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#7 大久保中秋さんの経歴と想い

2021.08.02

初めに

こんにちは、ささです!前回は、泊鉈について紹介しました。

今回は、大久保中秋さん(以下、大久保さん)の経歴や想いについて紹介していきます。朝日町で唯一の泊鉈生産者である、大久保さんの人柄に触れることができます!

取材には、大久保製作所さんにご協力いただき、一部写真は朝日町観光協会の上澤聖子さんからご提供いただきました。


<1章 これまでの経歴>

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大久保さんは、朝日町桜町の大久保製作所で鍛冶屋として働いています。なんと今年90歳で、75年もの間、現役でこの仕事を続けておられます

大久保さんは小学校卒業後、すぐ仕事を始めました。弟子入り前は、戦時中で軍事工場に行っていました。戦後の昭和20年、桜町の鍛冶屋に就職することになり、最初は井の助親方に弟子入りし、鍛冶屋の基礎を教えてもらいました。その後、泊鉈の作り方を学ぶために、越間円次郎親方に弟子入りします。自分の商品のシンボルである刻印について、円次郎親方は桜の中に円の字を書いていたため、親方の技術を引き継いでいるという意味と、製作所の所在地である桜町の桜から取って、大久保さんの刻印は桜の中に大の字を書いています。

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ラベルにマークがあり、刃の部分に小さな桜の刻印もあります。

もともと工作が得意で、小学校の成績では優・良・可の中で、いつも優でした。大久保さんは技術を習得するのが早かったため、普通は4~5年くらいかかる見習いの期間を、3年ほどで終え、一人前になりました。

泊鉈以外にも、田畑で使う鍬(すき)や包丁なども作ってこられました。北海道と青森の海底を結ぶ青函トンネル建設時には、大久保製作所の工具が好んで使われており、15〜20年の工事期間で、1000本ほど送っていたそうです。大久保さんの技術が認められ、好んで使われていたこと、素晴らしいですね!

慣れてくれば、この鉈を1日に2~3本作ることができ、今は頂いた注文の対応に追われています。過去には、外国からも注文があったくらい、人気は衰えていません。ただ、年齢とともに引退することも検討されていて、もう1年か2年くらいかなと思いつつ、体がまだ大丈夫だから続けることができています。「もう長くは続けることができないかな」と思っておられるそうです。


<2章 大切にしている信念>

大久保さんが会話の中で話されていた、印象的な言葉を紹介します。ここから大久保さんが鍛冶屋として大切にしている信念が垣間見えると思います。

「鉄は熱きうちに、鍛えよ。」(鉄は熱いうちに打て。)

人間も一緒。何でも若いときに学ぶべきで、腕が上がるのは若いとき。歳を取ってからだと、なかなか身につかないもの。自分は若い時にやり方を学んでいたから、この歳でも鍛冶屋の仕事をすることができるけど、今から同じ年齢の人が始めようと思っても難しい。

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「芸術には完成がない。」

75年間、作り続けていても、完璧だと思える鉈がない。作っている途中は良いと思っていても、完成した後見てみると何か違うなと感じてしまう。

「俺がやらねば、誰がやる。今やらねば、いつできる。」

いつも自分に言い聞かせて、仕事をしている。

「ボロは着てても、心は錦」

ボロボロの服を着ていても、誇り高い気持ちを持って仕事をしているという意味。

「叱られないと、一人前になれない」

成長するためには、教えてもらったり、時には叱責を受けたりすることも必要となる。初めから一人前になれる人はいない。天才でも最初はうまくいかないもの。

いかがでしょうか?お仕事にひたむきに向き合っておられる姿が、よくわかると思います!大久保さんの気概というか熱意に圧倒されそうなくらいで、まさに、職人の鑑のような人だなあと感じました。


<3章 大久保さんへインタビュー>

大久保さんに、様々な想いを語っていただきました。

Q. 普段は、どんな過ごし方をしている?

A. 歌を歌うのが好き。20歳過ぎの時、富山県で開催されたNHKのど自慢大会決勝に出たこともある。自分で作詞した曲を3曲持っていて、作業場で休憩している時やお風呂場でも歌ったりして過ごすことが楽しく、生きがいになっている。

Q. 生産者が一人となり、どんな想いで作ってきた?

A. 伝統を守らんなん(方言で「守らなきゃいけない」)と思いつつも、自分が関われるのはあと1〜2年ほどだからなあ。弟子や従業員を採用してこなかったので、自分の引退とともに継承者はいなくなる。伝統の泊鉈が消えてしまうのは寂しいと思うが、時代の流れで、致し方のないことだとも思っている。

Q. これまでに、弟子になりたいという人はいた?

A. 何人もいた。しかし、これから鉈づくりを習っても鍛冶屋は生計を立てられるほど儲かる仕事ではないから、という理由で断ってきた鍛冶屋は時代に合わない商売になってしまった。耕運機などの機械があれば、鍬などの農具が必要なくなってしまった。鍛冶屋の仕事も合わせてなくなってしまった。

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大久保さんが製作した鍬

Q. 工場生産が増えてきている中で、鍛冶屋の良いところは?

A. 台を挟んで、親方と一緒に「トッテンカン」というリズムで叩いている姿がいいのでは。この作業において綺麗なリズムを刻めない「トンチンカン」という言葉が物事の辻褄が合わなかったり、見当違いであることを表すようになったように、息のあった作業が良い。「村の鍛冶屋」でも”飛び散る火花、走る湯玉”という歌詞があるくらい、見所がたくさんある。職人の技を見てもらえることは、やっている側としても嬉しい

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Q. 既製品と手作りの違いは?

A. 見た目は綺麗になっているけど、中身は全然違う。研ぐこと一つにしても、鍛冶屋の作業は細部までこだわりがあるため、そこまで真似することは難しい。刃の付け方や刃の研ぎ出し方など、工程の1〜10まで全てこだわりが詰まっているため、ものを見ただけでは同じように作ることはできない。

Q. 朝日町民へメッセージ

A. 若いうちに学べ!若いうちじゃないと、何事も覚えようと思っても身にならない。当時は、厳しい親方がほとんどだった。厳しかったからこそ、今の自分がある。その点で、親方達に感謝している。


<取材を終えて>

すごく気さくで、職人魂にも溢れる大久保さん。75年という長い年月と時代の流れを見てきたその目には、様々な想いが浮かんでいました。「文化や伝統は受け継いでいくべきだ」と言える絶対的な理由はどこにもないのだと、思い知らされたような気がします。時代と合わない技術だから、それを残していくために活用するのか、それともここで幕を閉じるのか。この選択に間違いはないと思います。文化に直接関わる人や、この文化を共有している人たちの意思に委ねられているのです。私たちがどんな想いを持ってこれから文化と関わっていくのが良いか、改めて考えてみるのも良いかもしれませんね。


終わりに

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
大久保さんの経歴や想いついてまとめましたが、いかがだったでしょうか?
職人としての想いがすごく感じられたのではないでしょうか!泊鉈自体は今後生産する人がいなくなってしまうかもしれませんが、ぜひみなさんの心の中に泊鉈と大久保さんのことを留めておいてもらえると嬉しいです!今回で泊鉈シリーズは終了です。また次のシリーズでお会いしましょう!


ご協力いただいた方々
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大久保製作所
〒939-0714 富山県下新川郡朝日町桜町743-8
TEL 0765-82-2187
HP : https://www.asahi-tabi.com/asahimachi/256/
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一般社団法人朝日町観光協会
〒939-0744 富山県下新川郡朝日町平柳688
TEL/0765-83-2780 FAX/0765-83-2781
HP : https://www.asahi-tabi.com/
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