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朝の挨拶200918 読むRadio

Good morning, everyone. おはようございます。

9月18日金曜日。花ビラが上だけない。
本日は、「満州事変」が勃発した日。

「満州事変」勃発日(9月18日)
1931年(昭和6年)のこの日、中国の奉天付近の柳条湖で日本と中国の国民政府が衝突して「満州事変」が始まった。
関東軍(満州駐留の大日本帝国陸軍の軍)による満州(現:中国東北部)全土の占領はわずか5ヵ月の間で軍事的にはまれに見る成功を収めた。その後、1933年(昭和8年)5月31日の塘沽(とうこ)協定成立に至った。

”記念日”とされていますが、相手国から見れば侵略の日になるので、あえて削らせてもらいました。一方では成功、もう一方は多くの犠牲者を出し、故郷を追われています。


朝ルーティンの時間

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本日は、軽い飲み心地のイングリッシュ・ブレックファスト。
天気は雨。5時の気温は22℃。湿度・室内71。
昨日の夜から蒸してます。

未知と神秘の世界、宇宙。
遠い昔には金星に生命が存在していたかもしれない。


フォーク・ソングの父

昨日パロディで歌われていた曲、原曲をひとついかがでしょう?
フォーク・ソングの父といわれる人物を紹介。


Woody Guthrie

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ウディ・ガスリーは、1912年オクラホマ州オケマー生まれ。この町は幾度となく砂嵐や竜巻に襲われ、彼の家も被害に遭っています。
父親は不動産業を営んでいて、彼が生まれた頃は羽振りも良く、教育を受けることができました。
14歳の時に母親が精神病院に入院しその後死去。17歳になると肉体労働で働く父親が家族を養えなくなり一家離散。そのため、臨時雇いの労働者としてアメリカ中を放浪、バーや労働者組合の集会などで小金を稼ぎます。
19歳の時、テキサスで最初の妻メアリー・ジェニングスと出会い結婚、3人の子供をもうけます。しかし、世界恐慌とアメリカ中西部を襲った砂嵐により農業が崩壊、家族を残して旅立ちました。
社会主義者かつ労働組合活動家の彼は、デイリー・ワーカー紙、人民世界紙に常設コラム「ウディ・セズ」を執筆。
1930年代中頃、ラジオ放送に出演。その一方、政治的抗議のメッセージを含む歌(プロテスト・ソング)を書き演奏しはじめます。
カリフォルニアでラジオの人気歌手となった彼は、ニューヨークに移り住み、左翼とフォークミュージック界に受け入れられ、初のレコーディング。これはアメリカ議会図書館に勤務する音楽学者アラン・ロマックスが録音し、ニュージャージー州カムデンのビクター・レコードに収められました。
1941年「Almanac Singers」(オルマナック・シンガーズ)を立ち上げ、反戦歌を書き歌唱。後に続く音楽家に多くの歌を残すことになります。
1940年代後半に体調が悪化。1954年には遺伝性の神経障害ハンチントン病と診断。病状は途中好転しものの、入退院を繰り返し、1967年10月3日クイーンズのクリードムーア精神病院で亡くなりました。

ガスリーの作品の一部は、ボブ・ディランを通して紹介。ディランはガスリーに憧れ、「私の最後の英雄」だと描写しています。後にディランは、5ページの賛辞「ウディ・ガスリーについての最後の考え」を書き、1962年には最初のアルバムに「Song to Woody」(ウディに捧げる歌)を入れました。


映画『Bound for Glory』より「Song to Woody」

ウディ・ガスリーを描いた伝記映画『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(1976)。
映画の原作となったガスリー本人による伝記本『Bound for Glory』があります。1943年に完成し出版されました。

「Song to Woody」
I'm out here a thousand miles from my home
Walkin' a road other men have gone down
I'm seein' your world of people and things
Your paupers and peasants and princes and kings
Hey, hey, Woody Guthrie, I wrote you a song
'Bout a funny ol' world that's a-comin' along
Seems sick an' it's hungry, it's tired an' it's torn
It looks like it's a-dyin' an' it's hardly been born
Hey, Woody Guthrie, but I know that you know
All the things that I'm a-sayin' an' a-many times more
I'm a-singin' you the song, but I can't sing enough
'Cause there's not many men that done the things that you've done
Here's Cisco an' Sonny an' Leadbelly too,
An' to all the good people that traveled with you
Here's to the hearts and the hands of the men
That come with the dust and are gone with the wind
I'm a-leavin' tomorrow, but I could leave today
Somewhere down the road someday
The very last thing that I'd want to do
Is to say I've been hittin' some hard travelin' too

「あなたのために歌をつくった」とあります。ボブ・ディランのメッセージが伝わってきます。


「This Land Is Your Land」

「我が祖国」は1940年にガスリーが書いた曲。放浪中に経験したことや、Irving Berlin(アーヴィング・バーリン)「God bless America」(神よアメリカを祝福したまえ)が元となっています。彼はバーリンの歌が非現実的で自己満足的であることに嫌悪し反発、歌を聞くのも嫌がりました。

「This Land Is Your Land」
This land is your land, and this land is my land
From the California, to the New York Island
From the Redwood Forest, to the Gulf stream waters
This land was made for you and me

As I went walking that ribbon of highway
I saw above me that endless skyway
Saw below me the golden valley
This land was made for you and me

I roamed and rambled, and I've followed my footsteps
To the sparkling sands of her diamond deserts
All around me a voice was sounding
This land was made for you and me.


Kate Smith「God bless America」

1938年にケイト・スミスがラジオ出演して歌を披露。
ガスリーが特に嫌ったそう。

メロディーは、1930年頃アメリカの白人バンド・The Carter Family(ザ・カーター・ファミリー)によって歌われたゴスペル「When The World's On Fire」(世界が燃える時)に基づいています。ガスリーの曲では階級の不平等を主張した部分がありますが、後のレコーディングでは省いたようです。

I roamed and rambled, and I've followed my footsteps
(私はあちこちぶらぶらとさまよい、足の向くままに歩いて)
To the sparkling sands of her diamond deserts
(ダイヤモンド砂漠のきらめく砂地へとやって来た)
All around me a voice was sounding
(私のまわりではある声が歌っていた)
This land was made for you and me.
(この国はあなたと私のためにつくられたと)

最期の節がそれにあたるというので、訳してみました。


The Carter Family「When The World's On Fire」

基となった曲、ザ・カーター・ファミリー「世界が燃える時」。

「When The World's On Fire」
Oh, my loving mother, when the world's on fire
Don't you want God's bosom to be your pillow
Tide me over in the Rock of Ages
Rock of Ages cleft for me
I'm going to heaven when the world's on fire
And I want God's bosom to be my pillow
Tide me over in the Rock of Ages
Rock of Ages cleft for me
Oh, my loving brother, when the world's on fire
Don't you want God's bosom to be your pillow
Tide me over in the Rock of Ages
Rock of Ages cleft for me
Oh, my loving sinner, when the world's on fire
Don't you want God's bosom to be your pillow
Tide me over in the Rock of Ages
Rock of Ages cleft for me
Don't you want to go to heaven when the world's on fire
Don't you want God's bosom to be your pillow
Tide me over in the Rock of Ages
Rock of Ages cleft for me

フォーク・ソングはもともと民謡や民俗音楽が基になっているので、民衆に広く伝わっている歌が多くあります。アコースティックギターやバンジョーなどの音色が素朴で、ハーモニーも楽しめますね。


本日はここまで

いかがでしたか。
戦前から戦後にかけて活動したウディ・ガスリー。伝統的な歌をうたい、作曲を行ってきました。彼のコンサート・レコーディング・ラジオ放送などは、聴く人々に新しい音楽への着想をもたらします。その後、伝統的なフォークミュージックが進化し、1960年代には全米で多くの音楽家がフォークソングを歌うようになりました。この音楽のうねりは、日本に一代フォーク・ブームを巻き起こします。ガスリーはフォーク・ソング黎明期のひとりともいえます。
是非聴いてみてください。

本日はここまで。読んで下さった皆様、ありがとうございます。感謝!

今日も元気に過ごしましょう。
笑顔は幸せの素。”Your smile makes everyone happy!!”

それでは良い一日を。 Have a fine day.

200918 YUHUA O.

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