見出し画像

【3つの転機があった、僕の6月30日。】

ご無沙汰しておりました。
木村  佑平です。
皆さま、お元気でしょうか?


約2ヶ月振りの執筆…
どうしても今日、綴りたい話があり
前々から「執筆を復活するなら今日だ」と
意気込んでいました。


それは…


「6月30日」


今日というこの日

悪く言うと
トラウマしかありません。

(今日誕生日の人、すみません)


良く言うと?



「転機」

ですね。


僕の数ある
人生の転機が

振り返ると
6月30日
に3つありました!


それではここで


思い出深い、この曲を聴きながら
順に、語って行きます。
(良ければ一緒に聴きながら、お読み下さい。)



2012年6月30日「初めて抱いた夢を、失った日。」


12年前の今日は
保育園の頃からの将来の夢
であった
「甲子園出場する高校球児」
でいる、最後の日でした。


プロ野球選手でも、芸能人でもない。
僕が人生で初めて抱いた夢は
「甲子園球児」
でした。


初めて観た甲子園は
1998年夏、当時4歳。

TVに映っていたのは…

(引用先:https://images.app.goo.gl/GMDmXWtebDAP45wq8)

春夏連覇の偉業を成し遂げた横浜高校
そして
決勝ノーヒットノーラン
平成の怪物・松坂大輔投手でした。

鳥肌が立つほど、かっこよかった。

「こうなりたい」と。
いや….
「こうなる」
と、本気で思いました。

そこからというもの、
松坂大輔投手のフォームを真似し
自宅の壁へ目掛けて、ひたすらボールを投げる日々
(当時、近隣住民の方には大変ご迷惑をお掛け致しました…)

そして小学2年生(2002/当時8歳)から
学内の少年軟式チームで野球を始め
中学軟式を経て
高校は
のち2023年北北海道大会の準優勝校となる
旭川明成高等学校
へ進学

(2012年度 旭川明成高校野球部 前列|左/右から7番目が僕)

高校球児時代|背番号の歴史
<1年>

春[ - ]
夏[16]
(投手兼内野手)
秋[4]
(5番セカンド)
2年
春[4]
(3番セカンド)
夏[4]
(5番セカンド)
秋[4]
(4番セカンド)
3年
春[2]
(4番キャッチャー)


そして迎えた
3年
夏[6]
(3番ショート)

(2012夏 3番遊撃手 木村 佑平)


…と、その前に。
つい先日まで
一人、12年抱えていた想いと
決別しようと思った
話をさせて下さい。

旭川明成高校野球部
2012年 夏
スタメンの8人は1・2年生
3年生でスタメン出場したのは
僕だけでした。


そして12年後

旭川明成高校野球部
2024年夏

3年生でスタメン出場しているのが
1人
という12年前と同じ光景が入ってきました。


- おい、嘘だろ? -

え、旭川明成野球部入学の
戌年生まれの役回りってなに?

(12学年上の諸先輩方は偉大な1期生。結論、関係ない。)

と、そんなことを考えながら
悔しくて、やるせなくて、堪らなかったが
最後まで、見届けた。


昨日6月29日
代表決定戦・旭川実業戦


唯一の3年生スタメン
背番号17番・渡邊くんが放った
2打席連続ホームラン


とてつもなく痺れた


12年前の僕には、
打てなかった。


そして
途中から登板し
5回を被安打1で締めた
エース・阿部くん
最終回、セカンドの守りに付いた
主将・岡崎くん
そして、最後のバッター
代打で送られた
背番号13番・柴野くん

初戦の羽幌戦では
ベンチ入りの3年生全員が出場


とてつもなく嬉しかった


12年前の3年生控えには、
そのチャンスがなかった。


そんなことを考えていると
「当時にもう一度、戻れるのならば」
と感情が溢れてくる。

しかし当時にはもう
どう足掻いても、戻れない。

そして


完全に吹っ切れました。


これも全て
25期生のお陰です
ありがとう



旭川明成野球部25期生の皆さんへ

2年半の高校野球生活、お疲れ様でした。

悔しい思い、きっとたくさんしたことでしょう。

ですがその悔しい思いを
妬みや恨み、嫉みにせず

反骨心に変えて

今までのことに自信を持って
前を向いて進むと

必ず高校野球での経験が
身を結ぶ時が、来ます。

必ずです。

25期生の名前
(マネージャーさん含めて)
全員、覚えました。


これから就職や進学
様々な道に進むと思いますが
もしも息詰まって誰も頼れなくなったら
最終手段、僕に連絡下さい。
その時は何か一緒に、かましましょう!


その為には
まずはbyKの経営を維持できるよう
札幌で気合い入れて尽力します。

最後に
13期生は、今年皆30歳になりますが、
完全疎遠になっています。

当時は
BBQ・卒業旅行へ皆んなで行ったり
卒業後も定期的に飲みに行ったりしていたのですが
歳を重ねるごとに、各々の生活が変わり
関係性を保つのが難しくなってきたりするものです。


25期生の関係性が分からないので
一概には言えませんが
意識的に
定期的な連絡を取り合う

仲で合って欲しい。

そして
思いやりを忘れずに
この出会いを大切にして下さい。


あなたたちの未来を、応援しています。


旭川明成野球部13期生 主将 木村 佑平




(おい、ちょっと待て、お前の当時の試合を詳しく知りたい)



おっと、ありがとうございます。

なんとここで
「ブログの師匠」と勝手に仰いでいる
amebloブロガーのoyoyoさん
当時の試合を
執筆して下さっていますので
ぜひ覗いてください!

(oyoyoさんへ)
ご無沙汰しております、木村です。
突然、すみません…お元気でしょうか?
また、僕のこと、覚えていますでしょうか…?
また、いつの日かお会いしたいです!


【まとめ】
夢は、幾つもあっていい
ただ、その夢たちは
全て
同じ思いに直結している
ことが大切である。


そう学ぶことができた
12年前の失った夢の話でした。

もう、当時を振り返らない!
これにて、終結!


2013年6月30日「恩師との別れが、突然訪れた日。」

11年前の今日
大好きだった恩師が
談笑した3時間後に
突然、この世を去りました。

その先生の名は
高校3年間
数字が嫌いだった僕に
数字を立てることの楽しさを教えてくれた
木村  徳康  先生

出会いは商業・簿記の授業
当時高校1年生の僕は
野球の事しか考えていなかった為
勉強を疎かにしがち
授業態度も悪く(寝ていた)
散々諸先生方に、ご指導頂いていました。

その中で
同じ姓を授かっている
ということも相まって
可愛がってくれた
通称・キムキム先生は
見た目はとてもダンディで
かつ怖い雰囲気も兼ね備えているので
実際、先生との関係性がないと
緊張してしまうであろうものの
その優しさに甘えっぱなしで
授業中、フルで常に寝ていました。

しかし一度も怒られることがなく
「きむちゃんよ、無理するなよ〜」
「野球はどうだ〜期待してるぞ〜」

と、毎度優しい言葉ばかり掛けてくれる
懐の深い人でした。

今振り返ると
球児時代、後輩に厳しかった僕は
引退後「関わりやすい先輩」
方向転換したのは
木村先生のようになりたい
と思っての行動だったかなと考えています。


そんな木村先生との時間
一度だけ顔色を変えて
指導してくれた出来事がありました。

それは
高3の秋

六花亭製菓に内定を頂き
最高に未熟者だった頃
いつものように
キムキム先生の授業=寝れる
という思考でだらけてた授業終了後に
珍しく木村先生から、お呼び出しが。


「木村くんよ。
社会は、理論でできている。
その理論で、騙し合いだ。
お前はこのまま行くと、騙される。
騙されない為には、数字に強くなること。
今のうちに学べ。今しかできないぞ。」


当時、響かなかった言葉。
ちゃんと聴いて、やるべきだった。


木村先生、その通りでした
しっかり、騙されました


その後、僕は卒業後
内定頂いた六花亭製菓へ入社
帯広へ移住するも
案の定、仕事内容は合わず
職場の人間関係・野球も上手く行かず
沸々したまま
弟のように可愛がっていた後輩たちが
北北海道大会出場を賭けた
代表決定戦を迎える…
その応援で、旭川スタルヒン球場へ!


試合は惜しくも敗れるも
感動で気分が高揚していた所…
アルプススタンドで木村先生に遭遇…!



木村先生
「お〜きむちゃん〜六花亭どうだ?今度お菓子持ってきてよ〜」

「や〜やばいっすね!お菓子任せて下さい!来週学校行きます!」











それが、最後の会話でした。









翌朝2013年7月1日
同級生から訃報を連絡を受ける
そこからどう旭川へ向かったのか
どう帯広へ戻ったのか
余り覚えていない


ただ約束したお菓子を通夜へ持って行き
泣いた記憶だけは残っている


木村先生へ

今、こっちに帰ってきていますか?

起業したって聞いたら、驚きますか?
それも妻とって言ったら、笑いますか?
あ、娘も生まれました!

あー
あの時、甘々な自分へ指導してくれた
あの言葉を受け止めて
木村先生の元で、
しっかり勉強しておくべきでした…

甘々で本当にすみません……


11年経っても、あの日のことが
昨日のことのように感じています。


相談したいこと、たくさんあります。
生きていて欲しかった。


いつになっても、解消できません。

木村先生から教わったことを軸に
社会貢献できる良い会社、必ず創ります。

byK 副代表 木村  佑平



【まとめ】
人はいつ死ぬか分からない
生きているうちに
その人が伝えたかったことを受け止め
一生懸命、生きる

そう感じさせてくれた
11年前に突然起きた恩師との別れでした。

いつまでだって、背負っていく。


2023年6月30日「クビになり、雇われを辞める決意した日。」


1年前の今日。

僕は会社をクビになった

そして
雇われて生きることを"辞める"決意をしました

(え?どういうこと?)


何故クビになったのか?

詳しくは書けないのですが…

<結論>
お客様の悪どい電話対応に我慢できず
ため息をついてしまった
そのため息がお客様の勘に触れ
「上出せや!」
→「訴えるゾ!」
クビ
です。










は?









ちなみに最後の雇用は
派遣社員でした。

そして元々
6月30日で
任期満了での退職予定だったのです。

しかし、その日にクビ、
と言うことは?

任期満了…
にはして頂きました。
感謝です!

ため息ついて、すみませんでした!
でも社員さん方は一切フォローしてくれませんでしたね!
明らかにおかしかったでしょうが!
ですが、ため息ついて、すみませんでした!

(え、なんで雇われ辞める決意したの?)


それは
派遣会社さんとの間で
不手際が発生し…
失業保険支給日が予定より2ヶ月伸び
貯金で切り崩す日々、家計は火だるま!
になったからです!!

なので
<<結論PART2>>
僕は妻と起業
いえ、妻の会社に
専従者入社したわけです!


(よくわからない、だからなんで雇われ辞める決意したの?)


【自分が働きたいと思う会社を作ると決めたから】


そもそも8年前ほどから
「起業したい」
と野心燃えたぎらせていたのですが

その真髄は

「働きたい」と思える会社が存在していない
⬇︎
僕を雇いたいと思って頂ける会社の期待に応えられない

だったのです


高校卒業後
六花亭製菓入社(帯広へ)
半年で退職
(正確には5ヶ月半)

当時兄がいた松前町へ2ヶ月滞在
(無職、兄が養ってくれた、家事をマスター)

(旭川へ)ENEOSバイト
(その間、EXILE VBA4へ参加も一次敗退)

2014年3月 札幌へ
EXPG札幌校へ入校
(ガソスタバイト継続するも3ヶ月で退職)

(すすきのキャッチ、711夜勤などでバイト)
(ここで某マルチ勧誘多数経験※全てお断り)
(ここで東京の芸能事務所受かり上京→父親ブチギレ断念)
(父親より「母親体調崩した、帰ってこい」連絡)

EXPG退校
11月(旭川へ)
某清掃会社へ就職

(結果として、2018年3月まで働く)

2018年4月
車屋(稚内↔︎旭川)

11月
稚内で交通事故で死にかける

「死ぬ前に東京という街で暮らしたい」
という夢を叶えるべく

2019年2月
静岡・焼津へ
3月
上京(足立区)
※上京前に
「数年後、札幌で会社をやろう」
と持ちかけてくれたある二人を
信頼・そして期待に応えたいと
その後、
3年半の芸能マネージャー生活は
(規約事情を踏まえ就職断り)
業務委託契約で
約80名の多種多様の
ライバー・モデル・タレント・インフルエンサー
をマネジメントしながら
月給最高5万
そしてあるバンドのマニュピレーターとして活動したり
シンガーソングライターとして活動したり
(現在も活動中)
雀荘(日暮里)↔︎イベントスタッフ/警備員(坂道G/48G担当)
を掛け持ちしたのち
同居予定人に飛ばれたのち、コロナ大打撃で借金生活
→所沢の親友と同居生活
その後
一度別れた中学の同級生と
復縁→同棲→結婚し
犬を迎え入れて
芸能の仕事と並行で
すき家で
深夜帯22:00 - 6:00 週6で働き

(最後らへん深夜バイトリーダーみたいになっていた)

2022年2月
満を持して札幌へ
しかしある二人との
話は一向に進まず
想定外の精神疾患に
→自力脱却、派遣労働開始

2023年
1月
ある二人との関係終了


6月30日
雇用終了→無職に

9月4日
妻「Feat. by K」起業

12月18日
Feat. by K 入社

2024年
4月9日
屋号「byK」変更
マザー事業開始


「このストーリーで、僕はここまで生きてきました」

そして本日

2024年6月30日
ブログ執筆、そして…


北海道唯一の母親専門会員制ボディケア&チルサロン
「WOMB」
8/1 札幌店 OPEN決定!


「まとめ」
有言実行で生きていく


不言実行
他力本願
舌先三寸

この3パターンの人格を持つ人へ
生きていては欲しい。
けど、関われない。
関わると具合悪くなる。
しかし
そういう人を救いたい。




おっと
気付けば5000文字以上も打っていましたね

これからも僕の持ち味である
熱量
を前面に出して行きたい


そして
期待されることに喜びを感じるので
今後、期待していてください

面白くなってきやがったぜ!

それでは、また明日!したっけね〜!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?