神と仏の接点とフラクタルな宇宙
神は例えれば宇宙
仏はその宇宙を内観して
自分は宇宙に包まれているのではなく
自信の精神が宇宙を包み込んでいると考えるもの。
その自身の宇宙の中にまた自分が存在する。
それがフラクタルに続いていく。
世界を外側と考えず内側とする。
それが悟りの始まり。
従属社会,奴隷社会の思想は
宇宙>地球>国家>政治>...>個人 となる
覚醒した人は
個人 >政治>国家>宇宙 (個人 >政治>国家>宇宙...)
それが自分軸の世界観。
もっと簡単に表現すると
宇宙>自分
自分>宇宙
の違い。
単に捉え方の違いだけど
私が存在するから宇宙が存在する
と考えるのと同じ。
勿論、傲慢になってよいわけではない。
それが神の視点、仏の視点と同じスタンス。
だからカルトであったり
カリスマはそういう視点になる。
意味があるって事。
見たいなことを
くら寿司の帰りに
チャリンコ乗ってる時に考え閃いた。
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