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資本家おじさんの成功談は壁か何かに話してて欲しい

昨日は学生のときにちょいちょい通っていた喫茶に伺った。10年も経てばもう、あのふんだんのフリルの武装はだいぶ必要なくなったけど、どうせ最後まで溶け切らないあの琥珀色の粗目砂糖をじゃりじゃり噛み溶かしては、ねっとり甘くて苦い口の中につい忘れがちな自分のこと、いろいろ、を沈めて飲み干す作業、時々はまだ必要かなって思った。

そういう時は大抵、妙なことを思い出すものだ。
あのフリフリの時代、足繁く通っていたアパレルショップがあった。新作が入荷すると授業をサボって店に突入した。自分だけのことに散々夢中になれる時代を、きちんと謳歌していた。

けど、ある日を境にパタンとその店から遠のくことになる。特に仲良くさせて貰っていた美貌のスタッフ女性が、段々とげっそり痩せ衰えてゆくのが気になっていた。アパレルスタッフなのに殆ど毎日同じ服を着ていたし、なんか…大丈夫なのかな…と心配で尋ねたら、彼女の口から明かされたのはその会社の、ちょっと有り得ないレベルのパワハラ事情だった。先日は終電が無くなるまで経営陣に怒鳴り散らされて、家に帰ることも出来なかった、少し椅子で休んでいていいか、と聞かれて、むしろお客の対応などどうでもいい、休んで欲しいと思い、店を出た。以来その店へ戻ることはなかった。

アパレル業界って(低賃金労働やスタッフ毎の達成額レース、経営陣の思想強要とか)パワハラが温床化し易い要素が揃いに揃ってるのに、お洒落のフィルターというか、「何となく」クリーンなイメージが邪魔して被害が露呈しにくいところ。ヤバ会社が多い割には結構グレーゾーン。知ってしまった以上、気持ち良くお買い物なんて出来なくなるし。

数年後、ひょんなことから当時そのパワハラショップのスタッフの1人であった男性と再会した。パワハラショップのその後の悲惨な道程は当時のファッショニスタの間では有名な話だった。彼は自分で新しい会社を設立し、当時の被害下にいたスタッフ達を数名引き抜いて自分の会社に招き入れ、たった数年のうちに社長として大成功を収めていた。

若い彼の決意はとても倫理的に見えた。それに彼の作るデザインは前会社社長の古臭さとは対象的な、洗練された美学ぽいものを感じたのもあり、数年ぶりにちょこちょこと会うようになっていた。けどある日、ふわっと交わした会話が永遠に脳内に引っかかるようになる。

『前会社時代は本当に大変でしたね、あんな露骨なパワハラの数々、とても許せない』
そんな話を振ったら、返ってきたのは思いがけない返答だった。

『確かに、本当に酷い職場だった。けど、僕たちはあの会社にいたお陰で、鍛えられたんだよ。ちょっとのことで弱音を吐かなくなったし、あの経験があったから自分たちは強くなれたよね、と今でも皆でよく話すんだ。それに、人を魅了する話術とか、そういうのはカリスマ的な人だった。尊敬してるよ』

え?
返答が思いつかなかった。パワハラはパワハラでしかない。搾取は搾取でしかない。身体と精神に大きな傷を負ったまま、長い間廃人状態になっていた元スタッフたちを何人か知っている。
何故やってはならないことを「やってはならない」と言わず、自分たちの[有意義な]経験に都合よく回収することで、成功談としての話の精度を上げてるんだろうか。

生き残れた人たちが、明らかな搾取経験を『成功のための有意義な経験』として湾曲して解決してしまった途端、業界内の劣悪な構造は一向に改善しないし、今まさにそのような状況の中で苦しみを抱えて生きてる人たちに『耐えて生き残ればいつか自分も勝てる』という思考を植え付け続けてしまう。改善しないどころか、新たな搾取構造の種となってゆく。

その時はそこまでの返事を即座に思いつけはしなかった。けどその後、彼と私の間に起こった小さな事件によって、それは確信に変わった。

あなたは、決してあってはならないことをただ、
「あってはならないこと」として否定出来なかった故に、知らず知らずのうち、力と抑圧のスピリットを受け継いでしまったのだ。

これは凡ゆることに於ける。
本当に、凡ゆることに。

いつものカプチーノの値段は昔より50円値上がりし、シナモン・スティックの付属は無くなって銀のスプーンに替えられていた。けど、この店でマスターの珈琲を飲み続けたい。ほんとに美しく思えるモノなんて、ずっとずっと「とびきり」に美味しいモノなんて、たったひと握りもないことを、人生で知り続けるんだもの

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