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長編小説『becase』 37

 エレベーターが一階に着き、私が乗り込むとその中には私一人きりで、そんな事は滅多にないんだけど、でも、ごくたまに起こる出来事でもあった。私は自分の仕事場のある四階のボタンを押し、閉めるボタンを押すとゆっくりとドアが閉まり始めた。あともうちょっとで閉まる、と思った時に、その閉まりかけたドアの小さな隙間に白く、か細げな腕が挟まれ、その反動でドアはまたゆっくりと開いた。私が少し驚き、開ききったドアの向こう側に目を向けると、そこに彼が立っていた。その彼を私は知らなかった。小さな会社だったから、たとえフロアが違うとしても、他にどんな顔の人がいるのかくらいは分かっていたし、あの人ならあの階にいるだろうと言う事も、なんとなくではあるけれど把握している。でも、今そのエレベーターの前に立つ人を私は知らない。おそらく、何かの営業か、もしくはお客様なのかもしれない。私は得に気にする事もなく、エレベーターに乗り込んできた彼を受け入れ、私の前に立つ彼の背中をぼんやりと眺めていた。私とボタンの間に背の高い彼が立っているせいで、彼が何階を押したのか分からなかった。お客様ならきっと七階、何かの営業であればきっと五階だろう。四階で降りる私としては結局この人がどちらの人間なのか分からないのだ。別に分かる必要がない事でもあった。ごくまれに起こる一人きりで乗るエレベーターにたまたま乗り込んできた、どこかの誰かであるというそれ以上でも以下でもない、全く面識のない人であるだけなのだ。

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