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あのときの程よい距離の優しさが「受容」だったと今ならわかる


地元だった福岡から離れる日のことを、14年経っても鮮明に覚えている。

玄関まで見送りに出てくる祖母の姿。スニーカーを履くときに視界に映ったグレーのタイル。母が運転する紺色のコンパクトカーで新幹線の駅に到着し、ホームまで見送ってもらったこと。

新幹線が出発し、しばらくしてから涙が止まらなくなった。座席で泣き続けるのは恥ずかしくてデッキに出たら、若い男性の車掌に声をかけられた。

きっかけは特急券を確認する業務での声がけだったが、そのあと数往復の会話を交わした。これから上京するんです、みたいな話をした記憶がある。
淡々とした彼の言葉の端々からは気遣う様子が伝わってきて、程よい距離感の優しさに気持ちが落ち着いた。


彼のような「程よい距離の優しさ」を、いまの私は持てているだろうか。
卒業や上京のシーズンになるたび、この一幕を思い出しては考える。

自分も歳を重ね、当時車掌だった彼と近い年齢になっているだろう。
当時の私と同じ状況の人がいたとき、たとえ仕事が発端であっても、優しさをもって声をかけられるだろうか。彼のように、受け入れる態度を取ることはできるだろうか。自分のあり方を省みる。

今のところは「目下練習中」といったところだ。



あるPodcastで「共感と受容は別のもの」という話を聞いた。

経験や主張に共感できず、同じ立場で寄り添えないとしても、そういう考え方もあると受けとめることはできる。共感できないことは、他者を受容しない理由にはならないと言う。

車掌の彼は、共感はしていなかっただろう。でも、受容していた。受けとめていた。当時は何も分からなかったが、今ならそれが分かる。


受容は、ときに相手を助ける行為になる。

住み慣れた地元を離れ、東京で一人暮らしを始める。やれることや選択肢が増える期待以上に、ひとりで生活を営み、正社員として働いていけるかが不安で、心細かった。

感謝と期待感と心細さでぐちゃぐちゃになった私に、彼は冷静に声をかけた。同情や共感を示されなかったことが、あの場では救いだった。


あの時の車掌のように、自分も誰かを受容し、助けているだろうか。そうだといいな、と思う。
何気ない小さな行動や他愛もない短い会話が、大切な人たち、あるいは名前も知らない誰かを助けることにつながっているといい。次は私の番だ。
とはいえ、当時の彼は「受容するぞ」なんて考えてはいなかっただろう。

当たり前になった都会暮らしの毎日を健やかにすごし、仕事と書くことに励む。その過程で、知らないうちに誰かを助けている。
助けていたことを後から知れば、じんわりと嬉しくなる。でも、知らなくてもまったく問題はない。そのくらいがちょうど良いのだろう。

自分が健やかに暮らすことで、かかわる人たちを受容していけたらいい。


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