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長編小説『because』 69

 二人の会話がどこをどのように進んでいるのか分からなかったし、私は自然な流れでガラスの向こう側に視線を移そうとした。
「”こと”といいます」
私がガラスの向こう側へ視線を移しきる前にその人はそう言った。何の事を言っていたのか分からなかったし、それがまさか自分に向けられた言葉とはどうしても思えない。今その人の目の前には私しかいないのに、そう感じる。それでも、その声に引き寄せられ私はその人の顔の方に目を向けた。その人は私を真っ直ぐに見ていて、それでようやく私に向けて言葉を発していたのだと理解した。
「こと?」
だからようやく真に疑問に思った事を聞く事ができた。最初に思った、その人が何の事を言っているのかという疑問だった。
「琴です。名前です」
「え……」
そう口から漏らし、自分は何に驚いているのだろうと疑問に思った。”こと”という名前の男性には確かに出会った事がなかったし、珍しい名前だと思った。でも、そんな事で驚いている自分自信に対して、なぜか疑問が生じている。
「どうされたんですか?」
「いえ……」
その人の目は私に向けられたまま、何かに動揺している私を見て、困惑している。
「珍しい名前ですね」
つまらない事を言った。きっと、今まで何度も言われてきたであろう言葉だった。
「よく言われます」
その人は少し笑いながらそう言った。その答えは私だって予想できていた事であったし、その人自身ももう随分も前から言う準備ができているかのように、その言葉はするりと口の中から流れてきた。

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