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ソール・ライターが"売れた"理由

渋谷・Bunkamuraで開催中のソール・ライター展に足を運んだ。日本での開催は3年ぶり。前回の展示で食らってしまって、すっかりフィルム写真に目覚めたのだった(彼に憧れてライカも買った)。

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正直な感想としては、1回目のインパクトがすごすぎて今回のはそこまで。それでも満員御礼で、日本でもすっかり人気写真家として認知され始めたのだろう。

彼の写真を見るとつくづく反省してしまう。自らの日常を見つめる視点の乏しさに。感受性に。美的センスに。技術的な未熟さに。あらためて写真というものをしっかり撮ろう、と思わせてもらえた2時間だった。

その一方で、こうも思う。目の前でみんなが群がっている展示写真を、名前を明かさずにSNSで投稿したら、いったい何人の人が見つけて讃えるのか。

ほぼ見過ごされるだろう。これは確信に近い。

結局のところ「何を撮ったかではなく誰が撮ったかが大事」というやつで、これは美術や音楽シーンの多くで同様のことが言える。ピカソが描いたからこの抽象画はすごくて、嵐が歌うからこの曲はいい。いいから好きなのではなく、好きだからいいと感じる。そんな状況にうんざりすることもできるけれど、いつの時代もそんなものだろう。

いま絶賛流行中のKingGnuが、インタビューでこんなことを言っていた。

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それで作った曲が、彼らを一気にスターダムに押し上げた「白日」。自分たちの好きな音楽を少しだけ諦めて、解釈を変えて、世の中が求める交点に当てる。星野源は最近王道J-popから外れた楽曲をリリースし続けてファンを困惑させているが「僕が本当につくりたいのはこういうものです」ということで、それでもファンはついていく。

本当に伝えたいことは、2番目に言う。きちんと届けたいからこそ「最初は世の中に寄せる」という順番を守る。KingGnuや星野源でさえそうなのだ。ソール・ライターも若い頃はファッション雑誌お抱えのフォトグラファーとして活躍した。その箔がついていたからこそ、晩年の彼の作品は脚光を浴びた。

【2】《カルメン、『ハーパーズ・バザー』》-1960年頃-e1490071969264
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生きているうちに売れたければ、世の中に歩み寄る。その事実を肝に命じる。しかしそれができるのは器用なアーティストだけだろう。「偉人」と呼ばれる作家の多くは死んでから売れる。その理由を聞いて、ハッとした。

アートが同時代の人たちに受け入れられず
死んだ後に評価されるのは、
彼らはぼくたちよりもぜんぜん
「先」を見ているから。

色々と考えさせられる。

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