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社会人その後 専業主婦の生きる場所

ジェーン・バーキンが亡くなって、関連記事をたくさん読んでいる今日この頃です。女性として母として色々刺さる言葉を残されていて、40代も半ばになった私にはありがたかったり、背中を押されたりしています。先人から学ぶべきことはたくさんあるし、助けとなることは必ずありますね。

さて、今日は自己紹介もそろそろ終わりにしておかないとという気持ちで書き出しています。社会人時代のことは書こうと思えば色んな話のネタがありますが、私のそんな個人的な話を長々と書いても面白いのかな?という気持ちもありますので。そしてババーンと飛んで出産やら子育て時代、まあそれは今も続いていますが現在までのざっとを、今日は書いてしまおうかなと。ちょっと私的すぎて、読んでいて気持ちの良いことばかりでもないと思うので、今回はちょっとだけ有料にしたいと思います。そこまでして読みたい人もいないと思うけど、鍵をかけておく意味も含めて(笑)

先に書いていた通販会社に勤務したのは8年間でした。おもしろい会社だったので、色んな経験をさせてもらえたのですが、途中で会社が上場し、ある意味いい加減でいい味が出ていた会社の色が変化し始めて、それに伴い新しく入ってくる人たちの雰囲気も少しずつ変わっていくのを感じて。いい悪いの問題ではなくて、私も新しい居場所を探したくなってきた、みたいな感じだったと思います。ここじゃないかもと思い始めたというか。やめて何をするか決めていたわけではないのだけれど、その時、結婚を前提に同棲している彼氏もいて、生活にも困っていなかったので、とりあえずやめたら忙しくてずっと行けていなかった海外旅行にしばらく行って、それから就職活動をしようと思っていました。そして退職後に旅行したベルリン、ヘルシンキ、ニューヨークで買ったアンティークのものや、直接やりとりをした作家さんのアイテムなどをそれなりに揃えて、帰国後にウェブストアを作って売り始めることに。雑貨が好きだったので。ほそぼそとでしたが、同業者さんとの交流やリピーターさんとのやりとりもあり、面白い経験でした。それと同時進行で、もともとお仕事相手だったグラフィックデザインの会社の社長さんに誘われて、アシスタントとしてアルバイトをすることに。と、そんな感じで気付けば4年ぐらい経っていて(笑)結局ちゃんとした就職活動をしないまま、その間に結婚し、妊娠し、出産をひかえてデザインアシスタントのバイトも卒業しました。こうして振り返ると、運がいい人生だったなのかもしれない。

そしていよいよ出産です。

2012年の2月に、第1子となる男児を出産しました。初めての妊婦期は体調もすこぶる良く、おなかが大きいのにタイに旅行に行ったりと、楽しく過ごしていて。でも実際子供を産む覚悟とかそういうものはちょっとよく分かってなかったと思います。33歳で出産は遅いぐらいだし、色んな経験を積んでいるし上手くやれるだろうと思っていました。でも実際には初産だわ3700g超えのビッグベビーだわで、身体へのダメージが甚だしく…。産後ボロボロに加えてお世話で寝不足の日々、こんなに子育てって大変なの!?とヘロヘロになっていた記憶。とにかく必死。余裕なしというかマイナス。旦那さんのごはんとか、どうやっていつ作ればいいのかわからない状態。過酷でした。デカすぎる試練だよ。苦行かよ。そして孤独。旦那さんは、子供が生まれたことは喜んでくれましたが、子育てに協力的なタイプではなく、仕事も忙しいため出張も多く基本ワンオペな私。とにかく孤独でした。今思い出しても一人目の出産育児は、3年間ぐらい孤独だったなと。ママ友ができたり、家族で出かけたりももちろんしていたのだけれど、社会とも分断された上に、全然会話ができないお世話に多大なる労力が必要な人間未満の生き物と四六時中一緒にいる生活は、孤独でした。スーパーとかに赤ちゃん連れで買い物に行くとおばあちゃん世代の方々が話しかけてくれるのですが、「大変でしょう〜」とかって経験したから知ってるわよ的に毎回お決まりのように言われるのも嫌で、あまのじゃくな私は素直に大変と言えず「楽しいですー」と笑顔で答えていたのも覚えています。いや、大変だったっしょ。今なら笑って大変大変って言えるのになー。意固地。
まあこんなことを長々と書いても仕方ないので終わりにしますが、結果的に私はその後2人、4学年おきに出産しました。男女女の3人。大切な大切な私の子供たちです。愛をそそぎまくってまだまだ子育て中。

で、私的な事としてここに加筆したいのが、旦那さんのこと。細かく書くと何ヶ月もかかりそうなので超端折って書くと、何度も浮気されました。

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