私の人生について
今回、入院し、
一番お世話になったのは、
リハビリのPT(機能訓練師)さん達でした。
数名のPTさんにお世話になったのですが、どのPTさんも信頼できる確かな方達で、本当に感謝しかありません。
機能訓練するには、
私の日常を知り、どこを目標にし、どの様にアプローチするかを知る必要があります。
例えば、どの様な家に住んでいるか、そこには階段があるか、家族構成、家事は誰がやるか、仕事は何をしているか…など、多岐にわたります。
どこまでやれば日常に帰る事が出来るかを査定する訳です。
そんななか、
「俺は、あんたのカルテ全部見て、全部調べたんだ。」
と、リハビリの最初に言ってきた人がいました。
そして、麻痺気味の左足を調べて、
「これは、今回の麻痺じゃないかもしれないな。」
と、言いました。
それは、私も薄々感じていた事です。
「交通事故で、麻痺しただろ?
その影響があるかもしれない。」
「はい。何となくそんな感じもしてました。でも、ヨガをやってよくなってたんですよ。」
数年前、軽い腰痛損傷し、歩けなくなって、ヨガをやって普通に歩けるどころか、普通に走れるくらいになっていました。
その時もなんの根拠もないのに
『大丈夫、良くなるから』
と、思ったのですが、
今回も同じ事を思いました。
ただ、
また、アレをやるのか…と、今回は絶望していました。
やっぱり、自分の事が自分で出来ないって、辛いものがあります。
しかも、一人で乗り越えなくてはいけないんですから…。
そのPTさんは、私の人生の経歴全てを質問してきました。
私的には、別に不幸な人生…とは思ってなかったのですが、人に話すとかなり不幸な人生を歩んでる…みたいになることに、初めて気付きました。
自分で話していて、私の人生って、結構不幸な事しかなかった?…と、思えるほど。
別に隠す必要もないので、全て聞かれた事に返事をすると、PTさんは、涙ぐんで、黙ってしまいました。
「あの〜、こう言うふうに生きるって、ちゃんと覚悟してましたから、そんなに悲しくないですよ。」
と、笑って私が言うと、
「強いなぁ。」
と、PTさんが言いました。
また、笑いながら、
「男の人なら、きっとアル中になってると思います。」
と、返事すると、
「お酒に逃げて、男だったら、アル中になるな。女は強いよ。」
「実は私、アルコールアレルギーで、飲めないんですけどね。」
と言って、笑い合いました。
人生で、生きて来た全てを人に話すなんてないですよね。
人に話すと、かなり不幸な人生になってしまう事に驚いたのですが、自分では頑張って走っただけ…と言う感じしかありません。
その後のリハビリの時も、これからどうやって生きる?みたいな事を聞かれ、プランを話すと、
「あんた、面白いなぁ。」
と、驚きながらも否定せず、
「そう言う生き方もいいよな。」
と、言ってくれました。
そして、
「あんたは大丈夫だ。」
と言う、お墨付きを頂いたのです。
私は、とびきりの笑顔を返しました。
そして、そのPTさんから教わった忘れられない事があります。
PTさんの足に、私の両足を乗せ、片足ずつリズムを刻むのですが、右足はリズムを刻めても、左足のコントロールは難しく、リズムを刻む事は出来ませんてした。
そこで感じるのは、
「左足は、ダメだな。」
でした。
ところが、
「左足、ゆっくりリズムを刻んで。」
と言うので、ゆっくりリズムを刻むと、ちゃんとリズムを刻めます。
「出来るじゃないかぁ。」
と、PTさんは嬉しそうに言います。
「左足のリズムで、右足をリズム刻んで。」
当たり前ですが、簡単に出来ます。
「それでいいんだよ。」
「右足に合わせるんじゃなくて、左足に合わせるって事ですね。」
「そうだ。」
私は、凄い大切な事を教わった気がしました。
それは、私の生き方そのものの治し方に思えました。
弱い自分は見ないフリで、前へ前へ進もうとしていた気がします。
弱い自分を、受け入れて、弱い自分に合わせれば、生きるのはそんなに大変じゃないのかもしれません。
そしたら、自分を見失ったりしないでしょう。
強い右足に合わせて、弱い左足に、
「頑張れ、頑張れ。」
って言っていたのです。
そう気付いたら、涙がウルウルしてしまいました。
もしかしたら、
その事に気付かせるために病気になったのかもしれません。
いつも、何かハプニングが起こるたび思うのです。
ハプニングは、私に何かを気付かせるために起こるんじゃないかって。
ハプニングでも起こらない限り、私は立ち止まったりせず走り続けてしまいますからね。
何に気付くことも出来ずただ走り続ける愚かものです。
もう一人、忘れられない方がいます。
そのPTさんは妊婦さんでした。
私のリハビリをする前から私を見ていて、姿勢が良すぎる…と、感じていたそうです。
人って、姿勢で生き方が見えますよね。
妊婦のPTさんは、もっと力を抜いていい…と、教えてくれました。
勿論、力の抜き方もリハビリしました。
私はいつも緊張したまま、生きていたんです。
私って、どれだけ力んで生きてたのか、笑ってしまいます。
そんなに力んで生きてる人、怖いですよね。
しかも、妊婦のPTさんは、とてもケアが細やかでした。
私は添加物があまり食べられず、お惣菜や、コンビニ弁当、インスタント食品を食べ続ける事が出来ません。
それをリサーチした上で、私の住所を調べ、私が買い物に行けるスーパーまで調べて下さいました。
「買い物に行って、自分でご飯、作れそうですか?」
そう質問されましたが、妊婦のPTさんは、私が大丈夫な様に祈ってくれていた気がしました。
「あの距離なら、歩けると思います。」
そう返事した私は、その祈りを受け止めた気がしました。
退院後のリハビリも考えて下さって、リハビリはプールが良いかもしれない…と言う事になり、プールも調べて頂きました。
本当に、色んな角度から見て頂けて、本当に感謝しかありません。
大変な事は起こるのですが、
そうしていつも誰が手を差し伸べてくれている気がします。
禍福は糾える縄の如し…とは、どうしても思えないのですが、感謝する事や、感動する事や、幸せだなと思える事は細々と人生に散りばめられている気がしています。
そうして退院し、今や自転車に乗り買い物や気分転換に出かけるまでになりました。
心がけているのは、
「弱い自分に合わせる」
です。
多分それでも、人生は充分ちゃんと送れると思うんです。
自分に合わせた自分の人生…多分、それが正しい生き方なのでしょう。
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