見出し画像

うちの社員は、ほんまに凄いんやぞ

「なぁ、うちの社員は凄いんやぞ」

親父がそう自慢してくる度に、僕は心の中で「こんな地方の小さい会社に凄いやつがいるわけないやん」と小馬鹿にしてました。

親父は石鹸会社の社長です。社員数名。典型的な地方の零細メーカー。社長といっても、親父自身が製造もやるし営業もやる。いつも作業着を着て、油でどろどろになるまで働いてました。

画像3

(20代の頃の親父)

僕にはその姿はものすごく格好悪く見えたんです。そういう姿に憧れて、父と同じ道を歩みたい、と思う人もいるのかもしれませんが、僕は全く逆でした。周りの友達の所謂「サラリーマン」のお父さんに憧れがありました。スーツを着て出社していくお父さんが羨ましかったんです。

IMGP5155_色調整リサイズ白-1024x683

(昭和50年頃 コインランドリー用洗剤)

住まいと工場が同じ場所にあったということもありますが、親父はいつも目の前の工場にいて、石鹸を焚いたり、箱詰めしたり、工場の修理に溶接したり、鉄を切ったりしていて、一体、何屋なんだろうと思うぐらい、色んなことに忙しそうでした。そういえば、家族旅行の記憶は、母の実家の三重にお盆や正月に行ったことぐらい。海外どころか日本国内も、家族でどこかに行ったという記憶はありません。

画像3

(3-4歳ぐらいの頃の僕/石鹸を箱詰めしてる工場)

そんな姿を間近に見るにつけ、この小さな世界から一刻も早く脱出したい、違う世界に身を置きたいという想いが強くなっていきました。

創業者の名前は木村熊治郎といい、僕のひいおじいさんにあたります。物心つく頃から、「お前はこの会社を継ぐんやぞ」「お前は四代目なんやから」と言われ続けていたわけです。

画像10

そう言われれば言われるほど、なぜ、自分の人生を勝手に決められないといけないのか、と反発心が芽生えていきました。

自分はこんな小さな誰も知らないような会社ではなく、もっとクリエイティブな世界で、もっと大きな世界で活躍するんだ、という何の根拠もない自信と、野望を抱いていたんですね。

画像15

大学から一人暮らしを始め、京都に住むようになりました。実家との物理的な距離ができて、ようやく後継ぎプレッシャーや呪縛から離れることができました。初めて「本当の自分」を取り戻せた気がしたんですね。

大学在学中にベンチャーの起業に関わることになって、そのまま就職もせずに、ベンチャー経営の道を歩むことになりました。距離としては遠くないのに、実家に帰るのは盆と正月ぐらい。高校ぐらいまでは辛うじて多少の手伝いはしてましたが、20代になると、石鹸工場にもまったく足を運ばなくなりました。実家で何が起きてるのか、どんな商売をしてるのか、僕は意識的に情報をシャットダウンしていたんだと思います。多少でも気に掛けようものなら、すぐに、「いつ継いでくれんねん」「いつ(家業へ)帰ってきてくれんねん」と言われるのです。それが嫌で嫌でたまらなかったんですね。

画像14

たまに実家に帰ると、「うちの会社は凄いんやぞ」「うちの社員は凄いぞ」を繰り返します。僕に少しでも興味を持ってもらいたかったんでしょうか。当時は、そんな話を聞かされれば聞かされるほど、家業への嫌悪感が募っていきました。

起業したベンチャーは、経営的には物凄く大変でした。そして、優秀な人材を獲得することの難しさや、その人たちのマネジメントの課題に、常にぶつかってました。なので、親父の言う「うちの社員は凄いんやぞ」という言葉が、僕には、ものすごく空々しく聞こえたんですね。どう考えてもただの虚言のようにしか思えなかったんです。

20代前半。まだまだペーペーなのに、いっぱしのビジネスマンだと気取っていた僕は、なんとなく、そもそも家業のレベルが低いと、見下していたところがあったと思います。

若いベンチャー企業である自分たちはマーケティングも勉強して、経営についても最新の経営理論やらも参考にして、ある種、アカデミックに、理論的に正しい経営の在り方を模索してる。そんな奢りを持っていました。それに引き換え、家業は、どう見ても職人の世界だし、「ええもん作ったら売れんねん!」的な時代錯誤のモノづくり会社だというような、そんな偏見を抱いてたんですね。

***

親父が「うちの社員は凄いんやぞ」と繰り返し言ってた、あの頃から、一体何年の月日が経ったでしょうか。当時、働いてた社員で今でも現役の人は何人いるでしょう。僕は今、僕自身が忌み嫌った家業にいます。

家業に戻り、親父の後を継いで、この木村石鹸という創業96年になる老舗石鹸メーカーの代表に就任しました。

画像18

不思議なものです。あの嫌いで嫌いで仕方なかった家業が、今は物凄く楽しいですし、典型的な地方の中小零細企業のその姿も、少し誇らしい気持ちだったりするわけです。

画像4

そして、気づけば、僕自身が、いつの間にか「木村石鹸の社員は凄い」と会う人会う人に周りに吹聴しまくってるのです。それだけでは飽き足らず、Twitterやnoteでもそんな話ばかりしているものですから、いよいよ親父の発言回数を超えてしまったかもしれません。

いや、本当に凄いんです。うちの社員は。

凄いやつなんているわけないやん、と鼻で笑ってた自分が恥ずかしいぐらいに、木村石鹸の社員は優秀だったんです。それは、僕が家業に戻って感じた、本当の実感です。

皆とにかく真面目です。言われたことはきちんとやるし、言われていないこともやっている。毎日あらゆる場所で、誰に指示されるわけでもなく、各自が段取や準備を済ませている。急遽、トラブル対応で作業する手が足りなくなったりしたら、営業も開発の人間も、自分ごととして手伝いに駆けつける。普通なら専門業者に頼むであろうことも、専門外だと投げ出さずに、何でもひとまず自分たちで作ったり考えたりする。だから、専門知識がぐんぐんと育っていく。もちろん、問題がないわけではないのですが、本当に凄いんです。

画像13

(社員が自作。電動按摩機を使った簡易粉末充填機)

画像8

(月1回全員で近くの公園の清掃)

みんなが、「ここは自分の会社だ」と思って働いているんです。これは当たり前のことのように思えますが、意外と当たり前じゃなかったりするんじゃないでしょうか。

これは個々人の能力とかスキルとしての優秀さ、というよりは、チームや組織の文化や雰囲気に根付いたもののように思えました。

そして、この文化や雰囲気は、僕には、親父が長年に渡って無条件に寄せてきた信頼とか期待が生み出しているもののように思えたのです。

企業文化を根付かせるには、経営理念とか社訓みたいなものも重要だとは思います。でも、木村石鹸の場合は、どちらかというと、経営理念や社訓そのものよりも、経営理念や社訓を本気で大事にしたいと思ってる親父の方を見てるように感じました。

画像5
画像6

そう。社員の多くは、親父を喜ばせたい、悲しませたくない、そんな想いが強かったんじゃないかと。

親父は、何か高尚な戦略を立てるわけでもなく、リーダーシップを発揮するわけでもなく、ただただ、社員を信じ期待していました。

だから、いつも「うちの社員はな、皆、凄いんやぞ」と言い続けてたし、何か経営的にマズそうなことが起きても、「うちの社員ならなんとかできる」と、何の根拠もないことを自信満々に言ったりしてました。本気で無条件に社員を信じていたのです。

人は、誰かに本気で信頼され、期待されれば、それに応えよう、裏切らないようにしたいと思うものなのではないでしょうか。

信じて期待する。それだけのことです。でも、その力の強さとか、本気度だけが、社員の誠実さや仕事への真摯さ、懸命さみたいなものを引き出していたのではないかと思います。それが、組織としての優秀さに繋がっているように思えました。

***

7年前。41歳になり、会社が成長することの楽しさも苦しさも味わい尽くして、僕は木村石鹸に戻ってきました。そして、もともとの木村石鹸に足りていなかった、戦略的なところや、計画やら制度面やらの整備をしました。変えたところも沢山あります。時代に合わなくなったる仕組みを見直し、古いやり方で止めたことも多々あります。

画像11

(最近は、こんなシャンプーも出したり)

でも、社員を信じて期待する、ということは、変えてはいけないことだと思って、心にずっと刻んできました。

上辺だけでなく、本気で信じて期待する。これはやってみると、めちゃくちゃ難しいことです。僕も未だ、できてないと思うことが多々あります。

でも、本気で信じ期待しなければ、社員も本気でそれに応えようとはしてくれないのです。言葉では信じてる、期待してる、と言いながら、まったく反対のメッセージになるような規則やルールを設けていたら、やはり社員は本気でそれに応えようとはしてくれないのではないでしょうか。

画像7

このコロナ禍の中、売上の20%あった中国向けが大きく落ち込んだり、需要が多い家庭用でも思うように資材や原料が手に入らなかったり、経営環境は決して良いとは言えない状況が続いてます。でも、僕も、親父と同じように社員を信じ、期待したいと思ってます。

信じて期待することが、社員の能力を引き出し、チームとしての強さを生み出す。そしてこの難局も乗り越えていける。僕はそう信じてます。

ありがいことに、昨年には「日本が誇る小さな大企業」を選ぶForbesJAPANのSMALL GIANTS AWARD にて、「ローカルヒーロー賞」なるものを受賞させていただきました。ローカルヒーロー。若いころは地方の零細メーカーだと馬鹿にしていたのに、今ではこの立地も規模も誇らしいものへと変わりました。

画像12

そういえば、親父は、いつか僕が木村石鹸に帰ってくると信じていました。僕は、そんな風に信じられれば信じられるほど、鬱陶しかったわけですが、今になって思えば、信じて続けてもらえたのは、有難いことだったのだなと思います。もし、親父が諦めて、木村石鹸の株を外部の誰かに売ったり、譲ったりしてたら、今、僕はここにいなかったわけですから。

そして親父は、ほとんど会社には来なくなりました。持病があるために通院しながらも、釣りをしたり、以前購入した荒地をユンボで自分で工事したりと、日々楽しんでいるようです。

画像16
画像17

今度はそんな親父に「なぁ、うちの社員が凄いんやで」と熱弁している僕がいるんですから、おかしな話です。

画像9

親父とお袋。いつまでも元気でいてくれよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?