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新学期1ヶ月、学習の機会損失を促進するなら、もはやディストピアだ

休校に際して、EdTechをどこまで使うのかについては意見は様々です。わたし自身は学校から放って置かれたい人だったし、長男もそうなので我が家ではそれなりに手も打てるし心配はしていません。ただ、「スマホがない生徒が一人でもいればEdTechを取り入れるべきでない。何もしないと言うのも一つのやり方だ。」と言うのには違和感を覚えます。

そこで思い出したことが二つあるので、シェアさせてください。もう時効だと思うのですが、20年前のこと。わたしは次年度副担任が決まっていました。それは可愛がっていた弟子たちがいたクラス。クラス中のちょっと道踏み外した生徒たちが「姐さん姐さん」と慕ってくれていたっけ。

最初に断っておきますが、この記事は誰かをディスる目的ではなく、子どもたちのために一緒に考えようよ、と言うスタンスです。

新学期、担任がいない!頼んだよ。

入学式も終わり、新学期の準備でもしようかなーと思っていた時のことです。「えとーさん、ちょっと校長室まできてください。」と呼び出されたのです。

「明日から担任を、頼む、担任がいなくなった」

修学旅行当日に担任が熱を出して引率を頼まれたりはありましたが、入学式が終わってから担任!?

当然、生徒は驚きます。入学式まで担任は中年男性だったのに、突如ちんまい若い女性がありったけの威嚇オーラを出して立っているのですから。それでも初の担任業務を必死でこなしました。

数学の授業をする人がまる1ヶ月不在だった結果

ここからが大事なのですが、その担任になるはずだった人は数学担当でした。つまり担任だけでなく数学の担当者が1ヶ月不在。新しい担当を探すまでの間英語と国語で穴埋めすることになりました。

そして迎えた半年後。前任校ではその時期、理系文系のコース選択を行います。驚くまでもなく、大半が文系でした。前年度と逆の傾向でした。数学がからっきしできないのです。当然新しい教科担当は補習授業もしましたが、やはり丸1ヶ月数学が抜けると言うのはダメージが大きかった。何かできることはなかったのか、残念な気持ちでいっぱいでした。

そう、数学だけは学力が極めて低かったのです。4月の1ヶ月、何もしないというのは半年後こうなるのか。

今なら、そのうちの何人かはEdTechでなんとかできたかもしれない。前任校は反転授業で有名なので、そのコンテンツとアドバイスがあれば少し防げたかもしれない。でも、仕方ありません。

「平等」を極限まで押し進めた未来、ディストピア

ちょうどその頃、ヤンチャ坊主たちのクラスで扱っていたのがカート・ヴォネガット・ジュニアの短編、「ハリスン・バージロン」でした。

「2081年、人びとはとうとう平等になった。」という書き出しに始まって、「ありとあらゆる意味で平等になった」世界を描いています。タイトルの「ハリスン・バージロン」というのはジョージとヘイズルのバージロン夫妻の息子の名前です。どういうふうに平等になったかと言うと、たとえば人並みの知能しか持たないヘイズルは普通に暮らしていいのですが、標準をはるかに超える知能を持ったジョージは片耳に「思考ハンディキャップ・ラジオ」の装着を義務づけられていて、そこに政府の送信機から二十秒おきに鋭いノイズが送られてきて、頭を使って人を出し抜かないように、要するに思考の邪魔をして、ヘイズルのように人並みの知能しか持たない人間と「平等」にしているというわけです。息子のハリスンは特に優秀なために体中に「ハンディキャップ」をたくさん装着させられていて、そういう「平等」を強制する体制に反旗を翻します。

こちらより転載

ここからフルテキストを読むことができます。それにしてもなぜこれを授業でやっていたんだ、わたし(笑)

機会均等を押し進めすぎると、機会を奪われる者も出現する

スマホを持っていない生徒がいるならネット配信などは一切行わない

これは一体どんな状況を生み出すでしょうか。当然、小中学生はスマホ所持率も低く、全員が同じように学べないならいっそ、と言う気持ちも分からないでもないです。一方でこんなデータも存在するのをご存知でしょうか。

貧しい家庭が多い=スマホがない、とも言い切れないようです。海外の途上国では固定電話をすっ飛ばしてスマホの時代がすでに来ていますし、日本でも固定電話はないけれどと言う家庭が増えています。

何はともあれ動いてみる

でも、勝手なことをしたら保護者からクレームがくるし、職場での周りの目も痛いし、管理職から、教育委員会からなんと言われるか!

きっとこんな感じなんだろうと思います。わたしもこんなことを言いつつ、Zoom授業もしていませんし、最低限の課題を送っただけです。実際、GoogleClassroomは入っていますが、特に中等部の先生たちは毎日ログインできないとか、小さな対応に追われています。

それでも、これは機会均等だからと決め込むのではなく、頭は動かしていたいし、情報交換はしていたい。少し情報を流しておいて生徒が取りに行く形でもいいかもしれません。

これは特殊なケースですが、公立の小学校や中学校の友人で、自宅で過ごせない子どもたちのために学校を開放し、あえてタブレット学習に取り組ませている人もかなりSNSで見かけます。しかもかなり成果が出ているのだそう。人クラス5、6人ならなんとかなりそうな気もします。例えば、放課後にイーボードを使っていた学校なら、そのままシステムが使えそうです。

イーボード、高校は数学だけと言うのもなんとなく頷ける…(たまたま?)

さいごに

取り止めもない話になってしまいました。自分のパソコンすら持ち込み禁止の学校もあると聞いています。公立はそんな甘い言葉は通用しない!とお叱りを受けそうですが、最初からしない、できないと決め込むことに対して心が痛みます。公立の管理職の先生方、教育委員会の中枢の方、もし読んでおられたら、ぜひ学校に学びを取り戻してください。機会均等も大事ですが、ほんの少し学びのタネを撒いておいて学びたい生徒はそれを利用できる状態くらいにはしてください。

何より、現場の先生たちがチャレンジできるよう、今回だけはルールを曲げてください。

おまけ

子どもたち、こんなことをしたそうです。子ども発信という手もあるのかもしれませんね。

そしてこれ。学校から心は離れそうな時、こんな校長先生のメッセージならほっこりします。

長男曰く、「校長がやってるってのがええな。その学校はIT系頑張ってるってことか」自分のできることは何か、一分一秒わたしも考えます!


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