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「今出来ることをする」と マザーテレサの視線


人は決して平等に生きているとは言えません。
貧富の差こそああれ、幸せに暮らすってあるのでしょうか?
本当に、人間の生活は様々です。


マカピーさんのnoteです。


自分の年齢も分からず、病気になっても薬を買うお金も、食べ物もないって…。
治療することも出来ずに死を待つだけなんて…。

ちょっと衝撃でした。
日本は保険制度があるし、生活保護もあります。生活保護を受ければ医療費もタダになります。勿論、薬代も。
だから、こうした方に出会うことはほぼないと言っていいし、見つけたら市役所に駆け込めばなんとかなります。
…見つけた方は、どうか市役所に連絡して下さい。市役所でなくても、地域の民生委員がいらっしゃいます。
今後どうなるかは分かりませんが、今のところセーフティーネットは機能しているはずです。

でも、マカピーさんが出会ったのはマレーシア。
日本の制度とは違うでしょう。

その中で、一番印象に残ったのは、ハナさんの
「神は導いてくれるわよ。私たちは出来ることをしたの。」
と言う言葉です。

冷静に考えればその通りだと思うんです。
個人で出来ることなどほんのわずかです。
助けたい…なんて考えはおこがましいのかも知れません。
今、自分が出来ることをする。
その先は、祈ることくらいしかないのでしょう。
気まぐれに優しいふりをしたって、なんの役にも立ちません。
ブルーハーツの歌に「愛のない優しさは屈辱に似てる」と言う歌詞がありますが、そうだな…と思います。

そう考えてふと、頭をよぎったのはマザーテレサです。
マザーテレサは、こう言う方々をどのように捉えていたのでしょう?
なんとなくですが、助けたい…では、なかった気がするんです。
ただ、自分の使命と捉え、自分の出来ることをやった…のではないかと、思うのです。
でなければ、生涯をかけて活動し続けたり出来ないですよね。
マザーテレサの視線で世界が見てみたい気がします。
優しい視線と厳しい視線と共にあったでしょう。
この世界は相変わらずと映るでしょうか?
マザーテレサの視線が全く分からないので、想像さえ出来ませんが。

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