月9ドラマ『女神の教室』最終回の考察(弁護士の視点から)
「女神の教室〜リーガル青春白書」がついに完結しました。今回も、弁護士の視点で気になったことを、つれづれなるままに書き記します。
「俺からしたら、全部贅沢なんだよ!」
3回目の司法試験の合否発表を待つ桐矢くんが、すでに合格して法曹の道を歩み始めた仲間たちに伝えた言葉が、印象的でした。
私も、1回目の司法試験で不合格を経験しましたので、ドラマを見ながら、2回目の試験にチャレンジした際の記憶がよみがえってきました。試験から合否発表までの4か月弱の間は、不安にさいなまれながら日々過ごしていました。
現在、弁護士になってから8年目となりましたが、もちろん、その間には、理想どおりいかないこともありました。ただ、司法試験に合格するまでの不安な日々を考えれば、そのすべてが贅沢な悩みだと思います。
今後、法曹界で生きていくうえでは、様々な試練にぶつかることがあるかもしれませんが、それでも、司法試験合格までのプレッシャーを思い出せば、すべて乗り越えられるように思います。
「せっかく法律家になれたんだから、乗り越えろよ!乗り越えてくれよ!」という言葉に、胸を打たれました。
法科大学院等特別委員会で柊木先生が語ったこと
柊木先生が法科大学院等特別委員会で語ったことは、まさに、「女神の教室」のテーマのすべてであったといっても、過言ではありません。
法科大学院等特別委員会は、文部科学省に設置された審議会で、法科大学院の法学者や実務家が主な委員となって組織されています。法律界では有名な先生方が多数出席され、法科大学院の未来について議論する場とあって、今回の柊木先生は、かなりの大役を担っていたといえます。
法律家は必ずしもエリートである必要はない、第一に、人に寄り添える人材であるべき
柊木先生が語ったこの言葉、全くその通りだと思います。
裁判官の中には、当事者に和解を勧める際に、裁判官席のある檀上から降りて、当事者と同じ目線でお話しをされる方がいらっしゃいます。これは、「和解の話をするうえでは、上から考えを押しつけるのではなく、何よりも、当事者と同じ目線で話すことが必要である」との考えによるものです。
法律家は、高度な法的思考力を身につけることが必要不可欠です。ただそれは、「エリートになること」とイコールではありません。社会で起きている紛争を解決するためには、当事者と同じ目線に立って、どうすれば当事者が納得できる方法を導けるかを思案することが大切です。
広い視野を持つことも、法律家にとって重要な資質である
私自身、これまで法律を勉強して得られた最大の収穫は、「広い視野を持つこと」だったと思います。
法的解決について、2、3の要素を条文に当てはめて杓子定規に結論を出すだけのものであるようにイメージされる方が多いかもしれません。しかし、現実には、そのようなことはありません。法律の考え方は、むしろ、事案の中から解決に必要な(多数の)要素を拾い上げて、それを「公平」という天秤に乗せ、だれもが納得できる答えを導くことに本質があります。
そのためには、1つの事案を様々な方向性から見つめ、ときには、他人の考え方を聞いて、多様な要素(観点)に気づく能力が必要になります。
このような能力は、法律家としての仕事のみならず、人生において経験する様々な試練や悩みを克服するうえでも大切な意味があるように思います。
私自身がもっとも重要だと思うのは、人を知ろうとする姿勢です
弁護士として仕事をしていると、これまで想像したことのなかった「人の考え方」に幾度なく出会います。
「どうしてここまで、この事件にこだわるのだろう?」「どうして、この動機で犯罪にまで至ってしまったのだろう?」「なぜ、同じ過ちを何度も繰り返してしまうのだろう?」といった、様々な疑問にぶつかります。
そのような疑問に対し、自分なりに想像し、理解しようとすることが、弁護士として活動していくうえでは必要不可欠であるように思います。
また、多様な考え方を知ることは、法律家のみならず、他人と意見がぶつかったとき、もめてしまったときなど、人生の様々な苦難を乗り越える助けになるように思います。
(司法試験は)「単なる通過点ですがね」
最終回は、藍井先生のこの言葉で締めくくられました。藍井先生が、長年貫いてきた「司法試験絶対主義」を放棄した、象徴的な一言でした。
第2話の考察の中で、柊木先生と藍井先生は、ロースクール制度の理想と現実を体現しているのではないかと述べました。「単なる通過点ですがね」という言葉は、藍井先生の個人的感想にとどまらず、作中においてロースクール制度が理想へと向かっていく姿を象徴しているように思います。
現在、法科大学院等特別委員会では、法科大学院と司法修習(司法試験合格後の研修)との連携について議論が進められています。法科大学院の授業に実務的な視点をより多く採り入れることで、法科大学院教育の充実を図ろうとしています。
藍井先生が柊木先生に感化されていく姿は、まさに、現実に議論されているロースクール制度改革の行方を象徴しているように感じられました。
最後に
これまで、全11話にわたって考察を続けてきましたが、何よりも、このドラマの制作に取り組んでいらっしゃったスタッフの方々に、心から拍手をお送りしたい思いです。
柊木先生や藍井先生の授業、司法試験の雰囲気、さらには、登場する書籍の選定まで、かなり作りこまれている印象を受けました。テーマとは直接関係のない細部にまでこだわっていた点は、法律ドラマとして価値の高いものであると思います。
※詳細については、「月9「女神の教室」を弁護士視点で考察する」マガジンで1話ごとに取り上げています。
一部では、低視聴率ドラマとして揶揄されていますが、決して華やかな世界ではないロースクールの日常をテーマにしている以上、それは、当たり前のことです。弁護士や検察官が華々しく難解な事件を解決するようなテーマではなく、あえて、ロースクールという地味なテーマに挑戦したことは、素晴らしいことであると思います。
ロースクールが抱える課題は、日本の法制度全体にかかわるものです。なぜなら、ロースクールは、法制度の運用を支える弁護士・裁判官・検察官の養成機関であるからです。
このドラマをきっかけに、ロースクール制度に対する社会の認識や関心が、広がっていけばと願います。
~おわり~
※ noteで執筆する内容は、私の個人的な見解に基づくもので、所属する事務所としての見解ではございません。
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