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早朝散歩を始めて1か月

早朝散歩を始めて、ちょうど1か月が経ちました。
雨の日も何日かあったはずなのですが、散歩の時間だけうまくズレてくれたりして、結局、散歩をお休みしたのは一日だけでした。
我ながら、驚きです。(笑)

スタート時間は早いと4:00~4:30の間、遅いと6:00~6:30の間、散歩する時間は短いときで60分間、長いときで200分間とバラツキは大きいのですが、その日の予定や天候、体調などで無理なく、継続していくことを大切にしています。
時折り、『すごい早起きですね』と言っていただくのですが、もともとがショートスリーパーであることに加え、おそらく加齢による効果?で、目覚まし要らずなのです。(苦笑)
この時期は、朝焼けが本当にキレイなので、早起きは三文どころかお茶碗三杯分くらいの価値がある?と思います。

散歩コースは、飽きっぽい(苦笑)ので、二日連続で同じコースにしない、その日はできるだけ同じ道を選ばない、クルマでは通れない道を優先する、といった「マイルール」と「適度な目標設定(目的地設定)」をしています。
例えば、日本財団が渋谷区と一緒になって始めた「THE TOKYO TOILET」の個性的なトイレ巡りや、寺院巡り(都心部にも多いですよ!)、新しいビルや観光名所巡り、さらには旧玉川上水緑道の橋巡り…とか(笑)
こんな感じで緩~く続けてるので、毎日何かしらの発見があったりして、めちゃめちゃ楽しいですよ。

ちなみに、散歩してるときは、スマホで写真撮影しながらなのですが、どこを歩いていても、いろんな花が、いろんな所に咲いていて、キレイなんですよね。すっかり楽しみの一つになっています。

他に散歩を始めてみて良かったのは、充実した内省時間になるところでしょうか。
刻々と変わる風景に刺激を受けながら、明快な答えのない問いについて考え続けるのは、僕にとっては非常に良い時間になっています。
この辺は、もしかしたらジョギング(ランニング)やドライブにも似たような効果があるかもしれませんね。

で、最近考えているのは、あらためてのコロナ問題です。
いや、医学的な専門知識を持っている訳ではないので、思考実験の域を出ないのですが、例えば、早朝散歩で新宿駅界隈を歩くと、結構な人が酔いつぶれて路上で寝ていて、さながら「Beforeコロナ」的な感じなんですが、それってどういうことだろう?とか考える訳です。

例えば、新宿歌舞伎町は、グループで朝帰りする人もたくさんいますし、逆にこれから向かう人もいたり…、で、もはやコロナは終息したかのような光景なんです。
いま世界がコロナ禍にあることを知らない人はいないと思うので、誰もが知ってると考えると、
 ➀ 自分は信じていない(だって、周囲で誰もなってないもん)
 ② 自分には関係ない(だって、若者は重症化しないって言ってたし)
 ➂ 本当かどうか知らないけど、「いつまでも家にいろ」ばかりで堪らない(青春を返せよ!)
といった感じなのかな、と思ったりします。

➀②は、社会心理学で言うところの「確証バイアス(信じたいものだけ信じる)」として説明できるような気がするのですが、その遠因になってるのが、初期は専門家でさえもよくわからない時期が続いて、そのときに『(安全を見て、ひとまず)みんな家から出ないで』と大きく網(規制)を掛けたことが、国や自治体の長の理解として「うまく行ってしまったこと」が影響してる気がしてます。

つまり、このときの成功体験(多くの人たちが「家から出ないで」という要請に応えてくれたこと)に味をしめて、その後も感染者数が収まってくると規制を少し緩めて、増えてきたら宣言を再発動…を安易に繰り返してきたことで、例えば、健康な若者の中には『なんか言いつけを守って損した。』って感じた人も出てきたのではないかと思いました。

当初から、『高齢者、基礎疾患のある人は、重症化しやすい』『健康な若者は、罹患してることに気付かない人もいる』という情報があったので、健康な若者からすれば、(高齢者や基礎疾患の人たちを守るために)いろいろ我慢してきたのに…という感じもあったのかもしれません。

結局は、ワクチンもない、治療薬もない、病床も足りない、経済を止める訳にも行かない、それでもオリンピックはやっておきたい(笑)、となると、そんな安易な方法しかできなかったということかもしれませんが、とはいえ、すでに2年近くも経ってるのに「飲食店への過剰な規制」と「個人の行動規制」しかないの?と高齢のオッサンでも思ったりします。
なんとか工夫して営業しようと努力してる飲食店と、支援金で焼け太りするだけの飲食店が同じ規制を受けてたら、当事者たちはどう思うのか。個人についても、真面目に対策してる人も、全く対策してない人も、結局は同じ目に遭うのだとしたら、どうなるのか。・・・とか。

だから、飲食店の規制を撤廃しろ!とか、国や自治体の長、政治家や官僚は何をやってるんだ!ということを言いたい訳ではなく、個々の人は、その人なりに、それなりに「真面目に」「正しく」「全力で」やろうとしたんだろうと思います(思いたいです)。
ゆえに、何かや誰かを責めたい考えはないのですが、とはいえ、背景や思いがどうであったとしても、「現状」を鑑みたとき、もしこの状況を望ましいものでないとするならば、何かしら対応していく必要があるんじゃないかと思います。

そんな風に考えると、結局、➀~➂の考えの根底にあるのは、国や自治体の長たちはもはや信用されてない、ということではないかと感じます。これまでの様々な施策が、ややもすると「雑」「乱暴」だったということかもしれません。
もちろん細かなルールを定めたところで、監視の目が十分に行き届かないのは明らかだと思いますが、だからと言って、「全部に網を掛ける」って考え方に無理はなかったのか、と思う訳です。

『じゃぁ、どうすれば良かったんだよ?お前の意見を言ってみろよ』なんて言われてしまうかもですが、そこは、みんなで知恵を出し合っていけば良いのではないでしょうか?
なんとなく…ですが、日本全体がそう言われることを恐れて委縮してしまっており、結局、誰もハッピーにならない仕組みになってる気がします。
それぞれの立場を尊重しつつ、少しずつでも良くなるように考えていけたら、もっともっと良い社会になるのではないでしょうか。

ということで、今日はこの辺で。

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