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「難しい」と「めんどくさい」で思考を止める私に伝えたいこと

私は、いつも「難しい」と口にしてしまう。
そう言ってしまうのは、難易度が高いと認めてしまえば、その先を考えなくて済むからだ。思考を停止していい!と誤認する。

「難しいから」という言い訳で、問題への対応を避けられる。
(なお、そのあいだに問題が解決するなんていう虫のいい話はない。)


私が「難しい」と言うのはどんなときだろう。
次のような場面で、「難しいねえ」と言ったり、考えたりしてしまう。

・過去の経験に基づいた判断ではなく、前例のない意思決定をするとき
・自分のリソースを一定量投じる必要があるとき
・お金よりも時間や労力を投じなければならないとき
・やったことのないことをやるとき
・心理的負担が高いとき
・めんどくさいとき

果たして、それらは本当に難しかったのだろうか?
難しいからと渋っていたことを実際に試したとき、どう感じていたか?

取り組んでいる最中は、難しいかどうかなんて、考えていなかったはずだ。


肝に銘じている言葉がある。
「めんどくさいのは始める前だけ」だ。

「めんどくさいのは始める前だけ」。

お風呂に入るのがめんどくさいなあ。(よくある)
資料を作成するのがめんどくさい。
やるべきことがたくさんあるけど着手するのがめんどくさい……。

それらは全て、着手してしまえば何とも思わない。
湯船につかりながら「めんどくさかったなあ」とは思わない。


実際に面倒なタスク、難しい取り組みはあるだろう。

でも、言い訳としての「難しい」「めんどくさい」は、少しずつなくしていくしかない。その先にある、知らない未来を垣間見るためにも。



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