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霧雨の街にタクシーは通らない

昨日は月一の通院日だった。一時間ほど電車を乗ぎ、変な名前の駅に降りる。大きな心療内科は辺鄙な立地の印象が強い。昨年夏に入院していた病院も、最寄り駅から専用バスで20分程の山奥の建物だった。

駅を出ると、生温い霧雨だった。湿気に運ばれてくる錆びの匂いが鼻をついた。「タクシー乗り場」の看板は直ぐに見つけられた。コンクリートの高架下のベンチに腰掛け、携帯で時刻を確認する。診察の予約時間まであと30分程だ。

5分ほど待ったが、タクシーどころか車ひとつ駅の前を通らない。「タクシー乗り場」の看板をもう一度確かめたが、やはりタクシー乗り場で間違いはなさそうだ。タクシー乗り場にタクシーが通らないということはつまり、そうか、そういう街じゃないんだ、と気付いて急いで携帯の配車アプリを起動する。心のざわつきは的中し、『配車出来ません』と画面表示が出た。

実家に近いので、普段の通院には家族に車を出して貰っていた。1人で病院に辿り着くための手段を気に掛けたことがなかったのだ。急いで地域タクシーの会社を検索し、電話をかけた。「駅前のタクシー乗り場に居るのですが、車が一台も無いのです」とこういう時の震え調子で訴える。「それは申し訳ございません。どちらに行かれますか」と慌てた心情を察知したかのように、受付の女性は声のトーンを落としてゆっくりと尋ねた。病院の名を告げる。「あそこまで歩くのは大変だわ。あと10分ほどで到着予定の車が有りますから、もう少しお待ちください。」

電話を切り、ベンチに腰掛け直した。受付女性の返答をよそに何故だか、迎えのタクシーは来ないような気に駆られた。コンクリートの壁の内側に、風に飛ばされた霧雨がふわふわと流れ込んでくる。生温い紫吹に晒されているうちに酷くさみしくなった。きっと誰も迎えになんか来ない。わたしを病院に運んだところで、そのつまらぬ移動がこの街で一体何になるというのだろう。

少し前に就いていた仕事のことを思い出した。毎日毎日、こういう辺鄙な土地の施設を回された。電車を乗り継ぎ、一時間に一本のバスに飛び乗り、遠く知らない街で夜遅くまで仕事をした。へとへとに疲れるまで働いたら、切れた街灯の下で帰りのバスを待った。虚しかった。出向く場所にもひとり。帰る場所にもひとり。わたしはわたしの中をぐるぐる走り回っているだけみたい。それでも新しい街に出向き、自分の部屋に帰らなきゃならない。移動という行為への疲弊が募り続けた。「貴女には何処にも"居場所"なんてないのよ」って誰かに唱え続けられているだけのような気がして。

再び携帯を開けると、予約時間を3分程過ぎていた。病院に電話をしなきゃ、けど何て伝えるのが正しいのだろう?時間をずらして貰えますか、なのか。それとも状況を説明して病院に行けないのです、なのか。ぐるぐる考えていると目の前に一台の車が止まった。車窓が降りて、『電話くれた子かな?』と妙に軽快な口調で運転手が顔を覗かせた。はい、と答えると待たせてごめんよ、と座席ドアが開いた。

迎車代はかからなかった。『700円』と言われたので小銭でぴったりと払う。『ああ助かるよ。ありがとうね』と日焼けした肌をくしゃっとさせて運転手のおじさんはにこりと笑った。耳朶に銀色のキャプティブ・ビーズリングが並んでふたつ、細い光を放っていた。タクシーを降りたらいつもの病院の駐車場で、やはり霧雨だった。

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