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『中2で勉強について行けなくなった僕が、陽明学をバズらす。』


まえがき

最初に言っておきますが、僕は超凡人です。

日本という、世界においては非常に身の危険を感じることのない環境に生まれ、日本の中でも下を見れば更に下はいるだろうけど、これだけは言えます。

他人は僕の事を成功者だと思った事がない。

仕事で圧倒的な成績や肩書きを持ったこともなけりゃ、大金を手にしたことも無い。正直めちゃくちゃ可愛い子と付き合った事はありますが結果振られてメンタルボロボロになりました。

『自分の評価は他人が決定する。』

大学生時代の野球部の恩師の言葉です。
まあざっとこんな感じで人生現在進行中なので、おそらく凡人で間違いないと思います。
自己紹介はこんなもんです。

言い忘れましたが、つばちゃんと申します。
知り合いに会うたびに痩せた?と言われますが徐々に太っていってます。
皆さん、この作品を見つけていただきありがとうございます。
そんな僕でも周りの方々には恵まれてきたなという気持ちはあります。

感謝。。

それでは、今回の作品のメインテーマである『陽明学』。
この存在も前に勤めていた会社のパイセン師匠から教えてもらいました。
知っていく中で、これはもう少し世の中に広まっててもいいんじゃないか、また僕を含めて何でこんなに認知されてないんだろうと思いました。

ネットで調べると危険と出てきますがそうでもないよなと感じました。
なので、この学問を題材に一冊作り上げようと思ったわけです。

個人的には特にこんな人にはニーズがあるんじゃないかなぁとぼんやり考えました。

・自分の行動力に満足していない。

・哲学に興味があるが、難しそうで後回しにしちゃってる。

・読書を始めたいが、簡単でそれなりに要点を掴めてるものを選びたい。

・ポンコツガラクタ人間でも一冊作れちゃってるという現実を目の当たりにしたい。

・幕末から現代に至る歴史が好き。

・世界の価値感が変わりつつあることをなんとなく感じつつある。

・後藤真希と同い年だし忘れられないの。(ただの同志)

・玄洋社員である。(DMください。)

・日本国民全員。

↑※この辺って意外と難しい。。

陽明学は一般大衆向けに作られた中国での学問。
読んで字のごとく、「太陽の様に明るい学び」
自分探しではなく、自分をどんどん深めていくというこれからの時代の流れにぴったしカンカンだと感じずにはいられませんっ(あばれる君)

僕レベルのポンコツでも分かるようになるべく流行りのビジネス知ったか英語ではなく日本語で伝えていきます。

内訳としましては、

一章目は、

・僕自身の陽明学との出会いや儒教全般の中国学問の流れについて


儒教とか論語とかを偉そうに語る人がいますが、そいつらのマウント(相手が馬乗りになること)を取るために、中国学問を歴史を分かりやすく説明、図解していきます。

二章目は、

・陽明学を学んだ歴史上の人物の紹介


中国から江戸時代初期に入り、陽明学は上陸、浸透していきました。

皆さんもよくご存じの大河ドラマでも主役を張った方や幕末に活躍した方、昭和のフィクサーと呼ばれるような方もいらっしゃいます。

マジSUGEeeeee!と思っていただけるように読者を煽っていけたらと珈琲焼酎を吞みながら妄想しております。

三章目は、


・具体的な陽明学の教えや内容について


陽明学についての本を2冊ほど読みましたが、むずいっす。中1でも分かるように僕なりに変換していきます。

四章目は、


・日常に落とし込む陽明学的なワークについてのご紹介


習慣は90日間で身につくと言われております。
歯磨き以上オナニー以下くらいの手軽な毎日できる実践ワークをご紹介していきますね。映画「ウルフ・オブ・ウォールストリート」でディカプリオの上司が毎日シコレとありましたがまぁ大変な作業です。

※なお、あくまでもこの本は陽明学という学問を一人でも多くの人に知ってもらおうという、【興味付け】の本です。

気になった方はガチで追及していらっしゃる方も存在しますんで参考文献やネットで調べて世界にのめり込んでみてください。


※※この本の第一章に入る前に田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい」を読み直し感銘を受けました。なので読んで文句のある方は田中さんに恐縮ですが抗議のDMをお送りくださいませ。


それでは、みなさん一緒に学んでいきましょう!

レッツラドン!(THE 夜もヒッパレより引用)

※THE 夜もヒッパレとは、1995年から2002年まで日本テレビ系列で放送された音楽バラエティ番組です。三宅裕司、マルシアが司会であり、DJ赤坂の軽快な場回しと知念里奈のキュートな感じが素敵でした。



第一章 陽明学との出会いをちょろっとと中国学問全般の流れをサックリと。


「今の日本の源流は陽明学にあると思うんだよね。」

このわけのわからない発言は、前に勤めていた会社の先輩であるM上氏が毎回博多区祇園にある食いしん坊という居酒屋で酔っ払いながら、僕に言ってきてました。

多分10回目くらいで気づきました。それと同時に頭山満翁についても熱く語っておりましたが、その話はまた今度にしましょう。

とはいえ芋焼酎と共に脳みそにマインドコントロール(洗脳、刷り込み)を受けた僕はいつの間にか、陽明学について興味を抱く様になりました。

元々幕末辺りの吉田松陰を始めとした歴史には興味があったので、それからブックオフに行く際には陽明学関連の本はないかと探す様になりました。
そもそも陽明学とは一体なんなのでしょうか。

陽明学とは、時代は16世紀初めの1500年ごろ、中国の明代で生まれた儒教を源流とする学問です。
日本は室町とか安土桃山時代ですね。

江戸時代が始まる100年くらい前なんであまりにも昔々の学問ではないといった感じです。

この陽明学という学問は王陽明(1472~1528)がおこしたものです。


この時代の中国明代は、朱子学という学問がメインの学びであり、試験においてもテストとして朱子学の内容が出題されておりました。

なので、良い学校に行きたい!社内で出世したい!という人達にとって朱子学を学ぶことは絶対。

しかし本来はどう生きていくかという学びの指南書であるにも関わらず、ただ役職を上げるために暗記するだけのものになっていたそうです。

それじゃあかんやんけ!と一念発起した少年時代はガキ大将であった王陽明さんが、形骸化(中身の無い形だけ)のものに変わり、実践論理(道徳や規則を個々の現場で活用)できる学問をつくったわけです。
↑ここが一つの肝となります。役人さんに向けられた一部の人の為の学問ではなく、生きてる人みんながそれぞれの生活の中で使えるように考えられたのが陽明学です。

実践哲学というものが先走りすぎてそれが危険思想と一部では思われているみたいですが、そんなことは無く、貧富とか勝ち組負け組とか関係なく作られた優しい思想であると言えます。

では、王陽明さんにもスポットライトを当てて掘り下げていきましょう。

えーとこの辺のくだりは興味ない方は飛ばしちゃってくださいませ。

まぁただの人物紹介なので。

王陽明さんが生まれたのは明王朝時代になります。

前の前が栄という時代で、それを元という国が滅ぼします。

元というのはモンゴルですね。

チンギスハンという名前は聞いたことがあるんではないでしょうか。日本にも侵略しようと攻めてきてますね。

その元を滅ぼしたのが、明代という国なんです。

ただこの明代はかなりの独裁政権だったらしく創業者である洪武帝は最底辺の出身だったのらしいですが、超一流の軍人であり有能な政治家でもあったそうです。

国の教科書に朱子学を採用したのですが、庶民を大切にする辺りのものは削除。

官僚に対しても軍事費を大量に捻出していたため、低賃金で働かせていたので汚職が盛んになっておりました。

洪武帝は元から国を取り返した英雄としても語られておりますが、その一方でかなり国民には厳しめの両方を備えた方でした。

そんな腐敗した政治が行われていた時代に陽明さんは生まれたのです。

陽明さんの父親は学者さんで高級官僚の家系でした。

5歳まではしゃべらなかったみたいですが、初めてしゃべったときには、以前祖父が声に出して読んでいた本を暗唱したそうです。

10歳のときには即興で詩を読むなど芦田愛菜ちゃんにも匹敵する芸術面での才能にも秀でたものがあると言えます。

そして文官の道へと進みます。

途中で2度試験に落ちることも経験したり落馬して胸を強打して結果、肺を患うこととなったり上席をディスってけっこうハードめな刑を受けたりとだいぶ波乱万丈な人生を過ごすこととなります。

また、幼少時代から戦事の指揮にも才があり戦場での指揮をとったりもしてます。

めちゃくちゃ賢いですが世は政治が腐敗している時代。

周りの人間はまっとうな事をいう陽明さんが正直いってうざいです。

都市から離れた辺境の地での任務に就かせます。

そこは地元の強烈な土民や肉食動物がうごめく土地。そんな場所で朱子学に疑問を持った陽明さんは陽明学を考案させていくのでした。

なおそんな場所でも圧倒的な結果を山王工業の様に残し続けます。

有名な書物として『伝習録』というものがあります。

最終的には肺を患っている中でも戦場での指揮を取らせたり劣悪な環境での仕事をさせ続け、無理がたたってこの世を去ることとなります。

ざっとこんな感じですかね。

陽明さんの生涯についてもっと詳しく知りたい方は、『「真説・陽明学」入門 林田明大 三五館』をお読みください。以外と読みやすく詳細についても半端ないです。

ほとんど拝借しております。申し訳ございませんごめんなさい許してください勘弁してください。

以上が陽明さんのダイジェスト(要約)でした。

続きましては、陽明学の源流である儒教についてを大まかにまとめましょう。個人的にいまいち流れが分かってないんです。

でもご安心を!

最後らへんに図解を貼っておきます。

一枚でカンニング(不正行為)できるようにしてみます。壮大ですね。

まず儒教(儒学)とは元々中国にあった考という思想を孔子(前552年~前479年)という方が生命論としてまとめ上げ、現在まで続くものを指します。

儒教の中に孔子が発案、まとめ上げた言行録として有名な論語があります。

そしてその孔子がまとめ上げた儒教を孟子(前372年ごろ~前289年ごろ)と筍子(前289年ごろ~前235年ごろ)が深化させ多様化していったそうです。

孟子が性善説、筍子が性悪説です。←どちらが良いか悪いかは別として、どちらを根本に置くかでガラッと人生変わりそうですね。

この後、漢の時代になっていくのですが、儒教を政治に取り入れるようになります。

儒者である董仲?が五経を考案します。

五経とは(易経、書経、詩経、礼記、春秋)のことです。

またこれを教える五経博士なるものが登場し儒教は官学としての道を進むこととなります。

しかしこの生き方理念だけでは国家は支えられません。陰陽家の陰陽五行説を採用することとなり政策の正否を占うことになったりします。

そこから色々でてくるんですが、話しが脱線していきそうだしはしょりたいです。

この時代以降も国定教科書に選定されるなど一定の地位は保ちますが、中だるみしていきます。

マンネリは悪なのです。(悪人、凶悪という映画が好きですが、そんな辛そうな映画が好きな女の子と出会えました。沼です。)

そこで世界や歴史論を再度、探求しようという動きが現れます。

それこそが朱子学なのです。

儒学の革新運動と言われてます。

大々的に採用され、東アジア諸国や現在も日本にも生きていると言えるでしょう。

有名なものは四書大全(大学、中?、論語、孟子)です。五経とともに国定教科書としての地位を築きます。

そして朱子学に疑問を持ったのが、王陽明さんです。朱子学が頭でっかちになりすぎていたため実践や心に重きを置いた陽明学を興すのでした。

ただし陽明さん自身も行き過ぎた行動主義な傾向があって陽明学は遊離していきます。

第2章で紹介する吉田松陰や三島由紀夫にもその傾向がありますな。その後はもっと経済的にも実用的な学問として考証学が出てきます。

18世紀となってヨーロッパからの外圧も激しくなっていく中で負けまいと中体西洋といったコラボ思想が生まれたりしますが、結果として植民地化してしまうこととなります。

そして1915年、文学革命が始まり儒教は批判され、孫文らによって政治と切り離されてしまうこととなります。

1960年代には文化大革命によって毛沢東を中心として孔子関連の遺産は取り壊されてしまいます。

ですから現在では民衆の中に根をおろした思想となっております。

そして近年では「論語と算盤」なんかで注目されておりますわ。

以上が儒教の歴史プレイバックのコーナーです。読むのが面倒な方は図解でご用意しますんで、そこで大まかなイメージを持ってくださいませ。

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そして続いては陽明学を学んだ日本の歴史上の人物です。第一章は長くなりすぎて申し訳ないっす。

書いてて途中で辛くなってました。

蒼井優を山ちゃんに持ってかれたときくらいの辛み。

ですが次は個人的に楽しみなコーナー!この辺で食いついてくれる人がいればもうそれは友達です。


第二章  陽明学を学んだ日本の偉人列伝


これを書く前に思ったんですが、多分ちょっとでも関わりがあると学んだ認定になるんでしょうね。。なるべくこいつは怪しいだろと思った人は載せないようにします。


・中江藤樹(1608年~1642年)


日本陽明学の祖といわれる方です。

出身は近江の国。

滋賀県あたりですね。

ここから近代日本にかけて陽明学が開花していくわけです。

藤樹さんは農家の長男として生まれ15歳で家督をついで藩士となります。

父が18歳で他界し19歳で郡奉行として任命されるのですが、26歳のとき故郷で一人でいる病弱な母を思い、辞職を決意。オッケーがもらえず脱藩を決意。

結局お咎めはなく国に帰ることが許されたのです。安定した未来を捨て、ニートの道を選びます。

清貧の生活を送りながらも学びを続け質素な会所が作られます。

その後、藤樹書院を建てて各地から学びに来た人達に教えを説きました。

その半年後に41歳という若さでこの世を去ります。

この中に熊沢蕃山もいらっしゃったそうです。


・熊沢蕃山(1619年~1691年)


京都出身の方で当時日本一の経済コンサルタントであり、みなが争って蕃山の教えを求めたそうです。

藤樹に直接入門し、陽明学を数か月ながら学びます。

岡山藩主の池田光政に仕えました。

藩主みずからが藤樹ならびに蕃山の教えに信奉し藩学としたことから岡山藩では陽明学が盛んになりました。

晩年は国政への意見書が過激すぎて禁固刑となり、73歳、同地でお亡くなりになりました。


・渕岡山(1617年~1686年)


熊沢蕃山とともに藤樹さんから直接学びました。会津陽明学の創始者と言われています。

蕃山とは違い、武士や庶民に教えを説いたそうです。

晩年は藩主の出した心学禁止令の中、命がけで講義をしていましたが、結果流刑となり、同地で没しております。


・山鹿素行(1622年~1685年)


会津若松の方で儒学者であり兵学者です。

朱子学を学びその後に陽明学に触れます。

そしてあまりにも早すぎる勤王思想に触れて江戸から赤穗に流されます。

そこで大石内蔵介に影響を与えたといわれてます。


・佐藤一斎(1772年~1859年)


幕府文教の実質的な超エリートであったと言われております。

代表的な著書に『言志四録』というものがあります。

彼が42歳から80歳前後までの学問、人生観を記したものです。

後に坂本龍馬、吉田松陰、勝海舟、西郷隆盛などが影響を受けた言われております。


・山田方谷(1805年~1877年)


岡山出身で苦学が実って松山藩主となりました。30歳で江戸へ出て一斎から陽明学を学びます。

熊沢蕃山に傾倒し、やがて借金苦に陥っていた松山藩の財政改革と農村復興を実現させることになりました。

そのため財務・国事を問われることが多かったそうです。


・河合継之助(1827年~1868年)


2021年に映画化される司馬遼太郎作品である「峠」の主人公であります。待ってました!

長岡藩であり藩校の塾頭は佐藤一斎の門人である高野松陰です。

17歳のときに王陽明を祀って国の為に頑張ると誓いを立てたそうです。

そして31歳で家督を継ぎ、山田方谷から学びを受けることとなります。

帰藩し開国論を唱えます。

その後、家老となり財政再建に取り組み功績を上げます。

戊辰戦争では争う意思が無いものの受け入れられず不利な戦いを強いられ戦いの最中に命を落とすこととなります。

この継之助を尊敬し続けた者の中に長岡藩士の家に生まれた、海軍元帥の山本五十六がいます。


・大塩平八郎(1793年~1837年)


小陽明と評され独学で名をなした陽明学者です。家職の与力を務めています。

殉職覚悟で大きな事件を解決させ、名声を手に入れます。

飢饉の際には書籍を売り払い600両もの大金を救済にあてたと言われております。

最終的には幕府閣僚の汚職を暴こうとしますが、追い詰められ自殺しました。

ただ表向きには一揆的なことを起こし失敗となっております。「大塩平八郎の乱」です。


・横井小楠(1809年~1869年)


坂本龍馬、高杉晋作らが感銘を受けた熊本は肥後の国の思想家です。

佐藤一斎の門下であり、家計の貧しさから陽明学や水戸学を学びます。

越前の福井藩に招かれ藩主の政治顧問となります。

しかし大酒のみがたたって剥奪。

晩年は明治の時代に主権在民を唱え、保守派に京都で暗殺されてしまいます。


・佐久間象山(1811年~1864年)


信州松代藩の下級武士の出身で江戸へ出て佐藤一斎の門下となる。

オランダ語をマスターし海外事情にも長け漢学者としても一流でした。

弟子の吉田松陰の海外渡航事件に連座し謹慎処分を受けるが才能を認められ活躍し始めます。

が、これからというときに暗殺されてしまいます。妻は勝海舟の妹でした。

洋学者として有名だった象山のもとには坂本龍馬や勝海舟、橋本佐内なども学びにきていたそうです。


・吉田松陰(1830年~1859年)


この方はいまだに根強いファンも多くご存じの方も多数いらっしゃるのでは。

松陰は長州藩の貧しい下級武士の出です。

陽明学の師としては、平戸藩の葉山佐内、佐内から教わった大塩平八郎の「洗心洞?記」を読破、佐久間象山の砲術塾に入門、などがあります。

そして松下村塾を開き明治維新や明治政府の中核を担う人物を育てます。

晩年は幕府を脅かす危険思想の持主だということで捕まり獄中で刑死となります。

後述しますが、太陽暦に換算すると三島由紀夫の自決の日と一緒みたいです。

信じるか信じないかはあなた次第。

・高杉晋作(1839年~1867年)

この方も人気ですね。るろうに剣心にも登場してました。

破天荒でもあり病気で短命でもありました。

藩の考えを倒幕に変更させたり下関で外国と戦ったり。

奇兵隊なんかも有名です。

自作の詩に「王学(王陽明)振興して聖学新なり」があります。


・西郷隆盛(1827年~1877年)


近代日本においての最重要人物だと勝手に評価してます。

近年においては大河ドラマでもありましたね。

それほどまでに幕末から現在に至るまで多くの人が感銘を受け愛されている人です。

陽明学との関わりは多数ありますが、一番は流刑の際に出会った川口雪ぽうでしょう。

晩年は西郷家の留守役となりました。

後述の頭山満で出てくる人です。

清貧でありながらも国民を第一に考えた大人物であります。


・乃木希典(1849年~1911年)


司馬遼太郎は山鹿学派の最後の継承者と讃えております。

長州藩の出で、松陰の弟子の玉木文之進から学びました。戊辰戦争、西南戦争、日露戦争では大将として活躍を見せます。


・頭山満(1855年~1944年)


アジアの巨頭とうたわれた人物です。

西郷隆盛を崇拝しております。

西郷に加担すべく薩摩に訪問した際には、西郷が愛読した「洗心洞?記」「王陽明全集」を借りパクします。

その後ちゃんと返したそうですが、また訪問した際には留守役の方から「陽明文粋」「靖献遺言」を進呈してもらったそうです。

また有名なところでは玄洋社を設立。

首相であった広田弘穀や後の福岡市長である進藤一馬、思想家である中村天風などを輩出しています。


・安岡正篤(1898年~1983年)


言わずと知れた昭和のフィクサーと言われる人物です。

卒論で出した「王陽明研究」が反響を呼びました。

有名なところでは戦争終結の際の天皇の玉音放送の草稿に関わる、平成の名付け親などがあります。

また晩年には細木数子と結婚などがあります。

財界の指南役として今なおその思想は現代に受け継がれているといえるでしょう。


・三島由紀夫(1925年~1970年)


晩年に陽明学に傾倒したと言われております。

ここに陽明学が危険思想とのイメージがついた要因があるようですね。

日本文学界においての代表する作家のひとり。


以上がざっとでありますが、陽明学に感銘を受けた歴史上の人物です。

陽明学は心の哲学、実践の哲学であり変革の時代とマッチしたのでしょう。

ただ陽明学がというよりは、儒教を学ぶうちに陽明学というジャンルと出会い、それが行動、実践につながったのではないでしょうか。

思想家で現在もご活躍中の斎藤一人先生は「この星は行動の星」とおっしゃております。

また編集者で「情報断食」を執筆した鈴木七沖さんも「想い→行動→具現化」されたものが現在の世界の真理とおっしゃっております。

行動・実践でこの世はできてます。


また、先述で述べた方たちも大半がろくな死に方をしておりません。

陽明学の根本であり、論語に出てくる言葉『殺身成仁』。身を殺しても仁を成す。


これが行き過ぎた結果でしょう。

ただ今の時代はたいがいな事をやらない限り死なないです。

働かなくても餓死することはないでしょう。

今後の時代は元編集者である長倉顕太さんがおっしゃているように自己表現の時代になっていくと思います。

給付金がでたようにベーシックインカムで働く必要のない時代に何を自分は成し生きるのか。

そういった意味でもご自身のガソリンとしておおいに陽明学を活用していただければと思います。

では、第3章では陽明学の代表的な教えについてを学んでいきましょう!



第三章 具体的な陽明学の教えや内容について


それでは王陽明が伝えようとした陽明学の代表的な教えについて一緒に学んでいきましょう!

調べてたらだいぶ書くと難しくなりそうやったんでめっちゃ頑張ってかいつまんでいきます!

なんとなくわかってもらえたら150点あげます。


今回紹介する教えは、
・心即理
・知行合一
・致良知


の3本立てです。サザエさんでこれ出てきたら令和維新発動、バルス逆流、使徒です!ですね。

他にも、「事上磨錬」「心中の賊を破るは難し」「殺身成仁」などありますが、結局言いたいことは一つなのです。←この考えが陽明学の基本原則となります。

では一発目へ!


『心即理』

陽明学とは心の哲学です。

近年でも心はかなり注目されてます。

サピエンス全史で有名なユヴァル・ノア・ハラリ氏も最終的には瞑想であったりスタンフォード大オンラインハイスクールでも必修科目が哲学となってます。

おそらく物質や情報社会が行き詰った結果でしょう。

この『心即理』が陽明学の基本的な考えとなります。

理とは筋道を指します。

筋道とは為すべきことであったり、志などの自分が進む道です。

なので簡単に言うと心次第、心が全てだよってこと。

なんだよそんなことかよって感じですよね。

でもこれを根っこから大事だと思うことが難しい。

なのでまずは『心が全て』が腑に落ちることが重要なんです。

知識や情報を増やすことよりも心の歪みをなくす。

それが人間本来の力を発揮する一番の手段だと陽明は考えたわけです。

確かに立ち止まって考えてみると心の歪みがひどくなる情報というのは多い気がします。

メンタルの低下やストレス社会は外的な情報が増えた結果なのかもしれません。

それによって生きていくのはいつまでも自立することなく何かに依って生きることになります。

自由がきかずにムリが生じてくるわけです。自分の筋道は外から得るものでなく、自分の心にあるよという考えです。

情報や手段は今後も増えていくでしょう。

そこに対して判断力や決断力は自分の心でしかないのです。

そうこうしている間に感じる能力が失われ、優しさや愛情を発揮できなくなるのです。

人は心が見ようとしたものしか見えません。

まずは心の持ち方次第で見えるもの、世界が変わってくるよってことです。

久しぶりの焼肉と7日連続の焼肉じゃ全然違う。そういうことです。

その心即理ですが、ざっくり言っちゃうと

『区別をつけない。』

ということです。
心と理(筋道)に区別をつけない。
私とあなたに区別をつけない。
男と女に区別をつけない。
黒人と白人に区別をつけない。

ダイバーシティ(多様性)という言葉がここ数年で定着化しましたね。

人は共感してくれると嬉しいか悲しいかというと嬉しいですよね。

ダイバーシティという言葉のあるうちは、なかなか差別はなくならないかも知れません。

分けて考えることが全てを対立的にしてしまっているのです。

まずは、この習慣が自分にあることに気づき、心即理を心がけてみましょう。


『知行合一』

読んで字のごとく、「知ると行うは表裏一体、ワンセット」ということです。

ただ、知っててもやらなきゃ意味無いよ。っていう考えじゃありません。

知ることは行うことの始まりであり、行うことは知ることの完成である。ということです。

心即理にあるように決して分けて考えないのです。


本を読むことだってそうです。本を読む行為ですよね。

そしてまずわが身の心から正しくする行いをしていこうということです。

心を行動させるって考え方が案外いいのかもしれません。

学ぶ→心が動く(行動する)→体が動く(行動する)

これでワンセットなり。そしてこれはずっと循環し続けるのです。

大事なのは心をアクティブに、そしてリラックスさせておくということですね。

現在では知識(情報)ばかりが増えて、心や身体が動かせない状態に多くの人がなっていると言えます。

案外、深いっすね。知行合一。。

前提として心が行動できる状態に持っていかなければならないのです。

その対処法として心即理があるのです。


分かりやすくすると、

・素敵な情報を得て、心を動かし身体を動かし、またそれを知として循環させる。

・多くの人が行動に移せないのは心が行動できない状況にある。心を知行せよ。


ということですかな。この状況を作り出すにはまず心即理!ってことだす。


『致良知』

致良知とは、簡単にいえば良い事を行う、極めるというものです。

極めるということは、すでに心はもともと良いものであるということです。

性善説ってやつですな。

私たちは基本的にはこの環境において良い事悪い事(是非)は認識しているでしょう。

良いと思えることを知り行動に起こす。

その習慣が周りの情報に流されず、主体的な人生を送ることができ、自由につながるということです。

致良知というのは方法論です。
ただただ良知を致す。

この1点を習慣化させることが陽明学といえるかも知れません。

まさに、「太陽の様に明るい学び」って感じですね!
そして言い方はあれですが、凡人だろうがなんであろうが、実践でき、本来の自分らしい人生を歩むと思うんですよ僕はね!!

ちょっと夜も更けてきて変なテンションになりつつあります。(2021/1/3/1:24)

第四章ではこれまで拝借しまくった情報ではなく、自分で即興ラップの様にノリで考えた毎日できそうなワークを紹介していきます。



第四章 日常的にできる陽明学的ワークのご紹介


さて、今からは第三章で学んだ陽明さんの教えに落とし込んでいきましょうのコーナーとなっていきます。
毎日の習慣でしか、人は成果を上げたり人生を変えることはできないと思っています。

これなら僕でもできそうだというものに思慮に思慮を重ね、2時間くらいで考えたいと思います。(2021/1/3/10:10)


5つアイディアを出そうと思うので、どれか1つだけでもできそうなのがあれば、やってみてください。食えなんだら食うなby関大徹!

其の壱  スマホの電源を切る


心即理のコーナーでも説明した通り、対外的な情報によって自分の理(筋道)が見えない、作れない状態であるといえます。

できれば自分だけの部屋や人が少ないところに行って情報を遮断してみましょう。

別にこれ以上の意味は求めませんが、あえていうとすれば区別する環境からも距離を置いている状態だと認識していると尚良いですわな。


其の弐  洋楽を聴く


英語が分かる人は意味ないんでダメ!絶対。

リズムや声色だけでもこの曲好きだなって感じること、あると思います。

これって心が行動していることに他なりません。

映画でも感動するってことがありますが、感動するように作られていたりします。

それならば、洋楽を聴いて心を動かしていくほうが理に適っているといえます。


其の参  街を歩いて、服を買う。


逆ではいけません。

なるべく若い人が多くて、服屋さんが多いところをまず歩いてみてください。

流行りなのかトレンドというものなのか、けっこう同じアイテムを身に着けていることに気づいたりします。

そのアイテムの色や形を少しずらして服屋さんで頑張って見つけてゲットします。

歩くことによって情報を得て知り、自分なりに判断して主体的に選ぶ。

ファッションは自分を表すほどに重要なものです。

それでいて自分が好きなものを身に着けているということは心がアクティブであったりリラックスできる状態やったりです。

なかなか良いアイディアで自画自賛です。誰か褒めてください。


其の四  一番の大型書店に行く。


書店ってある意味宇宙です。この世界を人類が言語化したものが書店です。

しかも大型なほど、より言葉が増えるため世界に近い。。

図書館でもいいですが、書店に行くほうが最新なものがある分、膨張し続ける宇宙により近いでしょう。

でも自分が行くコーナーってある程度決まってますよね。

行かないエリアってのは自分が無意識的に区別をしているんだと思います。

最初はそのコーナーを歩くだけでいい。

いつか前までの歩くだけのコーナーから気になるものを見つけたとき、心から一つの区別が無くなり自分の志や筋道が見えてくる一歩となりえたといっても過言ではない。


其の伍  上機嫌でいる。


これは「運転者」という本で学びました。
最高の良知を致すことに繋がると思います。

道で迷ってしまったとき、機嫌の悪そうな人より機嫌の良さそうな人に道を尋ねますよね。

自分と他者が繋がりやすくなる最善の方法が上機嫌でいることです。

上機嫌でいるためにはまず自分の心とつながっていること。

ぜひ自分自身と繋がり、相手とも繋がる。ぜひお試しください。


以上が毎日できたり、休日にできたりするワークです。
すごくないですか。ちなみに今の時間が(2021/1/3/11:06)

約一時間で考えたってばよ!

だてにあの世は見てねえぜ!


情報過多やメンタル低下やストレス社会。今後は自分自身の心を強くしていかないと辛い時代になってくると思うんです。気軽にお試しあそばせ。




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