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好きなことを嫌いにならないように

 よく、「私の好きなことってなんだろう?」と思いを巡らせる。みんなどうやって好きなことを見つけているのだろう?
嫌なことを排除していって、残ったものが好きなこと?

私の中には、「嫌ではないけどそこまで好きでもないこと」ばかり。なので、趣味といえるものも特にない。
人からおすすめされたり、ちょっと興味を持ったことをやってみたりはするけれど、文字通り三日坊主。

楽しむ能力がある、と言い換えることもできるかもしれない。
楽しんで、満たされるのが早い。それ以上没頭しようと思う前に満足してしまう。分かった気になってしまう。
これは、幼少期に好きなことを好きなだけやる時間を放棄してしまった副作用なのではないかと考えている。


 こどもたちは逆に、やりたいこと・好きなこと以外はやれない。私とは正反対の民族だ。
彼らが学校と距離を取り始めてから、5年と2年が経つ。なるべくやりたいことをやれるような環境設定をしてきたけれど、その中には、親のエゴでやらせてしまったものもあった。
そういうもの・ことは当然続かないので、今彼らがやっていることが「今、好きなこと」だ。

 長男は身体を動かすことが好きだし、もちろんゲームも大好き。人とコミュニケーションを取りたいけれど、少し苦手な様子。ルーティンを好む。
結果、一人で楽しめることに時間を使うようになった。
小学校6年間で、人と協同する喜びも多少は知ってくれたようでそれはよかったと思う。

 長女は、長男に輪をかけて嫌なことは絶対やらない。その固い枠を緩めるのが私の役目のように思う。
彼女は今、好きなことをもっと上手になりたくてもがいている。

「長女に対して、私にはしてあげられることがほとんどない」と、ある人にぽろっと話したら、タイトルのような言葉が返ってきた。
「自分だったら、好きなことを嫌いにならないような手伝いしかできないし、それで十分ではないか?」ということだったのだけれど、結構本質的だ。
もちろん、やろうと思えば他にもいろんなサポートはあると思う。
メンターさんをみつけるとか、個人レッスンをしてくれる人を探すとか。
ただ本人に聞いてみると、「教わるより自分でやりながら上手になりたい。それなら犬に会いたい」という回答だった。とても彼女らしい。

 自分のことを書こうと思っても、結局こどものことになってしまう。子どもを通して自分を見つめなおす作業が、わりと好きなのかもしれない。

こどもたちに対するまなざしを、自分自身に向けてみるのもよいかもしれない。「好きになったことを嫌いにならないように」過ごしてみると、私はもしかしたら、好きなことだらけの人生を生きれるのかもしれない。


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