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「演劇」と「少女」


小さいころ、といっても8,9のころだがよく自分で物語を描いたものである。

私は文章が好きだった。小学生の頃は毎日図書室の本を読み漁ったし、手紙を書くのも人一倍好きだった。お転婆で、一日中外で男の子たちと遊んでいるような子だった。一日中外で遊んでいたならばいつ本を読んでいたのか、と思うだろうが当時の私は一日中外で遊んでいたし、一日中本を読んでいたのだ。その少女には一日が無限大のようにも感じたし、あっという間のようにも感じた。あの時は願ったことすべて叶う、まるで夢のような世界にいた。

強風の中で傘をさすと、どこまでも遠いところに行けた。学校の砂場を掘り進めると、転校していった友達のところにいけた。秋になると、とんぼが私を絵画の世界へ連れて行ってくれた。世界が輝いていた。思い返すと、私はいつも幻想の中を生きていた。

本当のところは、何本も傘を折り怒られる日々だったし、穴掘りなんて疲れて結局誰かの落とし穴として使っていた。とんぼは私の下校の妨げになる最大の敵だった。でも、たしか夕焼けの中の帰り道はオレンジの光に包まれた夢の世界だった。初めて恋がかなった時に見た学校は少女漫画のようにキラキラしていた。私はずっと幻想の中で生きていた。




初めて現実と向き合ったのはいくつの時だろうか。

その時にはもう私は「少女」ではなかった。薄暗くて、出口の見えない、居心地の悪さを感じる世界の始まりだった。まるで6月に歩く森のように。

自己紹介の時におどけてはいけなかった。自分が相手にどれだけ興味があるか示さなくてはならない。それが本当の言葉ではないのに。大人の男性とかけっこをしてはいけなかった。ちょうどいい微笑みを浮かべなければならない。それは本当の好意ではないのに。私にとって現実の世界は生きづらいものだった。そしていつしか、私は現実の世界を「演じていた」。


演劇というものは実に奥が深い。私は10の時から地元のミュージカル団体で演技を習っていた。ステージの上でどんな役を演じていても、私はそのどれもが本当の自分だと感じていたのだ。そして皮肉なことに、ステージを降りた瞬間に私は私でなくなるような気がした。怖かった。私はずっとステージの上で、このまま、といつも思っていた。


そのうちに私の体はどんどんと少女のそれではなくなっていた。

そして私はステージの上に立つことをやめた。いや、やめたというよりは、逃げたのだ。本当の自分をそこに置き去りにしたまま。

私の体と心は違うところに存在していた。私は異常だった。でも私は普通の人間であった。


私はそれからも常に楽しく生きていた。雨の日、屋根に雨が当たる音は妖精たちのかけっこのようだった。曇りの日に見える雲の切れ目にはこちらを見ている神様が見えた。晴れた日に私を照らす太陽は大きな大きなスポットライトだった。でも私は少女には戻れなかった。あの時のように感じることはできなかった。私には考えることしか許されなかったのだ。


でも私はまだ、どんな役も演じることができると思っていた。悲しくて泣くこともできるし、何気ない会話で不意に大笑いをすることもできた。




本当は分かっていた。私はいつも本当になりたいものにはなれない。







私は本当は、昔からずっと、







「主人公」になりたかったのだ。




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