見出し画像

長編小説『because』 58

「ここ」
とふいに彼が言い、彼の指差す手の先を追いかけると、一階が薬局になっている二階建ての小さな建物の二階の窓を指していた。ガラス張りの店内がうっすらと見える。窓際に並べられたテーブル席のテーブルに掛けられている、赤と白で配色されたギンガムチェックのテーブルクロスが妙に目を引いて、それ以外の情報が私の頭の中に流れてくる事がなかった。
「ここ?」
と私が聞き返しても
「そう、ここ」
としか言わなかった。ここはきっと小さなレストランで、きっとパスタかなんか出しているお店なんだろうと言う事以外には何も分からないままで、その情報だって彼の言葉から受け取ったものでなく、二階へ続く階段の手前に置かれた黒板に白いチョークで書かれている”ペペロンチーノ”、”ペスカトーレ”、”ナポリタン”という文字から受け取ったものだった。それでいいのだと自分を言い聞かせている自分に気付き、それを肯定し始めている。今私は、これからここで彼とパスタを食べるのだろう、それ以外の情報を、今私が知る必要なんてきっとないんだと、知らぬ内に何度も自分に言い聞かせるように、心の中でその言葉を反復させていた。

***アマゾンkIndle unlimitedなら読み放題!***
読み放題はこちらのページ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?