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【創作】詐欺

  女のくせにキャッチボールをしたがるから、塚田圭一(つかだけいいち)は愉快で仕方なかった。高校球児だった彼にとって、キャッチボールは特別な遊びだったし、同時にイップスで投げられなくなった苦い思い出を掘り起こすスイッチでもあった。
「圭ちゃん、早く早く」
 何とか声が届く先で、恋人の桜井(さくらい)みなとがグローブのついた手を振っている。所望の通りにボールを投げると、みなとが受け止められなかったボールがフェンスのほうに転がって行った。必死で追いかける彼女の尻を、ドッチボールをしていた小学生たちが眺めている。三十路も近い大人が公園で下手なキャッチボールなんざ滑稽で仕方ない。そう思うのに、圭一の心は外気に似て温かく、優しい色を灯していた。
 拾ったボールが返ってくる。それをまた投げ返す。
 陽が沈み始め、あたりがうっすらと暗くなり始めた頃に二人はスーパーに寄り、みなとのアパートへ帰った。
「今日はカレーにしよっか」
 彼女がゆるいウェーブのかかったロングヘアを一つに結んでレジ袋を覗く。
「手伝う」
 本当は煙草が吸いたかった。
 しかし理由をつけて再び外に出るのは不審過ぎる。
 何より、みなとは圭一が喫煙者であることを知らない。
 唾を飲むことで欲求を誤魔化して、キッチンにいるみなとの隣に立った。
 食事と入浴を済ませ、シングルベッドにぎゅうぎゅうになりながら横になる。みなとはそれが嬉しいようで、圭一の胸に頬を擦りつけたり抱きついたりする。ふっくらと柔らかい胸の感触は圭一の理想そのもので、それが体にくっつくとつ無意識に性器が反応する。
「する?」
 悪戯っ子のように笑うみなとの額にキスをし、フリルのついた上衣の裾を引き上げた。

「で、どうなの?進捗は」
 圭一の六畳間にある安物の座椅子を陣取り、青山悠(あおやまゆう)は携帯ゲーム機に視線を落としたまま訊いた。
 定位置を取られた圭一は仕方なく煎餅布団の上で胡坐をかき、「まあまあだな」と抑揚のない声で答えた。
 厚い雲が光を遮り、昼時なのに暗い。建物の中は照明をつけたいくらいなのに、立ち上がるのが億劫という気持ちが勝り、相手の顔も影がかかっているような状態で会話を続け
る。
「そろそろおねだりしてもいいんじゃないの?『結婚する前に借金を清算したいからお金貸して』ってさ」
 顔を上げた悠の、驚くほど大きな瞳が圭一を刺す。首を傾げると色素の薄い直毛がさらさらと滑り落ちた。男にしておくのは勿体無い。圭一は幼稚園の頃からそう思っていた。
 その整い過ぎた顔と対峙することに慣れたとはいえ、毎度飽きずに美しいなと思う。外見はそうでも中身はそうではないこともわかってはいるのだが。
「まさかまた情が湧いちゃった? 圭ちゃんああいうふわふわした子好きだもんね。でも結局、圭ちゃんの博愛主義? 優柔不断? が相手を傷つけてふられちゃうんだから、とっととお金もらってとんずらしたほうがいいよ。飛ぶ算段はつけといてあげるからさ」
 悠は一息に言って、再びゲーム画面に視線を落とした。
「そういうお前はどうなんだよ」
 圭一が手元にあった簡易ライターを何度か鳴らし、煙草に火をつける。
「俺?とっくに成功してるよ」
 ほら、とセーターの襟元を捲ると、そこには大きな青あざが滲んでいた。圭一は思わず顔をしかめ、溜息を吐いて項垂れた。煙草の灰がチノパンの上に落ちる。
「もう男相手にすんのやめたら」
「男の方が金持ってるかどうかわかりやすいじゃん」
「別れ話なんかしないで逃げてこいよ」
「後腐れないほうがいいもん」
 それもう詐欺じゃねえよ。ただ貢いでもらってるだけだ。
 悠がゲーム機を放り投げて、四つん這いで布団に近づいてきた。雨粒が窓ガラスを叩く音が聞こえはじめる。ビー玉が埋まっているような瞳が熱心に圭一を見る。
「まだあるんだよ、ほら」
 圭一を柔らかく押し倒して、悠は彼の上に乗ったまま自分の腹を曝け出した。青いような黒いような暴力の痕がいくつも残っているのを確認し、息がつまる。
「こんなにしても、顔だけは殴らないんだ。おかしいよね」
 空笑いをして、悠は圭一に顔を近づけた。
「圭ちゃんの優しすぎるところ、早く治ったらいいね」
 微笑む顔は慈愛に満ちていて、圭一は雨に紛れて泣いてしまいたくなった。たった一人の友人の痛々しい姿も、こんな仕事すら満足にできない自分も、夢みたいに消えてなくなってしまえばいいのに。
 悠の実家は田舎の豪農で、金に困っているはずなどないのだ。食うに困っていたのは圭一だけで、彼は興味を刺激されてついてきただけだ。実際、悠は稼ぎのほとんどを圭一の口座に振り込んでいる。
「お前さあ……」
 ほとんど泣き声だった。圭一は腕を伸ばし、悠の白い頬を手の平で包む。
「ヤメテ、まじで」
「何を?」
「体傷つけんの」
「これは仕方ないことだよ」
「でも嫌。俺が嫌」
 堪えきれなかった涙がこめかみを伝う。強い雨に、湿度が上がっていく。
「約束してくれ」
 悠は表情無く圭一を見下ろしていた。そして雨音にかき消されそうな声で囁いた。
「……圭ちゃんが俺のものになってくれたらね」
 しかし圭一にその声は届かなかった。何て言ったのかとしつこく問われたが、のらりくらりとかわして「じゃあこれから女の子狙いまーす」と陽気に笑って見せた。
 雨は暫く止まなかった。
 みなとは金をくれるだろうか。圭一はうんざりしながら考える。
 圭一の脳内で、彼女の無垢な笑顔が壊れたビデオテープのように繰り返し再生された。


***
2237文字。
お友達に「詐欺」とお題をもらって書いたもの~
楽しかった!

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