ジョージ・オーウェル『1984年』を読んで

※ネタバレを盛大に含みますのでご注意ください。

私の中のジョージ・オーウェルの印象は倫理の授業に出てきた、なにやら風刺的な将来予想的な物語を書いてるらしい、という印象だった。
ふら~っと書店に立ち寄った時に、偶然出会い、その表紙の内容に惹かれてかった。

あらすじ

テレスクリーンで人々は監視されている。その発言一つ一つ、その行動一つ一つ。「党」により生み出される情報は日に日に「党」の都合の良いように改ざんされ、「党」の方針に疑問を持つものはいつの間にかいなくなっていく。
主人公ウィンストンは、社会に疑問を持ち始める人の一人だった。
ある日かれは、ジュリアという同じ疑問を持つ自由奔放な一人の女性と出会い、強く惹かれあい、愛し合う。
そして、お互いの考えをはぐくむ中、オブライエンという同胞に出会ったと感じ、党の思想に触れる。しかし、オブライエンは同胞ではなく、党の人間で、ウィンストンとジュリアは二人とも党によりとらえられ、ひどい拷問を受ける。最後にはお互いを裏切り、そして、党の思想を完全に受け入れる。

完全なる統制

オセアニア国では、政府によってあらゆることがコントロールされている。それは、生産や消費のみでなく、感情、思想、本能的な欲求(オルガズムを感じることのない生殖活動などもその一つ)、使う言葉までをも統制される(思想の統制のため、また思考の余地をなくすため)。
たとえば、歴史やニュースも日ごとに改ざんされていく。党の都合の良いように。

資本主義との対立

このオセアニア国とは違い、私が住んでいる日本では感情や欲望までも切り売りされ、資本の拡大に利用される。
例えば、スポーツ観戦は一種の感動や熱狂の切り売りだし、お涙頂戴の映画は感動の切り売り。
それに対し、オセアニア国では感情も統制の一つとなる。定期的にある”憎悪”の時間。オセアニア国への母国愛を増すための虚構の戦争。
それらすべてが監視下、統制下にある。

現在、行き過ぎた資本主義への批判がちらほらと見えるようになったが、これも、行き過ぎた社会主義への批判とみることができる。

ジョージ・オーウェルの他の作品も読みたいと思った。
面白い作品だった。


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