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【Vol.132】なんで、僕は頑張り方が変わったんだろう

今日は、外国人と向き合う。という本テーマではない話ですが、
自分で自分を見つめなおすときがあり、その時に感じたことを書かせてもらおうと思います。(ちょっといつもより長いです)

とりあえず一生懸命やると成果は出た、しかし

自分の性格としては、
「好きなことは一生懸命やる」みたいな基本的な機能がある気はしていて、意味あるんだか、無いんだかわからないけど、一生懸命やってみる、とか、いっぱい練習してみる。みたいなことをやっていたように思います。

昔で言うと、野球が一番好きで頑張っていたのですが、
3歳や4歳くらいから18歳まで、飽きもせずにずっとやっていた気がします。プロ野球選手になれるのかなぁ、と思う感じでやっていました。
なので、それなりにうまかったです。

私が生まれ育った小さな町の中では「野球がうまい」とされる人の一人だったとは思うのですが、高校生になってくると、世界が広がります。もちろん「甲子園」という全国に目を向けるわけですから全国レベルを意識しますし、地域においても少なくとも「市町村」→「都道府県」レベルに意識・視野が上がります。

そうなったときに、割と早い段階で「壁」が来ました。
僕の同期には全国的には「松坂大輔」だとか「藤川球児」だとか、そういう全国レベルの選手がいましたし、四国地域だけを見ても、自分よりレベルが高い選手がウジャウジャいました。
同じチームメイトにも当然、レベルが高い選手がいて「こりゃ違うなぁ」と思ったりもしました。

でも、野球は好きで練習は一生懸命やってましたし、
レベルは低いのですが、試合には出れる選手で頑張ることは出来ました。
「レベルが高い=勝てる/試合に出れる」ではないことは学びました。
ただ、プロには行けないことも同時によくわかりました

例えが良くないかもしれませんが、
男女のスポーツ記録みたいな話で、
100m走で世界一の女性選手(10秒54)でも、
もし男性選手の中に入ると、日本の中学生男子くらいの平凡な記録と同じになってしまいます。
というように、確実にフィジカルの差があります。

野球の話に戻しますが、それと同じように男性同士でも、普通に努力をいくらしても確実に勝てない壁があることを感じて、野球の道は高校で終えるわけですが、

なぜ僕は野球がうまかったのか?

ここから、自分の本題なのですが、
30歳くらいになって、「なぜ、僕は野球がうまかったのだろう?」と考えたりするようになったのですが、理由がよくわかりませんでした。

「人よりたくさん練習したからだよ」ということは正しいように思いますが、コレって、人に教えられないな。と思いました。
高校時代も、今もそうなのですが、
「野球がうまくなる方法を教えてください」と言われても、
「野球がうまくなる方法がわからないんです」。

でもどう考えても、「教えてください」といってくれる子よりも、
僕の方が「野球がうまい」し「スキルもある」んですが、
どうやってうまくなったかわからないから、教えられないんです。
僕がいっぱい練習した中で、うまくなる方法の正解に偶然いくつか辿り着いたのだと思いますが、偶然だったからわからない。
これは、もったいないなと思いました。

仕事でもそうでした。
20代の頃、一生懸命仕事をしていました。
なので、それなりに成果が出たような気がします。それなりです。
でも、なんでそれなりに成果が出たのかが正直よくわかりません。

外回りの営業もめちゃくちゃしたし、
接待的な飲み会にもいっぱい行ったし、
商品(人でしたが)開発も、とりあえず出来ることは向き合った。
月に1回か2回くらいしか休みもない感じで、一生懸命向き合って、一生懸命営業したら、それなりの成果が出た。という感じです。

野球と同じように「どうやったら営業成績あがりますか?」
と言われると「いっぱい営業したらいい」という言い方しかその当時は出来なかったように思います。

誰と仕事をするのか

それが、自営業になってから変わりました。
自分でも仕事をするのですが、自分以外の人に仕事をしてもらう。
という仕事になってから大幅に考えが変わりました。

熱血主義、感情論、根性論みたいなのが結構好きだったのですが、
出来るだけ、理論的に考えるようになっていきました。
「理論的=現実/事実」が多くて、目を背けたかったことも多かったのですが、人に伝えるときは「理論的」じゃないと人に伝えることが出来ないことを知りました。
だから、こうやってnoteにも自分のやっていることを感情も事実も含めて整理するようにしています。

また特に「外国人」となると、
本当に本当に「理由」が必要だなと、とても感じました。
「暗黙の了解」「とりあえず」とか、
そういうことでは、全然伝わらないことが多かったです。
そういう意味でも、自分は変わったなぁという気持ちは結構あります。

今でも、なんかわからないけど無我夢中でやる。
みたいなことは好きなので、やりたいなぁという気持ちもあるのですが、
一度「理論」の世界に足を踏み入れると、「よくわからないこと」をあまりやりたくない気持ちも出てきて、今は「狙って勝つ」の方が好きかなという気持ちもあります。

しかし「理論」=「自己流理論」も結構あるので、
他人の考えを受け入れない。なんて弊害も一時ありましたが、
それも外国人と生活する中で、「ダイバシティ/受け入れる」みたいなこともちょっとずつ学べているような気もします。

どれも正しいなんてこともないのですが、
自分はどう生きていくのか?ということによって、
自分のタイプも変えていかないといけないのかなと思った話でした。

今日は長くなりましたが、最後までありがとうございました。

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