紀要論文や調査研究報告書でまとめた知見などは、「第一歩」として捉えている。どれだけ「辛口の友人」に徹したとしても、NPOとの協働関係のもとで進めた研究であるため、どうしても「客観的」な分析ができないのでは、ともいえるためだ。むろん、研究者として関わる以上、(もちろん制約もあるのだが)可能な限り学術的に厳密な方法で、そこで起きていることを丁寧かつ精緻に分析しようと心掛けてきたのは言うまでもないが、限界もある。だからこそ、こうして生み出された知見は、「検証可能性に開かれている」と考えており、他の研究者も参画しながら、より様々な形で検証が継続されていくことが大切なのだと思う。

NPOにとっての研究者―“辛口の友人”

プロジェクトに関わる際、研究者としての自分が意識してきたのは、いわば「辛口の友人」(批判的な友人、critical friend)であるということであった。

NPOが実践の意義を示しムーブメントを広げていく、あるいは政策提言などに繋げていくために、「エビデンスが大事」「エビデンスが欲しい」という声を耳にすることも増えてきた。主観的な「感覚」だけでなく、客観的な「データ」でもって、取り組みの意義や効果を示すことは、安易な思い込みだけで実践を広げたり政策を作ったりせず、しっかり検証を経るという点で重要だし、エビデンスを効果的に活用すれば、取り組みの意義をより説得的に示すことができるという思いもあるのだろう。

研究者としてNPOのプロジェクトに携わることは、まさにこの「エビデンスを提供してほしい」というニーズと向き合うことに繋がる。その応答のしかたも色々と考えられるだろうが、自分としては、いわば「都合の良いエビデンス(データ)」だけでなく「都合の悪いエビデンス(データ)」も含めて、返していくことが、研究者としての誠実さだと考えていた。

ただその代わり、単に課題を突き付けてあとは任せるのではなく、やはり一緒に考えるというスタンスは大事にしていたのは、先に書いた通りである。

あるいは、「こんな効果がある」「こんな変化が生まれた」ということが見出されたとしても、それは何らかの条件があったからこそ生まれえたかもしれない。他の学校でも同じようになるとは限らない。むしろどうすればそうした変化が生まれるのかという条件も含めて丁寧に見ていくことが必要ではないか―そうした「いいね!」に対する「留保」を示すことも、自分の役回りだったように思う。

異なる立場の人が関わるからこそ見えるもの、発見できることがある。協働においては、そうした「違い」を前提に、その「違い」をいかに「価値」に変えていけるかが大切であることを、こうしたことからも再確認できるのではないだろうか。

NPOと研究者の協働の発展に向けて―大学院という場に携わる立場から

もっとも、こうした関係性を築いていくのは、言うは易し、行うは難しであろう。今回のカタリバとのプロジェクトにおいて、そうした関係性を築きながら協働を進めていくうえで、鍵となっていた要素はいろいろとあるが、その一つに、NPO側・研究者側それぞれの、互いの視点の理解があったと思う。

自分自身は、もともと学部・院生時代から細々と活動をしてきたような経験もあって、研究者の中でも、比較的NPOで実践している方々との交流もあり、そうした方々がどういう関心をもっているのか、想像力を働かせやすかったように感じる。

他方で、カタリバの「みんなのルールメイキングプロジェクト」チームの中にも、大学院を修了したり学んだりしている方が複数いたため、アカデミックな研究や研究者の考え方について、かなり理解をしていただいたのではないかと思う。非常にありがたい環境であった。

そうしたベースがあったうえで、双方にないものから学び、ともに作っていく関係性があったからこそ、一定の成果を残すことができ、またここまで続いてきたのだろうなと思う。

これは個人的な肌感覚に過ぎないが、自分が大学院に進んだ頃は、大学院で研究している人の中に、実践活動に関わる人はあまりいなかった(自分のような人は珍しがられた)のだが、その頃と比べ、教育学の大学院で学び研究する方々の背景も多様化しており、NPOを含め、実践に携わっているバックグラウンドをもつ方も増えてきているように思う。

実践活動に取り組んできた学生の方や、NPOなどで活動している方にとって、大学院で学び研究することが専門性を高めていくうえで意味ある選択肢になり、また大学院でアカデミックなトレーニングをする方のキャリアパスとして、NPOも入ってくる―そうしたことが、NPOと研究者との協働を進めていくうえでも、支えになっていくのではないかと思う。

もちろん、研究者もNPOも大学院も、そのあり方は多様であって良いけれど、その中の一つの選択肢として、こんな形もあって良いのではないか、という展望を少しばかり描いてみたところで、ひとまず記事を締めることとしたい。

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