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考えると「泳ぎ方」が分からなくなる

去年の秋頃から、「幸せ」っていうことが何なのか分からなくなった。

きっかけは、家族に「何かに熱中しすぎると視野が狭くなって、本当の幸せを見逃してしまう」と言われたこと。

人の意見に影響されすぎてしまう私は、その言葉がストレートに突き刺さり、「仕事にのめり込んでいる私は幸せじゃないんだ」と思うようになった。

それから、「本当の幸せ」とやらが何なのかを考えながら生活するようにした。仕事ばかりしすぎず、心にゆとりを持った日々を送るように心がけた。すると、時間をかけて段々と心がモヤモヤむすむずして落ち着かなくなっていった。

だけどそれは、自分の「幸せ」への理解が浅いからだと思い、ひたすらに内省・実行をし続けた。でも、「これでいいのか、悪いのか」すら分からなかった。

進んでいるのか、後退しているのか、それとも何処にも行けていないのか分からず、足踏みを続けているような。自分でも自分がどこにいるのかよく分からない。

そんな日々を続けていると、ある人から

「ゆいは考えた途端に、泳ぎ方が分からなくなるよね」

と言われて、たしかに。と思った。

これまで直感で選択したことは、すべて良い方向に進んでいる。直感ではあるものの、後で考えてみれば「最初からそうすべきだった」と思えるくらいに筋が通っていたりする。

後悔しない人生にするために、「何をする」「何をしない」と一生懸命考えまくれば、後悔が一切なくなるのかと言われると、私には分からない。

後悔したくないから、リスク回避をしたり、何かに挑戦したりするわけだけど、片方を選んだら、必ず片方の選択肢は捨てることになる。

頭でめちゃくちゃ考えたとしても、「選ばなかったほうの道を進んでみればよかった」と後悔することはないのだろうか?

考え抜いたところで、失敗も後悔もリスクも必ず避けられるわけじゃないと私は思う。一方で、「考え抜いて決めたことは絶対に後悔しない人」がいることも分かっているつもり。

でも、後悔とか、幸せとか、思い残しがあるとかないとか、そんなのはぜんぶ死ぬときにならないと分からないよ。私は。

結局のところ、考えまくっても、考えまくらなくても、同じ道に辿り着くんだと思う。

直感タイプの人が考えてしまうと、行きたい場所に辿り着くまでに遠回りしてしまったり、時間がかかったりする。だから、感じたままを選択すれば良いんだよ。(って自分に対して思った)

人はどんな思想に触れたって、自分の人生しか生きられない。いくら正論だとわかっていたとしても、「そうとしか生きられない」。

今回色々考えて分かったのは3つ。

  • 人の意見に左右されすぎない!

  • 直感で生きてる人は、考えすぎると意味がわからなくなる!

  • 自分には、自分の生き方しかできない!

人に何を言われても、自分らしく生きられなくなったら楽しくないからね。誰かの言葉にハッとさせられても良いけれど、ある程度は脳内の断捨離が必要だね。

今回もたくさん考えさせてもらえて良い経験になりました。これからも直感を信じて突っ走ります!

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