少なくとも

『短編小説』第15回 少なくとも俺はそのとき /全17回

「よく来るんですか?ここ」
「うん、よく来るね。週に二、三回」
「通ってますね」
「そうですね。通ってますね」
トントン、と進む会話にどこか居心地の良さを覚えた。きっと彼女とのやりとりだけじゃない、この店の雰囲気も、俺の好みに合っているのだろう。
「それより」
彼女はジョッキに注がれいるビールをカウンターの上にドンと置いてから、ゆっくりと話し始めた。
「佐伯さんはどうしてこんなところで働いてるの?」
さっきも聞かれた質問だ。だけど、それを答えようにも答えが見つからない。どうして自分が今ここで働いているのかなんて自分にだって分からないからだ。
「どうして、って言われてもなぁ……」
「だっておかしいでしょ?大手の広告代理店にいて、突然風俗働くなんて」
「そんなこと言ったら……」
「私?私は特に理由なんてないから」
俺だって理由なんてない、そう言おうとしたけど、理由がないのかどうかだって自分ではよく分からないままだった。本当に理由がないのだろうか?……いや、ただ自暴自棄になって風俗にハマって、だったら働いちゃえ、なんて安易な理由だったのだろうか。いずれにしたって人に話せるような話じゃない。悲しいくらい、理由が見つからない。
「華湖(かこ)ちゃん、板わさもあったよ。食べる?」
店主がカウンター越しに彼女に話しかける。
「うん、もらう」
厚揚げを食べながら彼女はそう答える。彼女の名前は華湖と言うのだ。彼女の源氏名は「未来(みらい)」うちの店では女の子それぞれが自由に名前を決められるようになっているから、この名前もきっと彼女が自分で決めたのだろう。華湖という名の本名を持っていて、「未来(みらい)」なんて源氏名を付ける。それだって特に深い意味はないかもしれないけど、何かを匂わせるには十分な事実だった。

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