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「君たちはどう生きるか」 アニメーションの力を信じた作品

初見の素直な感覚を述べると、見ている時に臨死体験をしているような不思議な感覚になる作品でした。
もし人生の死ぬ間際に見るならこんな美しい光景であって欲しいと思うような、幻想的な風景。
その幻想の中に、リアルな生と死があって。
児童文学の世界を美しいアニメーションにしながら、宮崎駿が過去描いてきたアニメーションのオマージュが詰め込まれた作品。
一体、どういう意図で作られたのか、宮崎駿はどんな思いを込めてこの作品を描いたのか、公開後もパンフレットすらない作品にいろんな人がいろんな思いを巡らせていることでしょう。

今回のタイトルの元になった「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎)が強く影響していると言われている以外にも、オマージュされている作品はもう一つあります。
それは、宮崎駿が2015年に推薦図書としていた「失われたものたちの本」(創元推理文庫)です。
ここまで情報が秘匿される前に鈴木プロデューサーから発言もあったようですが、思わず見た直後にkindleでこの本を購入して、納得のオマージュ作品だと思いました。

母親を亡くして孤独に苛(さいな)まれ、本の囁(ささや)きが聞こえるようになった12歳のデイヴィッドは、死んだはずの母の声に導かれて幻の王国に迷い込む。赤ずきんが産んだ人狼、醜い白雪姫、子どもをさらうねじくれ男……。そこはおとぎ話の登場人物たちが蠢(うごめ)く、美しくも残酷な物語の世界だった。元の世界に戻るため、少年は『失われたものたちの本』を探す旅に出る。本にまつわる異世界冒険譚。

失われたものたちの本 創元推理文庫あらすじ紹介より抜粋

見た人ならわかりますよね。この本のあらすじは、ほぼ今回の映画のあらすじに近しいことに。
なので今回の映画を見て「どうしてこんな作品になってしまったんだろう?」という制作側の意図が気になる人は、「君たちはどう生きるか」以外にこの本を読めば宮崎駿がいかにこの児童文学に心をときめかせ、影響されて本作が作られたのかがわかると思います。私自身もこの物語を読んで今回の作品が自身のアニメーションへのセリフオマージュだけではなく、やはり最後まで宮崎駿は児童文学を愛したアニメーターであったということを強く思いました。

とはいえ、これは見た後に得た知識。
ここからは見た直後の、私の素直な作品の受け止め方と、感想を綴ります。

アニメーションの力を信じ抜いた作品


子供のためにアニメーションを作り続けて、アニメーションという仕事をするからにはやらねばならないことがあるとすら過去言っていた宮崎駿が、もしかしたら自身が手がける作品は最後になるかもしれない作品がこの「君たちはどう生きるか」だと思う。
風立ちぬですら「楽しいだけが子供の作品ではない」と子供が受け止める感受性を信じていたアニメーターが作りたいと言った一作。
だから、きっとこの「君たちはどう生きるか」も最後はこれからの子供たちのために作られた作品なんじゃないかなと私は思いながら、最後まで見届けました。

すぐには輪廻転生できないほど、そして輪廻転生すらも許されず生まれる前から死んでいく命の象徴のようなワラワラたち。
食べることすらままならない、飢えた透明な人間たち。
まるで特攻の零戦のように空をかけるペリカンたちが飛ぶ空を見上げるカットシーン。
明日崩れるかもしれないギリギリのところで踏ん張る積み木。
それは「積木じゃなくて墓石だろう」と眞人が指摘した石たち。

この作品で出てくる幻想的な生き物たちやシーンは、あまりにも戦争で死んでいく命や、生きていく命を模したものが多く、それでも最後まで戦争のシーンは見せませんでした。
ラストシーンの最後の最後まで、疎開して東京に帰ると言うシーンだけで終わり、戦時中とした物語にしては、意図的に戦争の直接的な描写を抜いた作品だと思います。

(個人的にはファンタジー側の世界ではないんですが、父親の仕事が飛行機を作る工場で、飛行機のコックピットの窓部分を家に運び入れて並べるシーン、まるで虫の抜け殻が並ぶようで、美しいのにゾッとする直接的な戦争描写ではないのに秀逸なシーンだと思った。それぐらいこの作品からは戦争を匂わせるのに、直接的な戦争の描写をあえて抜いているとしか思えない)

常に戦争を匂わせながら、作品に直接的な戦争の描写を抜いた理由。
宮崎アニメを見て大人になった私には、やっぱりこれもこれからの子供たちのために作られた作品だからと思いました。
だって、この作品は子供たちには戦争のない世界を作って欲しいと言う宮崎駿の祈りと願いのような作品だと思うから。
子供たちは戦争の風景を知らなくたっていい。
戦争を知らずとも、向き合うべき悪意は身近なところにあり、その悪意に自ら向き合いながら、正しい世界の積み木を積んでいって欲しい。

私たちの1日1日は、私たちの知らない死者で支えられている、ぎりぎりの均衡の世界の象徴とも呼べる積み木のような世界であること。
昨今の世界情勢を考えると、いつ世界は崩壊してもおかしくない綱渡りの毎日を続けている。

それでもこんな苦しみの命が溢れる世界は決して作ってはいけないと言うことを幻想的なシーンで紡いでいくファンタジーの世界は力強く、そしてそこに生きる生き物の姿は美しく。
戦争を直接的に描写しなくても世界の凄惨さを伝えるアニメーションの力と、子供と、人の感受性を信じた作品。

そんな願いも込められたような今回の主人公の眞人は宮崎アニメの中では今まで描写されないような影も感じ、まるで大人のような達観さも感じる少年でしたが、同時に子供らしい嘘も悪意もちゃんとある、今まで宮崎アニメでは描かれなかった類の主人公です。

「陽気で明るくて前向きな少年像(の作品)は何本か作りましたけど、本当は違うんじゃないか。自分自身が実にうじうじとしていた人間だったから、少年っていうのは、もっと生臭い、いろんなものが渦巻いているのではないかという思いがずっとあった」
 「僕らは葛藤の中で生きていくんだってこと、それをおおっぴらにしちゃおう。走るのも遅いし、人に言えない恥ずかしいことも内面にいっぱい抱えている、そういう主人公を作ってみようと思ったんです。身体を発揮して力いっぱい乗り越えていったとき、ようやくそういう問題を受け入れる自分ができあがるんじゃないか」

インタビューより引用


宮崎駿が今まで描いてこなかった自分の少年時代を題材にした作品でもあり。
宮崎駿が影響されてきた児童文学や小説からオマージュされた作品でもあり。
そして、昨今の世界情勢とも重なるようでもあり、自身の作品のセルフオマージュの作品でもあり。
さらに、この先のアニメーションへのバトンを渡すような作品でもある。

こんな構造が複雑な、宮崎駿本人ですらおそらく一言でこの作品のテーマをいうことができないぐらい色んな思いを込められた作品を、見る群衆側が一つに答えを決めることなんてできないんですよね。
私はこの作品を見た直後の自分の気持ちを残しておきたくて、こんな感想noteを残しましたが、こんな感想を一ミリも抱かなかった人もいると思う。それぐらい、一人一人見た人によって、受け止め方が違う作品。
でもそれでいい。それぐらい、受け止め方が人それぞれ違うことを許容しているから、「君たちはどういきるのか」と一人一人に問える作品になっているんだと思います。

言い換えるならそれぐらい、この作品はアニメーションが持つ力を信じている。
アニメーションが持つ力を信じるということは、見る人側を信じるということでもあり、子供たちのためにアニメーションを綴り続けた巨匠は、私たちの感受性を信じた作品を残していくんだなと思いながら、最後のエンドロールを見届けました。

圧巻のエンドロールと宮崎アニメの絵コンテを形にした作画監督


この作品は、アニメーションと児童文学の力を信じている人だから生まれる絵コンテと物語であり、そして次世代のアニメーションへのバトンにもなるようなエンドロールだったと思います。

宮崎アニメと呼ばれる所以は、全てのカットに宮崎駿の手が入る、最後まで作画監督という仕事に誇りを持っていた宮崎駿が描くからこそだと私はこの作品を見るまで思っていたし、当時この作品を手がける発表があった時も、宮崎駿は自分で描かないなら監督はしないと思っていた。
けれど、色んなインタビューを見るに、体力的に作画監督が務められない中で、最後の最後に一年近く悩み、作画監督を自分から指名しても作りたかった作品。
生まれた画面からは宮崎アニメが若返ったような感覚すら覚えた、絵コンテも中身も宮崎駿なのに作画監督は違うということが如実に画面からも伝わってくる瑞々しい作画に、エンドロールに連なるこの作品に関わった数々の作画やスタッフの名前を見て、一度引退を口にした宮崎駿がどうしても作りたかったこの一本のために最高の作画と、音と、音楽と、声を用意したんだと感じました。

日本のアニメーションの数々の人間が最後になるかもしれない宮崎駿のアニメーションのために結集したといえるようなエンドロールまで作品の一つである、愛が詰まったエンドロールでした。

(広告代理店の名前が一切入っていない斬新なエンドロールももう2度とないだろう…)(小声)


7/14に封切りをした本作品。
この先、さまざまな「君たちはどう生きるか」を受け止めたたくさんの感想や声が溢れることを願って、初日に見終えたばかりの新鮮な気持ちで綴ったこのnoteを終えたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。


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