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小説が書けない人の話⑤「ミルクパズルと彼女」

彼女の文体を真似て小説を書き始めた。正確に言うと、書こうとして挫折した。

ぼくにはただ書きたいという欲求があるだけで、その方法がまるでわからない。まるで目の前に終わりのないミルクパズルを置かれたような途方もない空虚が広がっている。

いったい彼女はどうやってこのパズルを組み上げていたのだろう。

小説を書くのに必要な要素はあらかた調べた。ストーリー、キャラクター、断片的なセリフ……。

そのどれもが、ぼくにはまったく浮かんでこない。浮かぶ兆しすらない。それは小説を書くために必須のもののように思えていたが、違うのだろうか。

小説の書き方のサイトにはテーマが最も重要だと書いてあったが、そのテーマというものですら、ぼくの人生にはまったく無縁なもののように思えた。

平たくいうと、興味がないのだ。
目に映るものや誰かとの会話に心を動かされる瞬間がない。まっさらな無。何かを見て美しいとか醜いとかを感じる心がないのだから、それについて何も書きようがない。悪口も、褒め言葉も。

ぼくが唯一興味のあることといえば、彼女についてのことだ。

彼女が今までどのようにして小説を書いていたのか、何を見つめて生きてきたのか、小説を書く理由や目的はなんだったのか。

そしてなぜ、彼女は小説を書くことをやめてしまったのか。

そのことを知るために、ぼくはあらゆる手段を使ってもいいと思っている。たとえその先に十分な答えが用意されていなかったとしても。

彼女という存在の断片を拾い集めるために、目の前の途方もないミルクパズルに手を伸ばすのだ。一つずつ、丁寧に。そのための覚悟はとうにできているような気さえした。

彼女が利用していた小説サイトを開き、投稿用のアカウントを新しく作る。まだ何の準備もできていないのだけれど。

投稿者名の欄にはこう入力した。
九番街の猫--それがぼくのペンネームだ。

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