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普段は朝から日記を、今日の日記を一日分くらい書いているんだけど
今日はこれを書くことにする
なんとなく憂鬱で、体の冷えが体調を悪くすると思い
午前5時に投げ出していた布団を丁寧にかけなおし、上海から来たお気に入りのシャチのぬいぐるみを抱きしめて7時まで眠った
そうしたら程よく体があたたかくて少しだけ心にまでその温度が届いた気がする。
幻想だけど。

Apple Musicの朝カフェというプレイリストを気に入っていてたまに気分が良ければ寝起きから再生するんだけど、今日はそれがすこしだけ皹入ってしまったのでカネコアヤノのわたしたちへを聴いている
今日は好きな人が帰ってくる日。
なんだけどこんな気持ち。やるせないという言葉がぴったりじゃないかな。
とあるTwitterのアカウントを見つけ、読みふけっていたんだけど
私が何の変化も望まずにただただ生きる肉と骨それと少しの血液だったとしたらこんなふうになれたかな、と思った
現実は甘くない。等価交換されるのだ
重要度の高い人間関係を断ち切るときはそれなりに持っていかれる
私は体重を持っていかれた。心と体の健康も、お金も、漠然とした無味無臭の安心感さえも持っていかれた
ここまではネガティプだけどそんなこともない。
それと引き換えに私は「生きる」を手に入れた。もがき苦しみ、泣き笑い、
寂しくなったり悔しくなったり。
人の粗や人間のざらつきに敏感になった。どうしようもない不安や心配と週4で戦っている
生きるというのは安心して何もかも充実していることを言うんじゃない
あらゆることを感じ取って心を働かせて、未来の希望を信じ光さす方へただ歩き続けること。これが生きるだ、と私は考えています。
私は生きているフリをして死んでいたんだよ、わかるか。そんな無駄を呼吸していたんだ。
世に蔓延る大体の人間は何も考えず「そういうもんだから」というわけのわからない刷り込みのみで日々人を傷付けながら傷付けている自覚すら持つことを許されず生命維持をしているんだよ、と私は思っている。
そんな風に無駄に無駄で塗り重ね続けている人とはそりゃうまく付き合っていけないんだよ
死人と生きる人では住む世界を分けなきゃいけない、理だから。
危険思想かもしれませんが多少のスパイスとしての偏見やレイシズムは暇つぶしになるし、コンビニの会計で1円だけ足りなくて、ポケットになぜか入ってたみたいな役立ち方をする。
書きながら思い出したけど私、小学生の頃からこんな文章をただただ書いていたな
生きるも死ぬも勝手にしてください。


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