リーダー

昨日は学年レクだった。内容はドッチボール大会だったのだが、コートが独特で、円を三等分してそれぞれにクラスが入るというものだった。

(イメージ)

恐らく時間がない中で多くのクラスが同時に試合をする方法を考えた結果だろう。とても良く考えられてあるし、責任を持って企画を進行していこうとするリーダーたちはすごく頑張ってるなぁと思った。対照的だったのが“その他大勢”である。人が喋ってる時もうるっせーわ全く言うこと聞かねーわボール蹴っ飛ばすわでそれはそれはひどかった。リーダー達もなんとかしようと躍起になっているのだが、強く注意することが出来ない。なぜなら彼らもまたリーダーになる前は“その他大勢”だったからである。

人は基本、精神的に成長しないが、それでも成長したように見えるのは“責任と優位性”のみが原因であると私は思っている。リーダーたちはリーダーであるという責任と大勢に対する優位性によって成長した風に見えるだけであって、本質的には何も変わっていないのだ。だから、リーダーとしての役目が終わってしまった時、責任と優位性を失われて大勢になってしまった時、「そう見えた」だけの成長は消えてしまう。リーダーになったり、人から頼られたりして人が成長するならこんなに簡単なことはない。成長するということは学習であって、学習は苦い思いをして初めてできるものである。取り返しのつかない失敗から得られるものである。




さらに言うと、成長しているからリーダーだなんて事がある訳が無い。リーダーなんて所詮、同じ“その他大勢”から選ばれた一人でしか無いのだ。

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