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子ども時代の思い出の地を、再訪するススメ。

先日、家族4人で長野旅行に行って来ました。
とぉっても楽しかったので、今回はその思い出と、関連して気付いた「不登校のこと」をつらつらと書きます。
私は元不登校児で、子ども達は今、学校や幼稚園にほぼ行ってませんので、同じ感じです。

今回の旅では、軽井沢での滞在がメインでしたが、私は小4-5年生の頃に長野市に住んでいたので、そのときの小学校やマンションも見てきました。


転勤族で、転校族でした。

私は子どもの頃、父が転勤族で、千葉・埼玉の関東圏の他に、山口・広島・長野に住みました。

大人になってから、結婚前に山口・広島を再訪しましたが、今回母親になってから家族連れで長野に再訪できて、とても感慨深かったです。


長野は私にとって特別な場所

長野には私が「不登校から復学した」という、「一山越えた思い出」があります。(山に囲まれた県だけに・・)

そのせいか、長野には特別な思い入れがあったのですが、今回長野に行って感じたのは、復学したことも楽しい思い出の一つに過ぎないと言うことです。

長野には、楽しい思い出が、数え切れないほどたくさんありました。

私はそれまで学校が大嫌いだったけれど、長野の学校では良い思い出ばかりで、校庭に入ると、その頃の楽しさが蘇って来ました。

まだ復学し切らない頃、お母さんが送り迎えしてくれたあの日の安心感や、「これから家に帰れる」とわかる、学校の裏の下校口にある土手の風景が大好きでした。

学校の裏の土手

昇降口を見て、お母さんが待っていてくれた(と信じていました!笑 実は一旦帰って、家事をやっていたそうです。笑)安心感を思い出し、一輪車クラブに入って校内を走り回ったり、用務員室へ行って、絵が得意な用務員さんに絵を描いてもらったり、放送委員になって校内放送を流したり。

そんな楽しい、幸せな思い出が溢れました。


たくさんの「楽しい」の先に、たまたま「復学」があった


私は当時、転校した先の小学校が、ただ楽しかったんです。
「復学」するために楽しんだわけでもありません。

私はこれまで「復学」を特別な経験と捉えていましたが、楽しい生活の先に、たまたま「復学」があっただけでした。

もっと言うと、楽しい小学校生活の前に、「楽しい家族との生活」や、「近所の子やクラスメイトとの楽しい生活」がありました。

転校早々、私が学校に行ってるか行ってないかなんて全く気にせず、近所の子やクラスメイトと友達になって、登校時間以外は近所で思いっきり遊びました。

そんな彼らともっと遊びたくて、学校を利用した、という感じです。

授業中も、先生が長野の伝説を話してくれたり、授業外でも温水プールや山歩きに連れて行ってくれたりして、本当に楽しい思い出がいっぱい。

というか、ほとんど「楽しい思い出」しかないです。

たとえ復学しなかったとしても、長野には楽しい思い出しかないですし、学校に行ってなくても、きっと楽しかったと思います。


記憶が塗り替わった

私はこれまで、小学校に関して「学校に行かなかったこと」の記憶が大きく、小学校なんて苦痛だった、全く楽しく無かったと思っていましたが、今回再訪して、記憶が塗り変わりました。

だって私は、学校に行けなかった時間と同じくらいの時間を、長野の学校で楽しく過ごしたはずなんです。

そして小学校6年あったら、毎日楽しいことばかりでもないだろうし、そのうち2年(長野に住んだのが2年弱でした)楽しかったなら、小学校生活の3分の1は楽しかったわけで、それはもう「小学校時代も楽しかった!」と言っていいな!と思いました。

自らを「元不登校児」なんて言って、わざわざ小学校時代の思い出を暗くする必要なんて無かった。

あんなに楽しくてキラキラの長野時代があったんですから、私の小学校生活も、なかなかだったはず。


学校に行く・行かないと、幸・不幸は結びつかない

そしてつくづく、学校に行ってるか?行ってないか?行ったか?行ってなかったか?なんて、どっちでもいいと思いました。

私はお友達といることが楽しくて、彼らと一緒に過ごすために、学校を利用しただけでした。
放送委員や学級委員なんかの、学校の仕事をするのも楽しかったし、学校生活が楽しかったから、勝手にそこに居場所を作ったんです。

学校の先生や、親や、友人たちに居場所を作ってもらったわけでもなく、自分で「学校に居場所を作ろう」と思ったから、そうしました。

そしてたとえ復学してなかったとしても、家族と出かけたり、お友達と遊んだり、楽しい思い出はたくさんできたと思います。

復学したから幸せなのではなくて、学校に行ってようが、行っていまいが、もともと幸せでした。その生活の延長上に、たまたま「復学」があったのです。


人生という時間の使い方は、自分で選ぶ

人生という時間の過ごし方は、大人にも子どもにも言えることですが、何をしてもいいじゃないですか。与えられた人生の時間をどう使うかは、個人の自由です。

それは世間や誰かが選ぶことではなく、他の誰かがお膳立てするものでもなく、誰しもが等しく「本人が選ぶもの」だと思います。

会社で働く大人、家のことをする大人、バイトする大人、学ぶ大人、休む大人、いろんな過ごし方をする大人がいていいように、子ども達の過ごし方も、なんだっていいと思います。

「子どもは学校へ行くもの」って決めつけちゃうと、大人以上に子どもは窮屈だろうと思います。

「学校に行かない」って、そういう生活の仕方もあって、当然だとは思いませんか。
わざわざ「不登校」なんてカテゴライズする必要もないくらいです。


「学校に行く動機」があってもいい

家庭にいることが楽しい、友達と過ごすことも楽しい、もっと家族以外の人とも遊びたいし、学校と関わりたいから、だから学校に行く。
これって「学校に通う」のに、とても真っ当な動機だと思いますし、長野にいた頃に復学した私は、そんな感じでした。

行かなくてはならない、で行くのは、苦しいです。
苦しくても頑張る能力は、これからの世の中には、必要ないと思っています。
むしろ、嫌なことを上手に断る能力のほうが、大切です。
頑張るのは、楽しいこと、好きなことでやったらいいです。

うちの子達も、学校や幼稚園に所属しているものの、行っていないですが、今のところは行こうと思う動機がないのですから、当たり前だな〜と。

私はたまたま復学しましたが、子ども達を学校に行けるように仕向けようとは全く思いませんし、親としては、「楽しい学校」がある前に、「居心地の良い家庭」があれば良い、と思っています。

家庭が心地良ければ、家庭でも家庭外でも、自ら勝手に学びますし、学校に限らず「外の楽しいこと」を探しに、外に出て行くようにもなると感じています。

長野での私の小学校時代を振り返り、改めてそう思いました。


「学校へ行ってあたり前」の時代は終わりつつある

今回の長野旅行で、わたしは「不登校から楽しく復帰した」ことを思い出しました。

学校に行きたくないと思い始めた最初の頃は辛かったですが、だからこそ家庭の安心感の中で過ごせたあの日々は、今となっては掛け替えのない思い出です。

お母さんとよくお昼に一緒に食べに行った「親子丼」が、今でも何かあったときの、私のパワーフードです。

あの頃の私は、あの時代には珍しく特異な例でしたが(当時は登校拒否と呼ばれました)、今となっては「学校へ行かない子ども達」はこんなにも増え、普通のことだったり、選択肢の一つと呼べる時代になったと思います。

一方で、私たち親の頭の中は、どうでしょうか?

自分の小学校時代の尺度で今の子ども達を測ったら、現代にはもう合わないですよ。私たちの小学校時代のような「学校へ行って当たり前」の時代は、もう終わろうとしています。

「学校へ行かないこと」を選んだ子ども達が、家庭の中で幸せに過ごし、復学という形にとらわれず、自分の道を見出していくことを、願ってやみません。少なくとも私は、そういう目線で、我が子とも他の子ども達とも関わっていきます。

私の不登校は先駆的体験だったんだな〜と、今となっては思います。
学校に行かない我が子との関わり方の、参考にしてもらえたらうれしいです。

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