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心を休める

心が疲れ切った時に
目の前の物事に対応するのはとてもシンドイ。


心が疲れていても
現実は動いていく

いっぱい悩んで
いっぱいすり減って
でも終わらない現象に向き合わないといけない

動き出した運命の課題は
自分が動けば容赦なく襲い掛かってくる

私は過去の記事に
出来事は神様の用意した課題であって
課題をクリアすれば自己成長につながりどんどん軽くなる
と書いた

しかし、やはり
それが苦しい人は多い。
私も、今すぐすべてを投げ出して発狂したい衝動にかられたことは何度もある。
そんな時に、前向きに頑張れなんてとてもじゃないけど言われたくないし
反吐が出る。

休んでいい。切り替えていい。捨てていい。

私はチャネラー。
本来の自分や神様と対話する仕事。

どうしてもしんどくて
逃げたい時に神様にこう言われた

『休んでいいよ。離れていいよ。課題は絶対クリアしないといけないものじゃないよ。自分が壊れてしまうことは望んでいない。むしろ生きやすい方へシフトチェンジして、気持ちが楽な生活の中で学んでいけばいい』

この時、逃げていいよと言われはしたけど
これは逃げではない
自分の方向性の見直しなんだ

と感じた。

学校なら行かなければいい
仕事なら退職もしくは傷病手当で休業すればいい
どうしても働けないなら生活保護でいい
親子関係なら、自分が親でも子でも 縁は切っていい
今がどうしても動けないなら 動かなくていい

これは逃げではなく
方向の転換。
自分がよりよくなるための手段としての選択肢。
選択を切り替えた後で、要らないものがなくなったんだからどう生きよう?
と考えればいい。
それはとても前向きな決断。
しっかり向き合ったうえでの決断なので、決して逃げではない。

ただし、心理カウンセラーとして
一個人としても必ず言いたいのは

誰かに話すこと。

友人や家族がいないなら行政へ
電話相談なんかもある
カウンセリングでもいい
とにかく言葉で吐き出せる場所、機会を1回でも作ること

私もカウンセリングしているが、アドバイスいらないから
話だけきいてって言ってくれても全然かまわない

口から出して、自分を説明するということで
自分自身で心に整理も出来るし
思った以上に自分が悲しんでいるとか気づくこともできる

向き合うことの過酷さ

こころが疲れてしまうほど
目の前のことに向き合えるくらい

心を病む人は、真面目なんだと思う

目をそらしたらいけない
現状から逃げたらいけない
捨てたらいけない
頼ったらいけない
自分で何とかしなければ
自己成長のために頑張ってクリアしなければ

そうやって自分を追い込む
一生懸命向き合って
でも現状変わらなくて
心が死んでいく

富士山に登っても登っても
山頂がどんどん伸びていくような

フルマラソンなはずなのに
ゴールが永遠伸びていくような

そんな世界で生きていって
心が疲れないわけがない

頑張りすぎた結果なんだと
そのボロボロさを見れば分かるよ

大丈夫

休んだって問題ない
自分がいないだけで困る会社は、会社としてオカシイ
誰にだって休みたい時があるのに
誰かが休んだからって文句言うなら
『うらやましいなら、あなたも休めばいいじゃない』と言えばいい
体調悪いのに働いているその人の勝手なのだから

学校は行かなくてもいい
大人になったら分かるが簡単な計算と
平仮名が書けたら世の中生きていける

小学校は日本に2万件以上ある
中学校は約1万件
それ以外にも不登校の支援学校だったり
通信教育もある
家庭教師もある
学生だと、目の前の学校生活しか知らないし
場所を変わっていいなんて思っても居ないから、現状が変えられないと嘆き年間約500人近くも自殺してしまうのではないだろうか。
『逃げるな、向き合え、乗り越えろ』と言っていい場面なのか
『現状を切り替えよう』と提案するべき時なのか
声かけは大切だ。

とにかく言えるのは
その場に自分が居なくても
世界は回るけど
自分の世界は止まる

職場が迷惑だと思うのも欠勤しますと連絡が入ったその数分間だけ。
来ないものは来ないと諦めて、何とかするものだし
何とかなるものだ。

他人のために自分を止める必要は全くない。
自分のために動くべきだろう。

自分のために生きる

私は、生まれてきた意味や神様の思い、ご先祖の思いなどを
人に届けているが

だからこそ思うし
極論で言えば、親子であれ
縁はそこまで大切にしなくてもいい。

大切だと思う縁は大切にして
自分の人生の負担でしかないと思うものは
そもそも見切りをつけるために仕組まれた関係だったりもする

もうこの関係無理
そう思うなら、それは縁を切る時が来ている可能性が高い

これは運命の仕組みだけど
どれだけ縁が薄まっても
必要な関係なら絶対に復縁する

心の休息のためにいったん離れたいなら
それは必要な措置であって
悪い事ではないし
むしろ、『大切な人と縁を切る』という決断を経験する必要があるのかもしれない。

人生の主役はどんな時も自分であって
主役だから大柄に生きていいという事ではなく
主役なのに他人を主体に生きなくていいという事

職場に迷惑が
子供が困るから
親の面倒が

それが、自分の精神が壊れるほどすり減らしてまでなら
誰かに任せて、私は手を放していいと思う
いきなり捨てる前に、社会支援とかは調べてほしいけど

間違ったらいけないのは
主役だし、手放していいなら色々捨てて自分がやりたいようにやる
ではなく
とことん向き合って、社会支援とか親戚とかも頼ったけど
どうしても無理だった
という場合に決めてほしい。

『やりたくないもーん』

『向き合ったけどもう無理』
とは違う

人生は自分のためにある

人生において
悩み苦しみ動けなくなることよりも
人生を動かして新しい刺激に触れ、多くを学ぶ方が魂は喜びます

自分が主役な人生なんだから
自分が生きていける方向へシフトチェンジしたらいいんです

自分はどうしたいのか
何が大切なのか
何を守りたいのか
それは本当に大切なのか

しっかり自分と話をして
自分を癒してあげてください

それにはまず、言葉にする
自分を説明してみる

それってすごく大切で
自分を浄化することができる方法なんです

私でもいいし
誰でもいいから
吐き出してみてください

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