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LAUSBUBの良さについて野暮を承知で全力の言語化を試みる。

LAUSBUBのTelefonがアホみたいに良い。

僕は楽譜も読めないズブの音楽素人なので、技術的なことは何もわからない。加えてこういうジャンル(テクノポップ?っていうの?なんなの?)をどうも好きになれない。そんな僕がハマった、というのはちょっとした事件なので、なぜこの曲だけは良いと思ったのか、野暮を承知で全力の言語化を試みる。

※以下圧倒的な個人的見解ですのでお手柔らかに。。

Telefonは「洗脳」の音楽である。

印象的な冒頭、電話の呼び出し音に乗せて呪文のようなフレーズが繰り返される。ちょっと宗教チックで、だからこそ「洗脳」がこれからはじまるのだと予感させられる。そんな経験はもちろん日常にない。しかし不安よりワクワクが勝る。歌い手が高校生、という事前の触れ込みが効いている気がする。(これがサカナクションの曲だったら僕は少し身構える)

繰り返される呪文の意味はわからない。いや、ちゃんと意味のある言葉なのだろうけど聞き取れない。でもだからこそ「わからなさ」がこのあと待ち受けているのだと感じさせてくれる。大丈夫、意味にとらわれなくていい。だって洗脳をたのしむ音楽なんだから。というセットアップが冒頭で達成されているし、全篇を通して完遂されていく。

Telefonは「揺れ」の音楽である。

少しずつ音を重ねていく前奏。粒立ちした音が飛び込んできて盛り上がってきた、と思いきや、気だるげな低音に飲み込まれていく。

待ち望んでいた歌声が聞こえてくる。その声質はやわらかく、なのにどこか存在感がある。まるで彼女がふだん抱える気だるさに抗うように、うつろなバックサウンドに負けじとその声は強度を増し、サビに向けて存在感を増していく。

歌詞にも注目したい。その意味は正直「ときどきわかる(聞き取れる)」といった塩梅。つまり半分くらいは意味のわからない言葉で、それが良いアクセントとなって音楽に溶け込んでいる(歌詞カードみたくない)。ゆえに曲全体は洗脳的で気だるい快楽に支配されている。あ〜、気持ちいい。この心地いい空間に甘えていたい。と、もっていかれそうになったところで「触れてみたい」「10円玉足りない」「手を伸ばす」など、情景を脳みそに直接ねじ込むような切実さの断片が断続的に呈示される。それまで歌詞に意味を感じていなかった(気分の音楽として嗜んでいた)ぶん、意味を持つ言葉のインパクトはでかい。だけど歌詞全体のストーリーはわからないまま。彼女の感情の渦に飲み込まれていく。

そしていざサビに到達したとき、「喧騒のなか 鳴り響くringtone(着信音)」という印象的なフレーズとともに、彼女の存在感はピークに達する。気だるい日々を突き抜けていく、と思われた瞬間、「逃がさないよ」と言わんばかりの重低音がひときわ重く沈んでいく。すると彼女は「現実にも かなり慣れてきた」と、強がりとも諦めとも取れる気持ちをこんがらがせていく。

このサビに象徴されるように、そして長々と言語化を試みたその手前のパートにおいても、Telefonという曲はずっと「揺れ」ている。曲調が盛り上がると思ったら下がる。歌詞の意味が聞き取れたと思ったら逃げていく。ボーカルが存在感が増したと思ったらバックサウンドが足を引っ張る。

聞き手を裏切りたくてそうしている、という意図は感じられない。むしろその逆、彼女が日々必死に向き合っている無力感とそこを抜け出したいという渇望、その間で揺れ続ける気持ちをただ表現したという切実さが、音楽としてまるごと体現されているような純度を感じる。

楽曲全体を通して表出した「揺れ」が、結果的にドラッギーな中毒性を生んでいる。奇しくもそれが、冒頭で予感させた洗脳を完遂させるだけの力を帯びていた。という印象を受ける。

Telefonは「モラトリアム・アンセム」である。

高校生といえば、生き物としてのアイデンティティがまだ確立されていない時期。夢を見る自分と、現実と向き合う自分。張り切りたい自分と、気だるさに身を任せたい自分。たくさんの自分が内側にいて、陣地取り合戦に勝利する自分は日々変わる。自分でも自分のことが掴めずに募りゆく不安や苛立ち。それでも確かにある希望や情熱。Telefonは、モラトリアム期特有のやわらかいアイデンティティをまるごと象徴する「モラトリアム・アンセム」なんじゃないかと思う。

と同時に、なぜこの楽曲が大人の(少なくとも僕の)頭と心を揺さぶるのかといえば、僕自身もまたモラトリアム期だからだろう。いい大学を出ていい企業に務めさえすれば人生ハッピーエンド。もう何も悩むことはない、なんてことはなくて、子どもに見せないだけで、大人は随分と迷いながら生きている。便利なモノが充足し、AIの影もチラつきながら、それでも必死に働く価値や生きる意味を探している。おまけに今は、コロナで働き方と生き方の見つめ直しを迫られている時期。

情けないけれど、そんなモラトリアム期を過ごすN=1の僕にはTelefonがぶっ刺さりました。抜けません。

蛇足。記事をアップする前に最後、楽曲を通しで聴いた。終わり方がまた良い。揺れうごく感情の渦に洗脳されて気持ちよくなって、最後どうなっちゃうの、と思ったら、唐突に弾けて終わりを告げられる。まさに夢から覚めた心地。もう一度あの快楽に溺れたくて音楽をリピートする。これぞピークエンドの法則。

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