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食っちゃ寝a.k.a鈴木│映画記録

年明けに映画PERFECT DAYSを見た。
それから約1か月。1月の間はほぼずっと、この映画のことをあれこれ考えて楽しんでいた。
なので、その話を交えて今月の振り返りとして残しておこうと思う。

PERFECT DAYS
あらすじと詳しい感想は省くが、とってもとっても良かった。
わたしの中の好きな映画に即座にランクインした。
そして物語の重要な要素のひとつが「ルーティン」だった。

わたしはこのルーティンが苦手だ。と思っていた。過去形だ。
わたしの中でルーティンとはやらねばならぬなことだけに無意識にフォーカスされ、それ故苦手意識を持っていたから。
人生道半ばだが、それでもやれ勉強、部活の練習、仕事。いままでルーティンに追われていた。必要だと理解していたからなんとかこなしてきたが、嫌なものは嫌だった。
でもルーティンてそれだけじゃない。(そりゃそうだ)
ということをPERFECT DAYSを見て気づいた。

寝て、起きて、食べて、また寝て。
それを人は食っちゃ寝と言う。

つまり生活自体がルーティンじゃないかと。(気づくの遅い)

やらねばならぬルーティンもあれば、やりたくて行うルーティンも多い。
朝の散歩、いつものスタバで買うコーヒー、金曜夜のビール!
気持ちがよくなる行動だ。

そうなるとわたしの中のやりたいルーティン、略してやりティーンはなんだろうと振り返った。

ちょっと待って、やりティーンは語呂がよろしくない。却下。
ポジティブなルーティン、ポジティーンはどうだ?

どうでもよくなった。

気を取り直して、改めてわたしの中で、心と身体が求めているルーティンはなんだろう。
あらゆる制限を取っ払い、且つ人間の三大欲求と必要最低限の社会的な活動を除いて3つ浮かんできた。

・早寝早起き
・起き掛けにコーヒーを丁寧に淹れるそして飲む
・3食ゆっくり作って食べる

ううん、、、ま、ほぼ三大欲求なんだけど、そこに至るまでの工程や姿勢にわたしなりのこだわりがあるざます。

このほかにもある程度定期的に、言ってしまえばそれもルーティンだよねということもある。

・週に一度のホットヨガ
・月に一度の映画館
・半年に一度の国内旅行

うーん、ま、これはただの趣味か。
それは置いておくにしても、少なくともわたしは生活の中で、早起きしてコーヒー淹れながらいい香りで目を覚まし、ゆっくりと朝・昼・晩の食事を用意しそれを味わい、夜更かしせずに床に就く。という流れが心地よいと感じていることが分かった。

それが気持ちが良いから続けているだけの話であり、仮に神様からこの生活をしなさい、さすれば健やかに暮らせる、と言われていれば、それは途端にやらねばならぬタスクと化し、決して心地よく暮らせていなかったかもしれない。

何が言いたいって、結果的に自然とルーティンになっていることがあれば、そこに自分の本当の気持ちよさが表れているのでは?と言うことであります。


なぜ突然ルーティンの話を始めたのか。

唐突だがわたしはいま会社に籍を置きながら仕事を休んでいる。
休職というやつだ。それも半年以上。まさかここまで長引くとは思わなかったがしょうがない、これが現実だ。

職場の名誉のために先に断わっておくが、ハラスメント被害を受けたなどは一切なく、完全に自分の中で自分と対立し、自分を否定し傷つけ、それをこじらせた挙げ句に就業に支障をきたし、クリニック(以下、先生)から「お休みしなはれ」と診断を受けた結果である。

休職が決まる前から、先生は繰り返し「気楽に。どうか気楽に」と言われ続けてきた。
それができたら苦労せんわ!とずっと感じていたし、実際に気楽に過ごすことはめちゃめちゃ難しかった。いまもそれはあまり変わらないけど。
ならばと、気楽ではないが鬱々とした気持ちを晴らすために、半ばタガが外れた状態であちこち出掛けた。
美術館や映画館、カフェでお茶をしたりショッピングしたり。
時間だけはあると、本を買い込んで読みまくったり。収入が減るのによう。

どれもその瞬間は楽しいような気がしたけど、それ以上に疲れた。精神的に。
そして寝込んで、また勝手に自分で自分に義務付けて死んだ顔で電車に揺られ・・・それ繰り返しながら、徐々に家から出られなくなった。いま思うと楽しくしなければいけない、元気にならなければいけないとさらに自分を追い詰めただけだった。実にアホである。

しばらく眠らせていたnoteのアカウントを引っ張り出し、徐に日記を書き始めたのもその頃。もちろんご想像の通り更新頻度はゆるやかに下がり、気が付けばいまこれを書いているのが3か月ぶりだから呆れたもんだ。

出掛けるのが苦痛なら、家で徒然なるままに駄弁を弄すればいいじゃないか。そう思った。そこで思考停止しておけばよかったのに、ついでにnote内の、ちょっと心が楽になるハウツーみたいな記事を読み始めてしまい予定が狂った。

ルーティンで心を平穏に♩
毎日日記で心と頭を整理しよう!
生活リズムが心身健康のすべて☆

みたいな。ルーティン沼。
頭の中を整理したい人には良薬だが、それ以前の問題であるわたしのよう状況の人には毒だった。

さすればnoteも毎日書かないと。
心と頭を整理するために、気持ちを吐き出さないと。
朝書いて一日を始めるリズムを作らないと・・・!

ダメ。これじゃだめなの。
いまのわたしの目的(=気楽に。どうか気楽に)からズレてしまって、やらねばならぬになってしまった。
挙げ句、ネットに公開する手前、人からの評価やウケも狙ってしまう卑しい気持ちまで出てくる始末で、派手に空回りしている自分が居た。
書くのをやめた。

なかなか上向かないなと察知したであろう先生が、ある日を境に「気楽に」を「心が軽くなる方に」と言い回しを変えた。
ぼやけていた視界が少しだけピントが合った気がした。
とってもシンプルかも。

いま大事なのは心が軽くなるほう。
この気持ちを文章にまとめたいな、と思ってはじめて筆が走り始める。
それが心地よくなり、文章を書くことが気持ちよくなってはじめてそれが生活の中のルーティンになる。
そしてルーティンにならなかったらダメ、ではない。決して。
そこに自分の正直な気持ちを見る。それだけ。

恐らく世の大半の人間がとっくに気づいているであろうこの事実に、
遅ればせながら気づけた自分を大いに褒めたい。

そして、休職していることだけは絶対に記事にしたくないと思っていたが、この気づきを機に書いてみてもいいかもなと考えが変わった。
非難も同情も要らないし、だからネタにだけはするものかと涼しい顔してくだらない話しか書いてこなかったけど、この心変わりは現状の自分を受け入れ始めたからかもしれない。
もとはと言えば、自分で自分を否定し、それをこじらせたのがお休みするきっかけの一つでもあるので、自分を許し受け入れ始めたことはわたしにとって大きな一歩かも。

心に素直に、できる範囲で自分の気持ちが軽くなる選択をした先に、繰り返される何かと、それによって気持ちよさを保ちながら、自律した日々を送れていたら、それってとっても幸せだよなあ。

まだまだこれからだけど、その結果noteの更新が止まっていたらめっちゃ面白いオチだなと思ったり思わなかったり。

明日もまた書きます。

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