母の手作り黄桃缶ショートケーキ
こんにちは!
パティシエとして20年目のどぅーさんと申します
僕が何故この仕事を選んだのか、遠い遠い記憶を振り返ってみたいと思います
3兄弟、自由な次男の幼少期
今でも思い出すのが兄弟の誕生日には、必ず母の手作りケーキが並んでいた。
黄桃の缶詰とカラースプレーが乗っていた大きなホールケーキ
今思えば安っぽくて美味しいとは言えないかもだけど、当時は本当に美味しくて楽しみだった
ケーキを4等分して兄弟で3つ、残った1つは誕生日の主役が次の朝食べられるルールだった
今は落ち着いているけど、当時の両親は喧嘩が絶えず僕らは笑顔の少ない時期を過ごしていた
それでもお誕生日ともなると、普段食べられないケーキも食べられる事もあり、3兄弟とも笑顔だったのが心に残っている
ふいに目覚めたケーキ作り
高校生の頃、飲食のバイトがキッカケで食に興味を持ち、この道で生きていこうと何となく考えていた
母も僕らが大きくなりお金もかかるようになった事でかなり忙しく働いていて、いつしかケーキは作らなくなっていた
形から入る兄が買ってきてはそのままのお菓子のレシピ本、母の使わなくなったお菓子道具で、気まぐれにバウンドケーキを焼いてみた
自分が思う以上に家族が凄く喜んでくれて、人の喜ぶ顔を見てハマってしまった
しばらくは家族、友人、彼女にケーキを作る日々(女子にめっちゃ受けたので調子にのった)が続くが専門に通い、忙しくなった事で辞めてしまった
恩師の言葉
フランス料理をやりたかった僕は調理の専門学校に通った。
ひと通り教えてくれる学校の中で、僕は製菓以外の実技はとても優秀だった
大根の桂剥きなどは学年で10番に入ったほど。
このまま料理の道に進むと決めていた僕に転機が訪れる
製菓の担任が授業中、僕らにに料理と製菓の違いを尋ねた。甘いとしょっぱいとか?など見当違いの意見のでる中、担任は口を開く
形のあるものから形ある物をを作るのが料理、形の無いものから形のある物を作るのが製菓です
ストンと心に響く言葉に思わず僕はパティシエになる事を決めていた
大切なのは人の笑顔
就職してからはまぁ地獄の様な労働だった。それでも続けられていたは人の笑顔
僕は退職したり、お誕生日などのスタッフや、友達にも個人的にケーキを作る(下心で可愛い子に作る事も…)
それは僕が欲張りでお客様だけで無く、スタッフや友達、家族の笑顔も欲しいから
人を笑顔にするのが好き。それができるからこの仕事についと思う
人を笑顔にする。
その方法は人それぞれ
僕はケーキ作り、今日も誰かを笑顔にする
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