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342: たゆたうワイングラスの中に浮かぶ葡萄の過去色

森の奥深く
あなたが知っている
あるいは知らない場所にある色屋のお話。

ワイングラスにトクトクと注がれる赤い液体。
テイスティングを済ませた後の、
あの味と香りを楽しめるのかと思うと
顔こそ平静を保っているけれど、
内心はウキウキで、早くグラスを持ちたくて、
指がウズウズとしていた。

といっても,当たり年のとても貴重な
ボトルを開けたわけではない。
我々の爺さんと婆さんが結婚した年に仕込んだ
ボトルを、今日『娘の結婚』と言う祝いに
かこつけて皆で味わおうと言う魂胆だ。

と思っていたけれども,
ボトルを見ると1961年の仕込みのようだ。
世界的に良かったわけではないけれど,
この地域は良い年だったはずだ。

グラスをくるりと回すと、赤い液体が
糖度の膜を残しながらするりと動く。
深い真紅の色に魅せられるように、
いつの間にか誰もが口数が少なくなり、
香を楽しみ、口をつける瞬間を今か今かと
待っている。

娘とその旦那が立ち上がり、グラスを掲げた。
「グランパとグランマ、愛するパパン・ママン、
そしてここに集った皆さん、これから傍にいてくれるあなた。今日にこのよき日をありがとう」

カチン

そこかしこでグラスがグラスを鳴り、
俺はワインを口に含んだ。

心の奥底から湧き上がる記憶。
若き日の僕のパパとママが目に浮かび、
娘の生まれた日の記憶も浮かぶ。
目の前に次々と現れる古い記憶に溺れ
不覚にも目尻に涙がたまる。

ここで涙を見せる訳にはいかない。
湿っぽくなるのはごめんだぜ。
ニカっと笑ってもう一度グラスにワインを注ぐ。
全く、コレだから古いワインは油断がならない。

同じテーブルに座っている色屋も
夢から覚めたような顔して、慌てて瓶を
取りだしていやがる。
今夜はやつを昔話に付き合わせてやるとするか。

このよき日に過去と今を繋いだワインに
改めて乾杯。よき思い出をありがとよ。

乾杯だ。

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