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【日本一周 京都・滋賀編7】 コスパ最強?三十三間堂

・1軀あたり0.58円

 三十三間堂へとやってきた。途中の電車がふかふかのボックス席で離れ難かったことや、東山七条駅から三十三間堂まで歩く道すがら美味しそうなうどん屋を見つけたことはさておき、中学の修学旅行ぶりの訪問である(高校の修学旅行においても訪れていたのだが、どういうわけか拝観料をケチって友達と外で待っていた)。


 チケットを購入して堂内入り口の下駄箱へ向かうと、観光地としての整いぶりに驚かされた。100人は靴を納められるのではないかというほど巨大な下駄箱が端から端まで列をなしており、ご丁寧にどこに靴を置いたか忘れないよう区画ごとに色分けまでされている。靴を脱いだ先の道は足に優しいカーペットばりで、そのまま三十三間堂まで接続している。修学旅行生やたくさんの観光客を一挙に受け容れるための合理的な作りに唖然とした。


 堂内には千手観音像がずらーりと並んでいて、場違いな空間に迷い混んでしまったような気にさせられた。長い廊下に見える観光客の姿はせいぜい7,8人。人よりも観音様の方が圧倒的に多いここは、浮世を遠く離れた天界の神殿のようであった。

 千手観音像の顔つきはそれぞれ異なっていて、髭のかたちや目幅など千差万別である。今まで大仏の髭に注目したことはあまりなかったが、平等院鳳凰堂で阿弥陀如来を目にして以来、どうも気になるようになった。ナマズのように細長く伸びて滑らかな曲線を描く髭は、現代人の美意識の範疇を超えており、なかなかに興味深いものである(真似してみようという気はさらさら起きないが)。

 また、千手観音像の光背は、生物的な曲線を描く阿弥陀如来の光背とは異なり、幾何学的な円と直線の組み合わせで造られていて実に格好いい。平等院の雲中飛雲菩薩然り、千手観音像も一体くらい自室に居てもらいたいな。


 ここでも久々の御朱印を賜った。コロナの影響で手書きの御朱印はもらえないだろうと諦めていたのだが、三十三間堂ではその場でさらさらと書いてくれた。何とも嬉しいのぉ。


 千手観音像の配列が縦10列横100列であることを見知ったあと、板張りの床で凍えた足を救うべく出口へと急いだ。とそのとき、売店にて両界曼荼羅を販売していることに気付いた。

 曼荼羅といえば、中学生の頃に歴史の資料集で目にして以来、その芸術的な美しさと均整の取れた配置に心を奪われ、骨董市があるたびに目を皿にして探していたのだ。しかし、骨董市にあるような品はチベットの曼荼羅(日本とは異なる色遣いが美しい)など到底手の出ない値段のものが多く、半ば諦めていた中での出会いであった(ネットショッピングで探せばあったのかもしれないが、曼荼羅をネットでポチるというのは自分の美学に反していたために気が進まなかった)。2,000円という自分のお土産にしては少々高い金額に悩まされたが、結局購入することにした。尾道も三十三間堂の仏像写真集(500円)を買い、二人ともほくほく顔で三十三間堂を後にした。

明石

・千手観音合唱コンクール

 中3で訪れたはずの三十三間堂であるが、周辺の街並みは初見のような新鮮味を帯びている。思い返せば、当時は全てタクシー移動であったため、入り口からの記憶しかないのである。案外贅沢な旅行をしていたものだ。

 静寂の中、堂内には夥しい数の千手観音が佇む。互いの顔が隠れぬよう等間隔に、かつ段々に配置された様は、まさしく合唱団のような体裁である。(俗な比喩であることは承知しているが、これが最も的を射た描写なのである)よく見ると各仏像の下には、作者名と制作年代が記された木札が置かれており、慶派の仏師の苦労が偲ばれた。当然のことであるが、これらの一つ一つが手作りなのである。はんぱねぇや。また、千手観音の最前列には風神・雷神像と、二十八部衆像が並んでいる。こちらに関しては、全て玉眼が採用されており、かっ開いた眼から放たれる迫真さは我々に、威圧感に近しい感覚をもたらすのであった。

 お堂の中腹に位置するカウンターで明石が御朱印を購入する。住職さんの手から繰り出される大胆かつ繊細な筆致は、「熟練工」にのみ許される圧巻のパフォーマンスである。仏像群の最後に配置される雷神像は、しゃがんで鑑賞することで垂木が落雷のように見えるとのことであったが、垂直に伸びる垂木を、屈折を重ねる雷に見立てるのは少々無理があるように思われた。お堂の端には毎年行われる通し矢の成績優秀者を称える書が飾られていた。国宝に自分の名が残るとはなんとも誉れ高きことである。帰りに父への健康祈願御守りと、三十三間堂ガイドブックを購入した。後に思うことであるが、撮影不可のスポットにおいては、思い出を反芻する用にこうした写真付き資料を購入することが得策である。

 外に出た我々は「行った証拠」を残すため、「国宝三十三間堂」の木札が写りこむよう写真を撮った。巡行紀の様式は未定の部分が多いが、二人が写る写真を掲載することに確かなので、今のうちから撮り貯めておくのである。続いて血天井をお目当てに、隣に建つ養源院に向かうのだが、あいにくの休業ということで、次の目的地に急いだ。

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尾道

・メンバー
明石、尾道

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