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「将来の夢」と「今」の境

中学生の頃から、将来の夢があった。夢自体はぼんやりとしたものではあったけれど、方向性があったので、それが一つの軸になっていたように思う。大学入学試験の面接で、自分の夢を語ったことも覚えている。

これがやりたい、と信じてきたことが、本当にやりたいのか分からなくなったのが少し前。それから自分はどう生きたいのか少しづつ模索し始めたのがごく最近。

そしてつい数日前、ふと「私の将来の夢は~」という言い方に違和感を持つ自分に気づいた。

なんとなく、いつかこんなことが出来たらいいな、こんな風に生きていきたいな、とぼんやりイメージできるものはあるのだけれど、「私の夢は〇〇です」と言うことには違和感がある。

なぜなら、多分それはもう「将来」ではないからだ。どちらかというと「今」なのだ。

私が思い描いていた「将来」は、「今」の直線上にはなかった。あくまでも「いつか」であり「ずっと先のこと」だったのだ。だけどその「将来」がいつの間にか手が届きそうなところまで来ている。

卒論を書く準備をはじめ、やっと自分が卒業する事実が現実感を伴ってきて、卒業後、つまり今まで「将来」だと思っていたものが、実は「今」のすぐ延長線上にあることに気づく。すぐそこだ。

ということは、「将来の夢」ではなくもはや「今やるべきこと」なのだ。例えば20年、30年後にむけて明確な目標があるのならば、それを「将来の夢」と表してもいいのかもしれないけれど、私にはないので。

「将来の夢」に自信が持てなくなった時、自分も軸になっていたものがゆらゆら揺れて、拠りどころがなくなってしまったように感じた。だけどよく考えてみれば、今までは「将来の夢」がはっきりしてても「そこへ続く道」はちゃんと見えていなかった。「今」と「将来」がつながっていなかったのだ。「将来の夢」が本当に自分の望む未来なのか、分からなくなって当然である。

明確な「将来の夢」が分からないから、ゴールを決めてそこへの道を探すのではなく、より「今」にフォーカスして、自分がどの方角を向くのか、どこで曲がったり一休みしたり引き返したりするのか、はたまた誰と一緒に歩いてどんな経験をするのか、それらを一つ一つ選んでいけるのかもしれない。

明確な目標はこれと言ってないけれど、自分が一番心が惹かれること、その時ベストだと思えることを選択していった結果として、何かが形になったり、自分の在り方が定まってくるものだと思う。

「将来」から「現在」へと後ろを向いていた矢印が、「今」から「未来」へと前を向きはじめた。それもまたいいかなと思う。



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