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自己紹介改め プチ暗黒期〜夜明け期

さて前回の続きを…
暗黒期と書いたものの、結果としては休職したのは2ヶ月か3ヶ月で(もう正確には覚えていない)、しんどい時期ではありましたが自分の成長につながった時期だったなと。今思えばだけど。

会社に行けなくなった上に、朝晩逆転でどうしたもんかと思いつつも、友達と大人計画の舞台を観に行ったり、キングブラザーズのライブに行ってはっちゃけたり、何故か木材を買ってきて本棚を作ったり。そんな事は普通にしていた記憶。でも活動時間は全部夜で、ふわふわしていて、不安が心のどこかにあって、心底楽しめていなかった気がします。
心療内科にも通い始めていたのだけれど、そこの医者がとんでもなく横柄な態度の上から目線だわ、共感の言葉もないわ、簡単に強い薬(眠剤)を出すわで「なんでこんなのが心療内科医に?」と不信感でいっぱいでした。ただ会社に提出する診断書が必要なため、最初に行った心療内科にもう一度行く必要があった。そして仕方なく2回目に訪れた時、何故だか忘れたけど腹が立って、泣きながら診断書をお願いした。泣いたら慌てて診断書出すって言って、さっさと診察を終えられた、そんな医者だった。あれから何年も、その病院の横を通るたびに「ヤブ医者、早く潰れろ」と呪っていたものでした…。
とにかくすんごく嫌な気持ちになったので、病院をチェンジしてリトライ。フィーリングバッドな医者だったら嫌だなと思いながら不安な気持ちで行った病院の先生は、物腰がとっても柔らかな女医さんで、とても丁寧に私の話を聞いてくれました。前とは違う意味で泣いた。ほわっとあたたかいものに包まれる感じがした。全然知らない人だし、私の仕事とも全く関係ない人だけど、救われたあの感触を今でも覚えている。イケてるメンタルヘルスドクターだった。略してイケメンドクター。やっぱり人の心の問題を扱う医者はこういう人でないと。そしてこの時下された病名は、「自律神経失調症」でした。病名がつくとね、なんか着地点が見つかって少し気持ちが落ち着くよね。

そんなこんなで少しずつ心の整理をしていた私ですが、なによりありがたかったのは、やっぱりこういう時は身内。詳しい話はしていなかったけれど、会社を何日か休んでいる話を母にメールか何かで伝えたのだと思う。いてもたってもいられなくなった母は、父を連れてすぐに私に会いに来ました。ご飯に誘ってくれて、何を聞くでもないけれど、とても心配していることと、我が身を第一に考えて大切にしてほしいっていうようなことを私に話してくれたのを覚えています。あとは実家に帰った時に、気功の先生のところに連れて行かれました。えーなんか怪しいやん。と思いつつ、母も私をなんとか治したい気持ちなのだろうと、そこを汲み取って言われるがままに行きました。雑居ビルの3階の窓に大きく「気」「功」と貼られた怪しさ満点の場所。行ってみると、おじいちゃん先生がひとり。思っていたほど怪しい感じでも嫌な感じでもなく、優しそうなおじいちゃんでした。このおじいちゃんが言うには、身体は悪くない心の問題だからと「手をお皿みたいにしてそこに嫌な気持ちとか嫌いな人を思い浮かべて入れて、宇宙の果てまで飛んでいけって言いながら宇宙を想像して投げて」と。まじで?いまここでそれやるんか。と、ちょっと笑ってしまったのだけど、逃げられなさそうだったので、やりましたよ。
「うちゅうのはてまで、とんでいけー!」
しかも何回も。もっと大きな声でとか言われて、何回もやりました。アホみたいだなと思いつつも、間違ったことは言われてないなと思う自分も居て。ここに連れてきた母の気持ちと、このおじいちゃん先生の気持ち、私のことを心配してくれている人たちの気持ち、そんなものを感じながら嫌な気持ちを投げました。こんな状況に追い込んだAさんを憎もうにも憎めず、自分が悪いという気持ちに変えてしまっていたこと、全部全部一緒にして投げました。宇宙に。もう戻ってこないでね。
このほかにも、上司や先輩によるサポートもろもろ、色んな人の助けを経て、2ヶ月(3ヶ月?)後に職場に復帰しました。しかも「好きなカタログ選んでいいよ!」と言われて(笑)。今思うと、私はやりたい仕事だけを選り好みしたいわけじゃなくて、ふつうに自分ががんばったことを評価されたい、いまある仕事をしっかりがんばりたい、そんな気持ちだけだったのだけど。わがままが通って復帰しただけみたいに思った人もいたかもしれないなあ。。。でもそれをひとつひとつ細かく説明する気力もなく、調子も戻っていなかったため、言葉も出にくい状況だったように思います。今では、すんごいおしゃべりな私が。今まで生きてきた中で、あんなにしゃべれなくなったのは後にも先にもあの頃だけでした。

でもこの経験は、私の心を強くしました。母に言われた言葉はこの後の人生でも教訓のように思い出されました。「我が身第一、我が身あってこそ」。決して傲慢な意味でも自分本位な意味でもなくて、身体を壊すほど無理をしてはいけないよっていう母の愛だったように思います。いちばんありがたかった。親のありがたさを感じて、もう心配かけたらいけないなって思いました。そんな26歳頃のお話。

P.S. 潰れろと呪いをかけていた心療内科はその後も存続していましたが、気功の診療所はその後何年かして通りがかったらなくなっていました。おじいちゃんどこに行ったのかな。。。そして私の呪い効果なし〜。

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