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やりたい事・できる事・やるべき事

もはや現状の日本の中で一般的な若者は限界を迎えたのか。
日本でも若い世代に流行っている思想、FIRE(早期のリタイア)。
若者はその意味自体も掛け違えてしまっている。
日本人は昔から輸入品に対する誤解をよく起こす。
ここでいえば「リタイア=何もしなくて良い」という無気力感の矛先を、なんとなくかっこいい字面を見つけたので造語ではなく造意してみた感じ。

「仕事はお金を儲けるためのやりたくない事で、やりたい事を早い段階で迎える事が自身の人生にとって有意義だから早期にセミリタイアしたい。」
元々はこんな意味合いから生まれたもので、決して何もしたくないから早くリタイアしたいというものではなかった。

「やりたい事」と「できる事」と「やるべき事」。
この区別がしっかりとできている人にとっては、人生をいかに自分が描く通りに進めていく事ができるかが最大のテーマであり、決して何もしない事が贅沢であったり求めているものではない。
「やらされる事」「やらせてもらえる事」「やらざるを得ない事」。
日本では順当に進めば進むほどこの中での生活が待っている。
途中で道をそれる事は善では無いという、なんとも不明瞭な掟の中で生かされている若者は、常に何かの抑圧下で生活している錯覚を事実と認識してしまい、決められた方向に進まざるを得ないと思い込んでいる。

昔は良かった。
日本自体が進むべき方向が定まっており、個人ができる範囲も狭いため同じように進んでいれば、どんどん幸せという領域に近づいている気になれたから。
今はどうだろう。
大学に進んでいる学生自体がその行動の意味を見失い、高度技術やITといった専門領域から外れた人が一番感じている事は「やりたい事が分からない」というFIREを考える以前の状態が蔓延してしまっている。

ここまでくれば結果は見えてくる。
最初に表現したとおり、創られた言葉の意味を自分自身の都合の良いように捉え咀嚼し、目的に置き換える事くらいだろう。

本来の意味や目的を今一度見直して、自分にとって限られた時間を有意義に過ごせる方法を自身で考え出すことが重要であって、周りの大人は可能性がある選択肢を全て説明できるようになっていなければならない。

多様性という言葉もなんだかかっこいい表現になってきているが、決して前向きな多様性だけではない事を自覚しなければならない。
多様性は横向きでも、後ろ向きでも、斜め向きでも多様性である事。
多様に方向性がある中でその先にある何かを知り得たいという欲求を様々な人が様々な形で持つ事が多様性ではないだろうか。

仕事とは何か。
その行動的側面に気を取られてしまい、本来の意味を見失っている今。
本来の意味である仕事「人の為になる、人の役に立つ事する」という意味に戻していく事が今の大人達が全力で行う事であると信じている。

現代は
やらなければいけないことが大き過ぎるように見えてしまう。
やれることの範囲が狭くなっていると誤解しやすくなった。
やりたいことがあるのか考える心の余裕がなくなった。
今までの流れと違った世の中となっていることは確かで、それについていけていない日本のシステムがあることも確か。
若者が困惑するのも仕方ないのかもしれないけれど、そんな若者を助けられない大人が多いことは真摯に受け止めて自分自身も含め変えていかなければならない。

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